「六月大歌舞伎」を見る
歌舞伎座さよなら公演 六月大歌舞伎(夜の部)
演目 一、門出祝寿連獅子 四代目 松本金太郎 初舞台
出演 金太郎/染五郎/幸四郎
芝雀/福助/松緑/高麗蔵
友右衛門/魁春/梅玉吉右衛門
演目 二、極付幡随長兵衛「公平法問諍」
出演 吉右衛門/仁左衛門/歌昇/福助
染五郎/松緑/松江/男女蔵
亀寿/亀鶴/種太郎/玉太郎
児太郎/由次郎/家橘/友右衛門
歌六/東蔵/梅玉/芝翫
演目 三、梅雨小袖昔八丈 髪結新三
出演 幸四郎/歌六/福助/染五郎
高麗蔵/宗之助/錦吾/家橘
萬次郎/彌十郎/彦三郎
観劇日 2009年6月20日(土曜日)午後4時30分開演
劇場 歌舞伎座 1階10列11番
料金 16000円
上演時間 4時間50分(15分、30分の休憩あり)
知り合いのお姉さんにチケットを取っていただいて、見に行ってきた。
初歌舞伎座である。
イヤホンガイド(650円+保証金1000円)の助けも借りつつ、席も前方の花道の近くというこれ以上ないくらいのいい席で、とても楽しめた。
感想は以下に。
私は、まず最初の「門出祝寿連獅子」は踊りだと信じていたのだけれど、そうではなくて、お芝居なのだった。しかも、松本金太郎初舞台のための書き下ろしだという。
歌舞伎役者の初舞台というのは、「そのための」演目を用意するものなんだろうか。びっくりしてしまった。
チケットを取ってくださったお姉さんは15日にも見に来ていて、2回目だったのだそうだ。
私が待ち構えていた祖父・父・金太郎の親子三代による連獅子は、どうみても父である染五郎の獅子がその勢いも回しっぷりもダイナミックで見事なのだけれど、視線はついつい金太郎の赤い小さな頭に向かってしまう。
お姉さんが言うには、「月曜にはあんなに回せてなかった。5日間でこんなに進歩するなんて!」ということだった。
お芝居のところどころで祖父と父の手を借りつつ、ドンと舞台を踏みつけ、片足で跳び、その愛らしさで観客の視線を一身に集める。
もう一つ印象に残っているのは、お芝居の途中、出演者一同がずらっと並び、襲名の口上とお祝いの口上を次々と述べていくところである。
歌舞伎役者さんってずいぶんと早口なんだな、しかもみんな声が高いな、歌舞伎っぽい口調を残しつつ笑いを取るって大変だな、これは毎日同じ口上を述べているんだろうか。
そんなことが気になってしまった。
福助が「20年後には金太郎の相手役を務めたい」と言っていたのは、これはもうお約束というものだろう。
次の極付幡随長兵衛「公平法問諍」は、ひたすら吉右衛門の格好良さを堪能する舞台である。
お姉さんの「判りにくかった」という忠告があったので、歌舞伎をよく見ているお姉さんが「台詞が聞き取れなかった」と言うくらいなら、私など全く判らないに違いないとイヤホンガイドを借りておいて正解だった。
お姉さんにパンフレットともお借りして、その両方の助けを借りてやっと判ったというところである。
しかも「筋が判った」というだけで、多分、楽しめてはいなかったに違いない。
このお芝居では、罠と知りつつ仁左衛門の屋敷に出向こうとする吉右衛門の袖にすがる小さな息子が出てくる。
この子を見ながら「金太郎の次の役はこれか?」などと考えてしまった。
「門出祝寿連獅子」では大せりが使われていたのだけれど、この極付幡随長兵衛「公平法問諍」では、仁左衛門の屋敷で手合わせなどと言われて次々襲いかかられた吉右衛門がみんな倒してしまい、一計を案じた仁左衛門は吉右衛門の着物にお酒をこぼさせて、吉右衛門に入浴を勧める。
そうなれば、吉右衛門は丸腰にならざるを得ないから、仁左衛門の有利は動かないというものである。
その仁左衛門の屋敷の座敷のシーンから、いよいよ吉右衛門最期の場になるだろう総檜のお風呂場への場面転換に回り舞台を使っていて、「こうした緊迫感のある場面で使われていた」というイヤホンガイドの解説を聞いて、なるほどと思ったのだった。
それにしても、歌舞伎座の回り舞台は相当に大きかったような気がする。
休憩時間に花道の下をくぐったのも楽しかった。
新しい歌舞伎座にも、この花道の下をくぐる通路は作られるのだろうか。
最後の梅雨小袖昔八丈 髪結新三は、一点、松本幸四郎の色悪(という言葉があっただろうか)の魅力を堪能すべしという舞台である。
吉右衛門の判りやすい格好よさが際立つ演目と並べるというところがミソなんだろう。
しかし、この演目では、可笑しみを感じさせるシーンが多いからなのか、演じている幸四郎の色なのかは判らないけれど、ある意味「内輪ネタ」な感じの台詞がぽんぽん飛び出していて、それが意外な感じだった。
歌舞伎とアドリブというのは、私には何だか似つかわしくない組み合わせなのである。
材木問屋のお嬢さんを勾引したのに「付いて行きたいと泣かれたんだ」と嘘をつき、100両もせしめようとした幸四郎が悪い嫌なやつなのは確かなのだけれど、この新三の腕に入れ墨が入っていることを知りながら長屋に住まわせいざというときにお金を巻き上げてやろうとする大家の彌十郎だって、相当に嫌な業突く張りのじいさんだし、この新三の説得に失敗したからって殺しちゃおうとする弥太五郎源七親分だって問題なしとは言えないだろう。
この勧善懲悪ではない感じが、多分、判りにくいのだと思う。
判りにくいといえば、最後のシーンで、弥太五郎源七の刀の切っ先が新三の肩に触れるか触れないか、新三が倒されたということを「暗示」して、実際に殺されたり苦しんだりするシーンは見せず、芝居がおつもりになった口上を述べてこのお芝居の幕はおりる。
この「暗示して」というのも、イヤホンガイドがそう言うからそうなのかと思うけれど、説明されなかったらとてもじゃないけれど判らない。
きっと、どうして尻切れとんぼで終わってしまったのかと、後々まで悩んだことだろう。
そういえば、気のせいかもしれないのだけれど、歌舞伎座の客電は、舞台上が夜だったり雨だったり暗いシーンの場合は暗くなり、昼のシーンだと明るくなってはいないだろうか。
何となくそんな感じがしたのだけれど、確信は持てなかった。
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