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2009.05.17

「関数ドミノ」を見る

「関数ドミノ」イキウメ
作・演出 前川知大
出演 浜田信也/盛隆二/岩本幸子/緒方健児
    森下創/窪田道聡/安井順平/ともさと衣
    古河耕史/大久保綾乃
観劇日 2009年5月15日(土曜日)午後2開演
劇場 赤坂RED/THEATER M列13番
料金 3500円
上演時間 1時間50分

 ロビーで書籍が販売されていたようだったけれどチェックしなかった。

 チケットを予約した段階では気がつかなかったのだけれど、この回がビデオ撮影に当たっていたらしい。

 イキウメの公式Webサイトはこちら。

 ネタバレありの感想は以下に。

 思わず家に帰ってきて「ドミノ幻想」とネットで検索してみたけれど、それらしい情報にはヒットしなかった。
 どうもこの「ドミノ幻想」という名称自体が、作者のトリックだったらしい。
 それとも、さらにしつこく執拗に探せば、精神医学界の用語としての「ドミノ幻想」を調べることができるのだろうか。

 最後まで見れば、このお芝居の最初のシーンが心療内科のカウンセリング中だったということがかなり大きな伏線になっていることが判るのだけれど、ともかく岩本幸子演じる大野という心療内科医と、古河耕史演じる「薫くん」と呼ばれる患者との会話から始まる。
 次にカウンセリングを受けた盛隆二演じる土呂と二人が二人して「やりたいことがあるんだ」「見つかったんだ」と言うのも、思えば怪しげだった。

 場面は、このカウンセリング室から始まって、浜田信也演じる左門の部屋や、安井順平演じる保険屋が事故の関係者を集めた会議室風の部屋や、真壁(冒頭に「薫くん」と呼ばれていた男である)らドミノ幻想の実在を証明すべく活動している人々のアジトなどにくるくると変わる。
 だからこそ、机と椅子が奥に、その向こうにドアのようにいくつか出入りできるように切り取られた壁があり、手前の空間には低い椅子が置かれたり片付けられたりする、そういうシンプルな舞台になったのだろう。

 劇中のドミノ幻想は、「世の中は、ツイているある人の思うとおりに、ゆっくりとしたドミノ倒しが起きているように、徐々に徐々に変化して行っている。その知らず知らずのうちに自分の周りを自分に都合のいいように変えて行く力を持った人間をドミノという。どのドミノは、いわば、期間限定の神様である。」という考え方である。
 あり得ない。

 あり得ないのだけれど、自分の心を覗いてみると、「どうして自分ばっかりこんなに運が悪いんだ」と思うことはよくあって(我ながら後ろ向きである)、そこから一歩進めば、「**さんは、どうしてあんなに運がいいんだろう」から「**さんは特に何もしていないのにあんなにいいことばかりが起きていてずるい」になるのは、割と簡単な気がする。
 私の運が悪いのは、あるいは、自分がこんなに辛いのは、ぜーんぶアイツのせいなんだ、と思うのはある意味、これ以上楽なことはないような気がする。そうではないとどこかで知っているからやっぱり楽ではないのだけれど、完全にアイツが悪いと思い込み疑いを持たせない仕組みが「ドミノ」という考え方なんだろう、とは思う。
 それが、このお芝居をつい真剣に見てしまい、何となく落ち着かない思いを味わい、家に帰ってくるなり「ドミノ幻想」なんて言葉を調べてしまうという説得力を生んでいたのだろう。

 もっとも、劇中でも大野の台詞として、精神医療の世界でもネガティブな発想をどんどん突き詰めて行ってしまう状態をドミノと呼ぶことがある、というような解説が入って、少なくとも「ドミノ幻想」が真壁の思うようなものではないということに、一定のブレーキはかけてある。

 逆に、ドミノ幻想を完全に信じる側に付いている、ともさと衣演じる秋山は、「いつか自分にもドミノの順番が回ってくる。だから強く願う。そう思うことで、自分からはドミノだとしか思えない姉を嫌わずに済んだ。」と言う。これはこれで、健全な考え方である。

