「桜姫」を見る
「桜姫」Bunkamura20周年記念企画 −ふたつの趣向で魅せる2ヶ月−
原作 四世鶴屋南北
演出 串田和美
出演 中村勘三郎/中村橋之助/中村七之助
笹野高史/坂東彌十郎/中村扇雀 他
観劇日 2009年7月21日(月曜日)午後0時開演
劇場 シアターコクーン 2階A列28番
上演時間 3時間5分(15分の休憩あり)
料金 13500円
2009年7月9日~7月30日 シアターコクーン
料金 一等席 13500円 二等席 9000円 三等席 5000円
ロビーでは、パンフレットやTシャツなど定番のグッズの他に、人形焼きや歌舞伎関連の書籍、手ぬぐいなどなどが販売されていた。
この公演に限り客席内での飲食OKにしていたし、それに伴って売店のメニューもかなり豊富に取り揃えられていたし、そういう側面からも「歌舞伎」の雰囲気を出していこうということだろう。
ネタバレありの感想は以下に。
舞台上の高い位置にベンチシートをしつらえたのは、6月の現代版桜姫と同様である。
今回は舞台の床面が木目だったけれど、6月のときは白かったのじゃなかったろうか。今ひとつ覚えていない。今回も2階席から見下ろしたから目についたというだけのことである。
そのベンチシートの下から役者さん達が出入りできるようになっていて、平成中村座のときと同じ、白と柿と黒の三色の幕がかけられている。歌舞伎座ではこれが、白の代わりによもぎとなる。確か、この幕は中村座独特の配色だったような気がする。
ところで、幕開けのシーンは、そのベンチシートの奥だった。
勘三郎の清玄がベンチシートの最後列に登場する。
しかし、これが見えないのである。
舞台上方に、昔っぽいといえばいいのか、瓦屋根っぽいといえばいいのか、大量の照明を仕込んだその目隠しに屋根の部分だけを吊ったようにしてあったのだけれど、ちょうどその奥になって、全く姿が見えないのである。
仮にも一等席として販売しているのだから、こんなに判りやすい「見切り」のままにするなんて酷すぎると思ったのだった。あと1m、フェイクの屋根を上げてくれれば、ちゃんと見えたと思う。
最初のシーンだけならともかく(それでも登場の重要なシーンの演技がほとんど見られないのはどうかと思うが)、その後も何回か同じ場所を使っているのだから、あんまりである。
そんな風に出鼻をくじかれた感じではあったけれど、当然のことながら、物語はさくさくと進む。
冒頭で、清玄と小姓の白菊丸との因縁を見せたところからして、現代版とは「違う」舞台になっているようである。
どちらかというと、ストーリーはそのままに、場所だけ移したのかと思っていたので、現代版桜姫がいかに歌舞伎版桜姫と違っているかと逆に思い知ることになった。
というか、現代版桜姫と歌舞伎版桜姫は、違う物語なのではなかろうか。
どちらがどうとは言えないのだけれど、どうも、この2つの「桜姫」はテーマが違っていたように思えるのだ。
ちなみに、現代版と歌舞伎版の両方に出演していたのは勘三郎と笹野高史だけだと思う。
勘三郎は、歌舞伎版では清玄(現代版では白井晃がセルゲイとして演じていた)、現代版ではゴンザレス(歌舞伎版では橋之助が権助として演じていた)を演じている。
そういえば、この役名を見て、清玄をセルゲイとしたかったから、現代版の舞台は南米となり、登場人物達はみなスペイン風の名前になったんじゃないかと思ったりもした。
一方の笹野高史は、両方のバージョンで狂言回しを演じていた。でも、現代版の方は、上から目線のちょっと「神」っぽい狂言回しだったのに比べて、歌舞伎版ではどこまで行っても狂言回しで舞台上の世界には関わりませんというスタンスに見えた。
それで、現代版では「ひたすらセルゲイが堕ちる話」に見えたのだけれど、どうも歌舞伎版は誰一人として「堕ちて」いないように見えるのが困る。
清玄は、何というか、「元々堕ちていたのによくごまかして紫衣なんて着ていましたね」という感じに見える。私が歌舞伎の台詞を聞き慣れていないせいかもしれないのだけれど、「聖人として崇められていました」という感じがまずしない。
カトリックの世界には本当に「聖人」といわれる人がたまに出現するけれど、仏教の世界では大概がテキトーなことしかしていない、というステレオタイプな発想に私が支配されているからだろうか。
桜姫の方も、これまたどうしても「堕ちて」いるようには見えない。
権助と一緒になって、遊郭に売り飛ばされてしまい、口調まで「お姫様」から伝法になっていたけれど、どうも「堕ちた」という感じがしないのは何故だろう。姿形が崩れないからだろうか。
そして、この2人が堕ちて行かないとなると、どうも現代版桜姫とは違う話のような気がするのだ。
とはいうものの、さてそれでは、歌舞伎版桜姫がどういうお話なのかといわれると、どうもピンと来ない。
物語の終盤、権助が桜姫の父の仇であると判るところは同じなのだけれど、現代版の桜姫はどうもそのことを元々知っていたような、知っていて黙っていたような、どこか達観した様子を見せたのに対して、歌舞伎版の桜姫は「驚愕の事実」という感じで自分の父を殺した(そして、その後の自分の運命を大きく変えた)自分の夫を思い切りよく殺してしまう。
現代版桜姫では大竹しのぶ演じたマリアが時々狂言回しを兼ねていたせいもあって「実は何もかも知っている」という風情を醸し出していたところもまた、ポイントだったようにも思う。
また、どうも歌舞伎版桜姫では、清玄と権助が兄弟だというところが大きなポイントになっているようなのだけれど、どうしてそこがポイントになるのかがまた判らない。
そういうわけで、舞台の終盤、ひたすら「これは違う物語だ」「これは違うお話だ」と思っていたのだけれど、どう違うのかはよく判らないままになってしまった。
色悪というのか、「悪いけど魅力的な男」を演じているときの橋之助はかなり格好いい。着物をからげたときに見せる足がまた美しい。
七之助の桜姫も美人。実は歌舞伎で演じられる女性はなかなか「綺麗」と思うことは少なかったりするのだけれど、この桜姫は、普通に「あら、美人」と振り返りたくなる感じだった。しかし、七之助はかなり身長があるのではなかろうか。鬘のせいもあるだろうけれど橋之助よりも高いくらいに見えた。女形としてはちょっと損をしてしまうんじゃないかと、余計な心配をしてしまった。
余計といえば、雨のシーンはいらなかったような。
お約束で、派手な演出がなければコクーン歌舞伎じゃないというところもあるのかも知れないけれど、無理に入れて流れを切ってしまうことはないんじゃないかという感じがした。
結局、判らなかったのだけれど、でも、現代版と歌舞伎版の両方の、実は全く別物の「桜姫」を見られてよかったと思う。
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