「きらめく星座」を見る
こまつ座&ホリプロ公演「きらめく星座 ~昭和オデオン堂物語~」
作 井上ひさし
演出 栗山民也
出演 愛華みれ/阿部力/前田亜季/久保酎吉
八十田勇一/後藤浩明/相島一之/木場勝己 ほか
観劇日 2009年5月23日(土曜日)午後5時30分開演
劇場 天王洲銀河劇場 1階D列25番
料金 7350円
上演時間 3時間5分(15分の休憩あり)
ロビーでは、パンフレット(1000円だったと思うけれど確実な記憶はない)や、ホリプロ公演のDVD、井上ひさしの戯曲などが販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
昭和15年から数年の、東京浅草にある「オデオン堂」というレコード屋を舞台にした、こまつ座のお芝居である。
幕が開いてすぐ、防毒マスクをつけた訓練風景を描いたダンスシーンになっていて、フラッシュのような色の光の中、ストップモーションでマスクを付けた顔を正面に向けられるとかなり怖い。怖いというか異様な感じである。
場面は変わり、久保酎吉演じるお父さんと、その後妻の愛華みれ演じるお母さん、阿部力演じる立派な兵隊になるために体を鍛えた長男と、前田亜季演じる従軍看護婦を目指す長女の4人家族が仲良く暮らしている。
音楽好き・レコード好きのお父さんはもとより、元歌手だったお母さんのキャラが底抜けに明るい。
いい感じの一家である。この一家からどうして軍国青年だの軍国少女だのが生まれるのか、そこのところは今ひとつ判らない。
後藤浩明演じるピアノ好きな学生と木場勝巳演じるコピーライターと、間借り人もなかなかいい感じである。
そこへ、長女が「真実を知りたい」と叫び、お母さん(継母だし、「母」と言いたいところだけれど、この人がどうも「お母さん」という感じなのである)が語ろうとしたところへ、八十田勇一演じる憲兵が現れ、阿部力演じる長男の正一が砲兵としての訓練中に逃げ出したことを告げる。
この憲兵が妙にお母さんの色香に迷いそうなところが可笑しい。
従軍看護婦を目指していた長女は、村八分になりかかっていた家を救うには長女が文通していた傷病兵(600人くらいいたらしい)の中から誰かお婿さんを選べばいいのだと言い放ったときから数ヶ月後、この長女が何を思ったのか、本当にそのとおりの方法でお婿さんを選び、結婚する。
その式の日に、九州の炭坑に潜り込んでいた兄が帰ってくる。
ここで、初めて兄の脱走の真相が語られる。砲弾の音に耐えられなかったのだという。それは、特別に耳のいいこの長男だけのことではなく、砲兵の演習場のとなりに精神病院があるくらい、砲弾の音で精神を病む人が多いのだという。
自分が通っていた高校の近くにあった病院の来歴がこんなところで判明してびっくりしてしまった。
相島一之演じるこの長女の夫は、何というか、ものすごーく軍国主義な人物である。
それも、何というか、(言い方は悪いような気がするけれど)末端の部分で盲目的に上から言われたことを素直に信じ込んでいる感じの軍国主義というのか、悪気はなさそうだし、本人は悪人に見えないのだけれど、それが一番困るというか、社会をおかしな方向に導く思い込みのような感じがする。
お父さんが「君の好きなその軍歌はマーチだ」とか、「その歌は**の引き写しだ」などとからかいたくなるのも判るし、居候のコピーライターが「緑茶は元々中国からきたものだ」とからかいたくなるのもよく判る。
この「からかう」という辺りが、この一家の面目躍如といったところなのではないだろうか。
そしてまた、たまに帰ってくる正一が、脱走兵のくせに輪をかけて脳天気で、大声で歌を歌ったり、堂々とピンとしたスーツでやってきたりするのも可笑しい。
この一家に育って従軍看護婦を目指していた長女も、この一家に育っていたらこういう夫を持つのは幸せじゃないんじゃないかという感じがしたし、夫が自分の両親にもの申す度に、辛そうな、「お父さん、お母さん、ごめんなさい」といった顔をしていたように思う。
そして、この夫が変わったのは、長男を逃がすために「ここには来ていない。誓う。」と憲兵に断言したときだったように思う。
そして、この後の二幕から、何というのか、落ち着いて「いつものこまつ座」を見ている気持ちになったような気がする。
長女の夫は、「変わり」始めるのと同時くらいに、戦争で失った右手の幻肢痛に悩まされるようになる。
病院に行き、「右手を失った事実から目をそらすな」と1時間に渡って治療を受け、その幻肢痛も克服できたと思われたその日、帰りの路面電車の中で軍需工場の経営者と高級軍人との会話を耳にし(でも、それがどういう会話だったかも劇中で話されているのに、どうしてもその内容を思い出せない)、神戸−上海航路の船を下りた正一から「日本人はどうしてこうなんだ」と迫られ、逆にその幻肢痛は致命的なものへ育ってしまう。
その様子を見た長女は、妊っている子どもを殺そうとして大きな石を持ち出す。
その彼女に最初に気づいたのはお母さんだし、本格的に説得したのは居候のコピーライターである。
その「説得」は、人間の広告文を作るとすればどうなるか、という話である。
この宇宙に、地球のような星があり、そこに人間が生まれたということは奇跡である。
だから、人が生まれたことは奇跡だから、人は生きなければならない。
場面転換のたびに、舞台上は一面の星になり、このお芝居が「きらめく星座」というタイトルなのは、このシーンのためだったんだな、と思う。
長男長女の人物像とか、何というか、いつもの「こまつ座」らしくない、という印象を受けることが多かったのだけれど、このシーンと、オデオン堂にいた人々が散り散りになる最後の夜に、ひたすら呑気に明るく強かったお母さんが「私が至りませんでした」と泣き伏すシーンが、このお芝居の究極の「芯」なんだなと納得できた。
だから、意味なく身軽な長男の挙措も、お父さんが咳き込んで「これはお父さんの病気に繋がるのか」と身構えたらそれはどうも演技ではなく役者さん自身の喉の調子が悪かったらしいのも、今ひとつ憲兵らしくない「引っ越しのお近づきにスキヤキを持ってきた」なんていう挨拶も、全て「あり」のような気がしてくる。
そして、お母さんを演じた愛華みれを私は初めて舞台で拝見したように思うのだけれど、彼女の歌声と、全体から醸し出される雰囲気がこのお芝居を成功させた何より大きな力だったのではないかと思う。
何だか、ファンになりそうである。
彼女の主演で「紙屋町さくらホテル」を上演して欲しいなと思ったのだった。
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