 緒方健児演じる田宮が、窪田道聡演じる新田が運転する車に轢かれそうになった瞬間、田宮の前に瞬間的に壁でもできたかのように車の方が大破し、田宮が無事だったというまか不思議な交通事故が起きる。
 その事故を目撃した真壁と秋山は、田宮と一緒にいて轢かれそうになった瞬間大声で叫んだ田宮の先輩である左門が、「ドミノ」であり、田宮を救おうとあまりにも強く願ったので倒したドミノと結果を出したドミノが同じだという「ドミノ1個」の状態を作り出したのだと確信する。
 そこまではいいのだけれど、保険会社の担当である横道がその眉唾物の説に乗るところから話はどんどんおかしくなっていく。

 HIVに感染した土呂は左門と仲良くなって左門に「自分の病気が早く治るよう」願ってもらおうとする。
 新田は、左門が車が大破した際に大けがをした自分の彼女を治す義務があると考える。
 土呂の「治療」は、真壁や秋山にとっては、左門がドミノであることを確認するための実験である。
 この荒唐無稽さを支えるのは、どうも横道の存在のような気がする。
 また、横道を演じる安井順平の声がまたいいのである。役者はやっぱり声だよ、と思ってしまう。

 実験が順調に進むにつれ、真壁はどんどんおかしくなって行く、ように見える。
 交通事故を目撃する前から左門のことを知っていて、ずっと恨みに思っていたんじゃないかと思えるくらいである。
 ドミノに接触したらそれだけで自分もドミノの影響を受ける。ドミノが自分はドミノであると確信したら、社会は滅茶苦茶に混乱する。ドミノのいいように社会が変わっていく、ドミノが実現させるモノは「良心」ではなく、「本心」ですらなく、それは「欲望」であると言い出す。
 ドミノが期間限定なんだったら、本人が自分はドミノだと信じたところでドミノではなくなるんじゃないかなーと思いながら見ていたのだけれど、ここで既に私は完全にこの「関数ドミノ」という世界に取り込まれていたのだろう。

 田宮が惚れているらしい大久保綾乃演じる泉ちゃんに対して、左門は特に好意を持っている風ではないのに、泉ちゃんの方が左門に惹かれていく辺りから、どうも左門はドミノではないんじゃないかと思えてくる。
 土呂が下手な策を弄して左門に「HIVが心配だ。治るといいと思う・がんばれ」と言わせ、そのとおり次の検査で陰性という結果が出ても、策を弄した時点で左門自身の欲望であるとは言えないだろうと思える。
 横道が、(どのタイミングだったか忘れたけど)「あーあ、真壁君の予想通りになっちゃったよ」と言った辺りで、疑いはピークに達する。

 そして、全員が左門の部屋に集まり、真壁が新田をたきつけて「左門なんてやっつけちゃえ!」とはしゃぎ、それを秋山が止めようとし、真壁が「どけよ!」と叫ぶと、秋山が倒れる。
 横道が「今まで観察してきたけれど、ドミノは真壁君なんだよ」と諭す。
 「俺ばっかりが貧乏くじを引く」という思い込みが、真壁をここまで連れてきてしまったらしい。
 そして、さらに横道に「最後くらい、ポジティブな奇跡を起こしてくれよ」と半ば呆れ果てられ、真壁は秋山の両手を包むように握り、一心不乱に祈り出す。

 ここで幕である。

 もの凄く後味悪く終わってもおかしくないストーリーだと思うのだけれど、これが意外と後味が悪くない。
 いや、真壁が秋山を救うところまで見せてくれよと思うのだけれど、真壁は自覚した途端にドミノではなくなって秋山を救うことはできなかったという最悪の結末を見せないための配慮なのかも知れないとも思う。

 少なくとも私のネガティブなところをブスブス・ヒリヒリと刺激する内容だし、どんどんエキセントリックさを増していく真壁の様子を見ていると、数ヶ月前まで本当にダメダメなスパイラルに落ち込んでいた自分とオーバーラップするようで、逃げ出したくなる。
 でも、その逃げ出したくなる感情を、どこかで救ってくれるところが、そしてどこで(あるいは誰の台詞で)救われたのか本人に意識させずに救ってくれるところが、私がイキウメのお芝居に惹かれる理由なんじゃないかと思った。

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