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2009.01.19

「風が強く吹いている」を見る

「風が強く吹いている」アトリエ・ダンカンプロデュース
原作 三浦しをん
脚本 鈴木哲也
演出 鈴木裕美
出演 黄川田将也/和田正人/佐藤智仁/高木万平
    高木心平/松本慎也/鍛治直人/瀧川英次
    粕谷吉洋/デイビット矢野/伊藤高史
    近野成美/荒木宏文/樋渡真司/花王おさむ
観劇日 2009年1月18日(日曜日)午後2時開演(東京千秋楽)
劇場 ル・テアトル銀座 26列3番
料金 7500円
上演時間 3時間10分(15分の休憩あり)

 パンフレット(2000円)はかなり迷ったけれど購入せず。
 68ページで読み応えがあったとしても、お芝居のパンフレットで2000円はかなり躊躇するお値段である。その他に寛西大学のTシャツなどもロビーで販売されていた。

 東京千秋楽ということで、最後に役者紹介があった。
 演出の鈴木裕美も舞台に上がり、客席にいた原作者の三浦しをんもスポットを浴びていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 ほとんど陸上未経験者が10人集まり、4月から練習を始め、10月の予選会を突破し、翌お正月の箱根駅伝を目指すという物語である。
 原作がかなり好きで読み込んでいたので、一体この物語をどうやって舞台にするのだろうと思っていた。
 何しろ駅伝の物語だから、走らなければ話にならない。客席の階段を走るか、舞台上でそのまま走るかどちらかだろうと思っていたら、後者だった。
 原作を知っていると「ここはどうやって表現するんだろう」「彼の心情を要約するときにここを選び出すのか」「このシーンがなくなってしまうのは惜しい」などと余計なことを考えながら見てしまうのが我ながら勿体ない。

 物語の前半は、舞台を「アオタケ」と呼ばれる陸上競技部の幽霊寮に固定している。
 幽霊寮というのは、幽霊が出る寮というわけではなくて、ほとんど活動停止の陸上競技部に名前だけ入部している学生達が住んでいる名目上の寮だからである。
 そこに、和田正人演じる蔵原走という高校陸上界で活躍していた選手が現れたところから話が転がり始める。黄川田将也演じる清瀬が「箱根駅伝に出て頂点を目指そう」と言い出すのである。

 練習の様子、蔵原と高校時代に同じ部にいた榊との確執や、清瀬と高校時代に同じ部にいた藤岡との関係性、樋渡真司演じる後援会長に就任した八百勝と近野成美演じるその娘で陸上部のマネージャーになる葉菜子の登場や、花王おさむ演じる大家の監督ぶり、全てが舞台をアオタケに移して演じられる。
 もちろん、駅伝部の10人の関係や心情も、アオタケの居間のようなスペースで入れ替わり相手を替え、見せられる。
 そういえば昨日見た「ブラジル」もそれぞれの個室は舞台の外にあって、客席からは共同スペースのみが見えていて、そこを色々な人が色々な組み合わせで登場し、会話し、ついでにちょっと立ち聞きしたりして去って行くという感じだった。
 今日の「アオタケ」の方がそれが自然に見えたのは、初日と千秋楽の差だったのかも知れない。

 かなり厚い原作小説を3時間の舞台に納めようというのだから、そこは相当に刈り込んであるし、10人それぞれの設定も恐らくは判りやすくするために単純化されたり、語られなかったりしている。
 でも、それが悪い感じではない。
 原作小説に書かれている心情はちゃんと背景にあるように感じられる。
 そして、原作では恐らくあえて書かれていなかった榊の心情が舞台上で語られることによって、小説とは違う何かが生まれているように思う。

 後半は、箱根駅伝の200kmが走られる。
 舞台の後方を八百屋にし、手前にルームランナーのようなものが置かれている。
 そこを10人がたすきをつないで走って行くのである。その神々しいようなたすきのやりとりを見ているだけで、何だか涙が出てくる。

 1人が走り、残りの9人はそれぞれが八百屋に陣取って各中継所での様子を演じている。アップをしていたり、テレビを見て応援していたり、携帯電話で監督者に乗る大家に連絡を取っていたりする。
 でも、走っているときは、あくまでも走っているランナーが主役である。
 走りながら心情を吐露する。考えていることをしゃべる。それは、相当に訓練を積まなければできないことなんだろうと思う。走りながらきちんと台詞と心情を伝えているのである。
 これがあるから、このお芝居が清瀬と蔵原の物語ではなく、アオタケに住む10人の物語になったのだと思う。

 走っている後方に白抜きのシルエットがやはり一緒に走っている。
 生身の人間が舞台上で走っているのにどうしてもう1人影を(といっても、走っている本人の影ではない)走らせるのだろうと思っていた。
 それは、蔵原が「どこか淋しいところ」に行ってしまったときに納得することができた。
 舞台前方で走っている生身の人間は、本人であると同時に、その心情そのものも表していたのだった。

 それは、最終ランナーである清瀬のシーンでますます顕著になる。
 清瀬は走らない。
 彼の影は舞台後方に映し出され、走り続けているのだけれど、清瀬本人はずっと立ち止まったままである。恐らく、一度も走っていないと思う。
 それは、多分、痛めた右足が完治しないまま走り、この駅伝で本当に走り止めなくてはならなくなる清瀬の状態を目に見える形であからさまに表しているのである。
 バックを走る影がどんどん右足を引きずるようになり、清瀬の意識がどんどん過去に遡って行くにつれ、本当にこれは奇跡的な瞬間なのだということが判る。

 箱根駅伝の間、樋渡真司は実況中継のアナウンサーを演じて狂言回しにまわり、花王おさむは解説者と監督である大家との二役を早変わりでこなす。
 私がチケットを取った段階で出演者に樋渡真司の名前はなかったと思うのだけれど、このお芝居を成立させるためにどうしても必要だったのだなと思う。

 多分、原作を読んでいるかいないかでかなり見方が変わるのではないかと思う。
 少なくとも、私がもし原作を読んでいなかったら、もっとのめりこんで見ていたと思う。
 でも、原作を読んでいても、その「世界」がもの凄くきちんと舞台の上で息づいていることが判る。10人で箱根駅伝を目指した、10人それぞれの心情と心境がきちんと伝わってくるし、10人の関係もきちんと伝わってくる。

 最後は、箱根駅伝も終了し、日常に戻ったかのように見えるアオタケで幕は閉じる。
 日常に戻ったアオタケで、でも、清瀬は右足を大きく引きずるように歩いている。黄川田将也のこの歩き方が妙に不自然で、心の中で「こら!」と思ってしまったのは私だけだろうか。

 カーテンコールで、樋渡真司が隣にいた和田正人に何やら耳打ちしているなと思っていたら、役者紹介の最後、演出の鈴木裕美を舞台上に呼び、原作者の三浦しをんを紹介していた。
 見事なチームワークと気配りである。

 また、原作を読み返したくなった。
 生身の人間に目の前で(というよりもかなり遠くからだったけれど)演じられることで、小説を読むのとは別の体験ができたようで、同じようで違う、違うようで同じ何かを見たという感じがする。
 見て良かったと思う、いいお芝居だった。

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