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「江戸の青空 ~Keep On Shackin'~」
脚本 千葉雅子
演出 G2
出演 西岡徳馬/須藤理彩/中村まこと/松永玲子
戸次重幸/有門正太郎/中井出健/蘭香レア
小西遼生/いとうあいこ/松尾貴史/柳家花緑
植本潤/吉田鋼太郎
観劇日 2009年5月30日(土曜日)午後2時開演
劇場 世田谷パブリックシアター 1階N列22番
料金 6500円
上演時間 2時間25分
ロビーでは、パンフレット(1500円)や、出演者の過去の出演公演のDVDなどが販売されていた。
G2プロデュースの公式Webサイト内、「江戸の青空」のページはこちら。
ネタばれありの感想は以下に。
いくつかの落語を上手~くつなぎ合わせてお芝居にするシリーズ(?)で、私が見たのはこれで2作目である。
落語を元に作ったお芝居に、落語家の柳家花緑が出演しているのがどことなく可笑しい。
その柳家花緑の真面目で小心そうな二番番頭もそうだし、松永玲子演じるやたらとしっかり者のその女房も、西岡徳馬のやたらと四角四面でそれ故に同僚に陥れられて浪々の身になった侍、須藤理彩のやたらとおきゃんでちょっとばかし阿呆そうで原器はつらつな魚屋の女房も、戸次重幸演じる博打に身を持ち崩す一歩手前の魚屋も(しかし、この人はどうしてこういい加減な役どころが似合うのか)、吉田鋼太郎の調子だけは良さそうな女好きの道場主(は世を忍ぶ仮の姿で本当は講釈師らしい)も、植本潤の賢そうなのになぜか師匠に引っ張り回される剣術の弟子(も世を忍ぶ仮の姿で本当は講釈師の弟子らしい)、松尾貴史のけちんぼで実は女好きな大商人も、とにかくまあぴったりな配役になっている。
ぴったりしすぎて、中村まことがどこまでも正直なくず屋を演じているのが不思議な感じで、ついつい「こいつはいつか正直者の被り物を脱いで極悪人に化けるに違いない」などと余計なことを考えてしまった。
私にはどの落語が読み込まれているのか、全く判らなかったのだけれど、基本は、松尾貴史の両替商の手代が集金した50両を落としてしまい、その50両を魚屋が拾い、そんなお金があってはますます魚屋が商いをしなくなると女房が同じ長屋の道場の弟子と相談して仏像の中に隠し、実はその仏像は浪人になった侍が生活費のために売り払ったもので、その侍が回りまわって碁の相手をしに行った両替商で50両を盗んだものと疑われる。
さて、どうする。
そういう話である。
最初のうちは、27日に見た伊東四郎一座のときと同じように「内輪受けっぽくて緩い感じだなあ」と思って見ていた。しかも、あまりにも役者さんたちがはまり役を演じているので、予定調和の感じがして、どきどきハラハラという感じにならなかったのだ。
ところで、どこら辺のシーンだったかは覚えていないのだけれど、両替商に来たくず屋がしょった籠を振り回したところ、松尾貴史の頭にぶつかって鬘が思いっきり飛んでしまったシーンがあった。
あのとき、籠を振り回したあと、中村まことはわき目も振らず、振り返りもせず、普通に退場して行ったのだけれど、あれはアクシデントだったのだろうか。それとも、DVDのためのカメラが入っていたけれど、DVD用の仕込みだったのだろうか。
カメラが入っていると、そういう余計なことを考えてしまっていけない。
それとは違って、明らかにアクシデントだったのは、芝居の終盤である。
くず屋と道場主(が講釈師に戻る決心をしている)が橋の欄干の上で酒盛りをしている。細い欄干に仏像を置き、50両が入った財布を置き、酒の入ったとっくり(というか瓶)を置いている。
それが、何の拍子にか、50両入った財布が下に落ちてしまったのだ。
ちなみに、橋の下のしかもど真ん中に落ちたので、芝居的にはそこは明らかに川の中である。
吉田鋼太郎と中村まことと、2人のベテランが明らかに唖然とし、呆然とし、慌てず騒がず、でも明らかに善後策を練っている感じが可笑しかった。
結局、中村まことが拾いに行き、「流されなくてよかった」とか「これはないと困るんだよな」とか言いつつ、客席に向かって「今のは見なかったことにしてね」とボソっと言っているのも可笑しすぎる。
この財布は、その後、芝居の流れで、川の中についうっかり放り投げてしまうことになっていて、そのシーンにたどり着いたときに「そりゃあ、あそこで財布を落としたままにしちゃったら困るわな」と思ったことだった。
そういったアクシデントの笑いはともかくとして、両替商の手代が、50両を盗んだ疑いをかけられた侍に向かって謝るシーンである。
落としてしまったと言い出せなくて、でもまさか侍に疑いがかかるとは思わなかったと泣き伏すのだ。
緩い感じで進んできたお芝居だったはずなのに、このシーンでつい、もらい泣きしてしまった。
多分、侍が、自分にとんでもない疑いがかかる元になった手代の若い男に向かって「誰にも相談できなかったのか。それはつらかったろう」と言い、手代がなお一層泣き伏すというそのやりとりにやられてしまったんだろうと思う。
元が落語だし、絶対に大団円で終わるに違いないと思っていたのだけれど、その大団円を作り出すのが、だめだめ男の魚屋だとは思わなかった。
彼が、長屋の自分の隣に女を囲っている両替商から50両を巻き上げる方法を思いつき、実際にだまくらかし、めでたく50両を手に入れる。その動機が、もちろん侍の窮状を何とかしたいというのもあったのだけれど、それ以上にあの女好きの嫌なやつの両替商をギャフンと言わせてやりたいという、その一心だったのがいい感じである。
多分、お芝居が始まった最初の頃に感じた違和感というか緩い感じというか遠い感じは、27日にあまりにも前の方の席でお芝居を見てしまった反動だったのだと思う。
落語を知らなくても、元ねたが判らなくても、やっぱり楽しいお芝居だったし、大団円で終わるに違いないと信じていてもやっぱりどきどきハラハラして最後まで「で、どうするんだろう」「どうなるんだろう」と前のめりになってお芝居をみてしまったのだった。
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