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「シュート・ザ・クロウ」シリーズ・同時代【海外編】Vol.2
作 オーウェン・マカファーティー
翻訳 浦辺千鶴/小田島恒志
演出 田村孝裕
出演 板尾創路/柄本佑/阿南健治/平田満
観劇日 2009年4月24日(金曜日)午後7時開演
劇場 新国立劇場小劇場 D3列8番
料金 4200円
上演時間 1時間45分
ロビーでは、パンフレット(800円)や、戯曲(お値段はチェックしそびれた)が販売されていた。
また、終演後に、出演者4人がサインしたタイルの抽選プレゼント会が実施されていた。席番で当選発表していたのだけれど、チェックせずに帰ってしまった方も多かったようだ。
当たらなかったのが残念。
また、金曜日だったので、缶のギネスビール(600円)が販売され、終演後はロビーがパブに変身していた。ちょっと気になったけれど、1人で参加する根性がなく、見送った。悔しい。
新国立劇場の公式Webサイト内、「シュート・ザ・クロウ」のページはこちら。
ネタバレありの感想は以下に。
開場してからは、ずっと4人の役者さん達は黙々とタイルを壁に貼っていたようだ。
私は開演数分前に劇場内に入ったのだけれど、「きっと日を追うに従って手際がよくなっちゃったんだろうなー、突然1枚間違えて貼りたいとかいう誘惑にかられないのかしら」などと思いながら見てしまった。
アイルランド(だったと思う)の作家が書いた作品で、だから多分、登場人物もアイルランド人だ。
登場人物が携帯電話を使っていたから、時代としてはここ数年というところだろう。
場所もよく判らないけれどアイルランドに違いない。
舞台の床をぶち抜いて、3階建ての建物をそこに置いてみました、という感じの凝った舞台である。
そこが4人のタイル職人の今日の職場で、2人と2人に分かれて、「黙々と」とはちょっと違った感じで働いている。
今日が定年退職日の平田満演じるディンディンは、コンビを組んでいる柄本佑演じるランドルフに、面に積んであるタイルを売り払ってお金を作ろうと持ちかける。
ディンディンは、タイル職人を辞めた後の「窓ふき」という仕事をするためにその権利を買おうと考えていて、ずっとバイク雑誌を眺めている若者のランドルフにこの話を持ちかけたのだ。
もう一方の作業場では、阿南健治演じるこの場を仕切っているらしいピッツィが、相棒の板尾創路演じるソクラテスに同じく、「納品伝票のない、新しいタイルを売り払って金を作ろう」と相談を持ちかけている。
ピッツィは娘の留学費用を稼ぎたいし、ソクラテスは別居中の家族にいいところを見せたいのだ。
双方が同じ日にしかも同じくランチタイムに同じタイルを同じトラックに乗せて盗み出そうと考えているものだから、ドタバタした挙げ句の失敗は予定調和のうちである。
ソクラテスが仕事を放り出して妻子に会いに行ってしまったり、ソクラテスに逃げられたと思いこんだピッツィがランドルフに同じ話を持ちかけたり、話はややこしくなってゆく。
ランチタイムは、もちろん双方が、相手の2人を早くこの仕事場から追い払い、自分たちは残ってタイル泥棒に手を染めたくてうずうずしている。
膠着状態である。
しかし、そんなイライラがお互い見破られない筈もない。
結局、ランドルフが口を割って、4人とも、相棒はともあれ、タイル泥棒に手を染めようとしていたことが発覚する。
いずれにしても、休憩時間中だったり、道具箱を探したりといった動きはあるのだけれど、壁にタイルを貼っている関係上、役者さん達は普通だったら考えられないくらい客席に背中を向けている時間が長い。
タイルを貼りながらだからそれほど大きな動きもなく、4人が出ずっぱりで後ろを向いた会話劇が進む。
申し訳ないことに、私はこの動きのなさにやられて、時々落ちてしまった。
まだ若者のランドルフも含めて、4人は何だか閉塞感と「俺たちに明日はない」という感に溢れている。
結局、分け前は減るけれども4人全員でタイル泥棒を決行しようと万事整えたところで、4人のボスからピッツィのところに電話が入る。表に積んであったタイルにはきちんと納品伝票があり(つまり、盗めばすぐに判るような状況にあり)、しかも、そのタイルは追加の仕事の分で翌朝までに片付けなければならないというのだ。
元々、タイル泥棒で打開しようとするそのやり方はどうなのよと思わなくもないのだけれど、その「お金が手に入る」という夢が一気に破れただけでなく「これから徹夜仕事だ」という現実に打ちのめされてしまった4人は、本当にガックリと来ている。
ディンディンなど、窓ふき用のバケツまで買ってきたのだ。
でも、こういうときは年の功で、ディンディンが最初に立ち直って、件のタイルを仕事場となる部屋に運び出す。
ソクラテスは、「どうして抗議しないんだ」とピッツィを責め、そして「俺は家族に会いに行く」「それが俺のやるべき仕事だ」と言って帰ってしまう。
そのソクラテスを責めず、「あれが正しい態度だ」と言い切るピッツィの心情は、実はよく判らない。「仕事を止めて帰って、自分の分の仕事は他の仕事仲間がやってくれるなんて、それが許されるなら俺も帰る」と言い出すランドルフの方が判る気がする私は、果てしなくお子様なんだろうか。
いつもの休憩場所で座り込んだディンディンは、いつものとおり熟睡態勢に入ったらしい。
しかし、今日は、窓ふき用のバケツを抱え込んだまま目覚めようとしない。
起こそうとしたランドルフは、それでも起きないディンディンにはっとして、ピッツィを呼びに走る。
そこで、幕である。
仕事がなかったら生きている意味がない、すぐに萎れてしまうと、「悠々自適の老後」に恐怖していたディンディンが、一度描いた夢が現実になりかけて、最後の最後でひっくり返されてしまったことに打撃を受けるのは判るような気がする。
多分、このお芝居は、同じ「タイル職人」という仕事に対する、4人の男のスタンスを象徴的に見せることで、「仕事」というものを際立たせようとしたんだろうと思う。
4人の俳優さんも、興奮して怒鳴り出すと何を言っているのか判らなくなるランドルフを始め、それぞれの演じた役にとても合っている。もうちょっと「特別」というのか、それぞれをエキセントリックに作ってもよかったんじゃないかとも思うのだけれど、多分、このお芝居はあくまでも「日常」に近いところに意義があるのだという気がする。
ただ、「仕事」の何を? というところは、正直に言って、私にはピンと来なかった。
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