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「夜の来訪者」2009年シス・カンパニー公演
原作 J.B.プリーストリー
翻案 内村直也
演出・出演 段田安則
出演 岡本健一/坂井真紀/八嶋智人
高橋克実/梅沢昌代/渡辺えり
観劇日 2009年3月7日(土曜日)午後1時30分開演
劇場 紀伊國屋ホール G列10番
料金 6500円
上演時間 2時間10分(10分間の休憩あり
ロビーでは、パンフレットが1部700円で販売されていた。
ロビーのお花の数にびっくりしたけれど、この出演者陣なら当然な気もする。
前売りチケットは完売だそうで、見終わって劇場を出たら、すでに夜公演のチケットを求めて当日券に数人の列ができていた。
ネタバレありの感想は以下に。
元々の原作がどういった時代背景を持っているかは知らないのだけれど、翻案の段階で昭和47年の日本で、高度成長に合わせて発展した製造業の会社社長の家が舞台となっていた。
そこの応接室というのか、リビングルームというのか、ちょっと公的な感じを持つ部屋がセットで、こういう雰囲気と紀伊國屋ホールの雰囲気というのは似合っているなというのが第一印象だった。
開演前、幕の前に揺り椅子と何か(どうしても思い出せない)だけが置かれていたのがいい感じである。
正確にいうと、幕が開き、空っぽの舞台の奥にある扉がすーっと開いたところで暗転、スクリーンにタイトルや出演者の名前が浮かび、次に明るくなったときにはそこは家具調度の調った応接間という演出が凝っていて、そしてちょっと不気味である。
その今開いた扉から何が入ってきた? その扉を開けたのは誰? という感じがする。
その社長宅では、高橋克実演じる社長、渡辺えり演じる社長夫人(それにしてもこの2人が夫婦だなんてそれだけで相当に濃い一家である)、坂井真紀演じる姉と八島智人演じる弟の姉弟が揃い、岡本健一演じるライバル会社の令息と姉との婚約が調ったお祝いの夕食を終えたところ、という設定である。
それにしても、濃すぎる。
しかも、この人達が全員、日常生活をかなりオーバーに演じている(演じざるを得ない)ので、それぞれが「良家のお嬢様」とか「社交界で重要な地位を占める社長夫人」とか「名士」とか「立派な跡継ぎ」とかを演じているから、鬱陶しいことこの上ない。
今から考えると、いかにもダメそうで頼りなさそうだった弟が、確かに態度には多少の奇矯さはあったけれど、一番演技をしていなかったんだなと思う。
そうした和やかさを保った夕食後の団らんの最中に、段田安則演じる刑事がやってくる。
TBSの刑事ドラマ(確かタイトルは「第三の時効」だったと思う)で段田安則は公安から刑事課に異動になった刑事を演じていたと思うのだけれど、あのときよりも物腰柔らかで言葉が丁寧な分、何だかやけに「何を考えているか判らない」感が増幅されていて、不気味ではないのだけれど、何だか落ち着かない感じがした。
もちろん、それが作中のハシヅメ刑事の狙いでもあり、役者・段田安則と演出・段田安則の狙いでもあるのだろうと思う。
やってきた刑事は「今日の午後、一人の女が市民病院で亡くなりました」という話を始める。
彼女は自殺したと刑事本人が言っているのに、どうして「その理由」をたった一人で捜査しているのか疑問が浮かぶし、しばらくは「刑事などと言っているのは大嘘で、本当はその女性(24歳だと説明された)の父親だったりするんじゃないか」などと思っていた。
それはともかくとして、この刑事は、梅沢昌代演じる家政婦さんは置いておくとして、それ以外の人々に対して平等に「彼女を死に追いやったのはおまえだ」という話を始める。
父親は、自分の工場に勤める彼女が組合活動を主導した一人だったとして解雇した。
姉は、彼女が次に勤めたブティックで「あの人がいるならもうこの店には来ない」とオーナーに訴えて彼女を辞めさせた。
姉の婚約者は、そうして仕事を失った彼女とバーで会い、しばらく同棲して、捨ててしまった。
