「マティスの時代」展に行く
先週末、2009年4月21日から2009年7月5日まで、ブリジストン美術館で開催されている「上マティスの時代」展に行って来た。
マティスという画家はそれほど好きではないし、しかも、モディリアニの描く絵と区別がつかないわー、などと不埒なことを考えてしまうくらい全く造詣がない。「深くない」とか「浅い」というのではなく、「ない」のである。
ブリジストン美術館には一度行ってみたかったし、こういう機会でもなければマティスの絵を見に行くということもないだろうと、流れのままくっついて行った。
そんなわけで、4人で行ったのだけれど、私1人がかなりのペースで見て回ってしまい、じっくり見たかった人を急かしてしまったのじゃないかと反省している。
マティスについて「フォーヴィズム運動の中心になった」という説明をしつつ、そもそもフォーヴィズムの画家たちはみんなで集まって一つの潮流を作ろうとはしていなかった、という説明も書かれているのが可笑しい。
恐らく、それはそのままその通りで、マティスという存在は運動の中心だったけれど、マティスという人もその他の人たちも運動をするような人たちではなかったのだろう。
マティスの絵と言えば「どこを見ているのか判らないベタ塗りされた目の物悲しそうな女の人の絵」という印象しかないのだけれど、その「どこを見ているのか判らない目」も、モチーフとしてしばしば描かれる「建物の内側から見た窓」も、マティスの絵が開かれていること、マティスの絵は「ここではないどこか」のもう一つの世界を示していることが、そこから感じ取れるという解説も面白かった。
どちらかというと、私には虚ろな印象しかなかったので、意外な感じもした。
展示されている中では、塗りつぶされた目だけれど比較的焦点が合っている「縞ジャケット」というマティスの娘のマルグリットを描いた絵と、「ジャズ」という白と青の切り絵細工のような絵が好きだった。
もっとも、一番印象に残ったのは、ピカソの「ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙」というタイトルの、暗い、デザインのような、不思議な感じの絵だった。
一緒に行った友人が「友達が、マティスの絵って、うちの子供が描いたような絵よねって言っていたのが可笑しかった」と言っていたけれど、それはどうもマティスという人が、一度写実的に描いた絵をどんどん抽象化するといえばいいのか、簡略化していくといえばいいのか、そういういくつもヴァリエーションを変えて、絵の完成度を高めて行ったことを表現したものらしい。
私には、やっぱりよく判らないのだった。
マティス展の後、常設展示の絵がたくさんあって、そちらを見終わる頃にはマティスの絵のことなど忘れてしまっていて、もう1回、駆け足で巡ってしまったくらいだった。
ブリジストン美術館では、解説などは壁に直接文字が張られていて、白地の壁にくっきりした黒の文字は見やすい。
その他に、時代ごとに展示室が分かれているのだけれど、その時代に一番ふさわしい本人や周りの人の「これぞ」という発言や文章が壁の上の方に貼られていて、それも洒落ている。
展示の方法に工夫する美術館なのだということが判った。
展示室の途中に、画集(なのか、画家についての読み物の本なのか)がディスプレイされ、パソコンが何台か置かれているコーナーがあった。
時間に余裕があったら、ちょっと寄ってみたかった。
ブリジストン美術館には、ジョルジェットというティールームが併設されていて、そこでお茶をして帰った。
同じテーブルになった友人はチョコレートのミルフィーユとアイスコーヒーのセット、私は紅茶のババロアとシトロンブレッセ(聞いてみたらレモネードのような飲み物です、ということだった)のセットを頼んだら、スイーツはシェアできるように順番にお持ちしましょうか、と聞いてもらえた。
こんなことを聞いてもらったのは初めてだと思ったのだった。
雰囲気のいいカフェで、また行きたいと思った。
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