弟は、姉の婚約者と別れた彼女に出会い、会社から横領した金を渡そうとした。
母親は、彼女が運営の責任者である慈善団体に援助を求めた彼女に対してその願いを突っぱねた。
「事実」を突きつけられた順番は母と弟で逆だったのだけれど、早めに事実を突きつけられて、そして素直に自分のしたことを見つめて認めた姉が、一番まともな人間に見える。
父親は「普通の経営者がすることをしただけだ」と言うし、婚約者の言っていることは何だかよく判らない、母親も「私は会の規約に則って判断しただけだ」と言い張る。
要するに彼ら3人は刑事の告発によって「社会的に」傷つくことだけを恐れている。
父親曰く、唯一「はっきりとした罪」を侵している弟も、心情としては姉の側に付く。
彼ら一家がよってたかって彼女を自殺に追い込んだのだ、ということを告げて、刑事はこの家を去る。
去る前に何か長くしゃべっていたのだけれど、何故だかその台詞が思い出せない。
というよりも、ちゃんと聞き遂げられなかったという感じなのである。
何だかそこで語られていた台詞は、私のような不正直な人間にとっては「聞いてはいけない台詞」で、だから私の自己防衛本能が働いて耳には届いていても頭には届かないようにしたんじゃないかと自分を疑いたくなるくらい、本当に自分の中に残っていない。
惜しすぎる。そして、肝の台詞を聞かないなんて、私は何て莫迦なんだろうと思う。
ショックを受けて夜風に当たって歩いてきた筈の婚約者が帰ってくる。
彼は何故か行く前と比べて意気揚々としている。
そして「さっきの男は刑事なんかじゃない」と言い始め、父親は知り合いの警察署長に電話してあんな刑事はいないという回答を得る。婚約者は市民病院にも連絡し、今日の午後に病院で亡くなった人はいないという回答を得る。
そうと判ったときの3人の豹変振りがもの凄い。
「なーんだ、社会的に傷つくことがないなら、私(たち)が傷つくことなんてないんだわ」というノリである。
いかにも「大人の余裕」をかましてにこやかに談笑する父親と母親と婚約者の3人は怖い。
しかも、刑事が一度に一人にしか「自殺した女」の写真を見せなかったことを根拠に、先ほど目の前で展開された女の物語は、一人の女の物語なのではなく、色々な女の物語をかき集めたものなのではないかとまで言い出す。
たとえそうであったとしても、それぞれがある女に行ったことというのはいつまでも残るし、事実は事実なんだと姉弟がいくら叫んでも、他の3人にその言葉が届くことはない。
そこに、電話が鳴る。
電話の相手は市民病院で、今、病院で自殺して死んだ女がいるという連絡だった。
ここで幕である。
坂井真紀のしゃべり方がやたらと嘘くさいと思っていたのだけれど、その嘘くさいお嬢様な感じが、逆に物語の進行につれて「あるべくしてある姿」という風に感じられてくる。そういうキャラだから、刑事の言うことを誰よりもストレートに受け入れて、変わることができたのね、という感じがする。
ところで、このお芝居は上演時間が2時間10分で、10分間の休憩が入る。
どうしてなんだろう、と思う。セットの関係かとも思ったけれど、今日見た限りではそういう感じではない。
休憩後、休憩前に演じられたシーンの終わり少し前からダブらせて再びお芝居が始まる。
この上演時間ならノンストップで上演することも可能だったと思うので、きっと何か理由があるんだろうと思ったのだけれど、よく判らない。
母親が「いいえ、全然(知らない)」と答えた瞬間に幕を下ろして休憩に入り、その台詞を休憩後にまた繰り返させることが必要だったのか、でも休憩はなくても良かったんじゃないかなどと余計なことを考えてしまった。
なんだかんだ言いつつも、最後まで「この先どうなるんだろう」と思わせられて集中し、芝居が終わった今も「あの一家はどうなってしまうんだろう」と考えてしまうお芝居だった。
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