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「奇ッ怪~小泉八雲から聞いた話」
構成・演出 前川知大
出演 仲村トオル/池田成志/小松和重/歌川椎子
伊勢佳世/浜田信也/盛隆二/岩本幸子
観劇日 2009年7月4日(土曜日)午後7時開演
劇場 シアタートラム E列19番
料金 5800円
上演時間 2時間5分
シアタートラムのロビーは狭くて、おにぎりを買って行っても食べる場所がないと何となく思い込んでいたのだけれど、それくらいのスペースはあって、椅子がいくつか並んでいた。覚えておこうと思う。
そのロビーではパンフレット(記憶が定かでないけれど、1000円か1200円のどちらかだったと思う)が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
小泉八雲が収集した怪談を、どこぞの山奥にあるお寺を旅館に作り替えたといういかにも曰くありげな旅館で執筆活動を続ける小説家と、そこに温泉にでも浸かって帰ろうと立ち寄った男2人がかわるがわるに語ってゆくという趣向に仕立ててある。
こう言っては何だけれど、構成・演出の前川知大にしては、割とオーソドックスな作りなのではないだろうか。
語られる怪談が5つあるのだけれど、その早いうちに、怪談と現実がリンクしているんだろうなということが察せられるようになっている。
舞台セットはずっと同じで、旅館の一室、仲村トオル演じる小説家が執筆を行っている部屋である。
小説家はずっと浴衣姿で、池田成志と小松和重演じるやってきた男2人は普通のカジュアルな旅行者の格好である。
途中でやってきた男2人は温泉に入って浴衣姿に変わるけれど、基本的にはこの姿のままで様々な怪談を語り、登場人物となって演じる。
白とベージュを基調にした「いかにも旅行者です」という格好の小松和重が最初の「常識」という怪談でいきなり徳高い僧侶となってお経を上げ、カジュアルフライデーは苦手ですといった格好の池田成志がそのままの格好でぼくとつな漁師になったときには唖然としたけれど、割とすぐ気にならなくなったのは、この2人のたたずまいと声の力の為せる技だと思われる。
特に、この2人の俳優さんを見ていると、俳優はやっぱり声だよ、という感じがとても強くした。
歌川椎子演じる旅館の仲居は、ほぼずっと仲居さんっぽいエンジの着物に紺の帯姿である。
一度だけ語り手になり、一度だけほんの少し怪談に登場するけれど、彼女はほとんど「現実」にいる登場人物である。
多分、彼女はそういう「現実」という記号を持った登場人物で、小説家に実は刑事だった2人組という非日常な登場人物達を、リアルに存在させるためにどうしても必要だったのだろうと思う。
浜田信也と盛隆二は、逆に、怪談や小説家と刑事達が語るエピソードの中に、髪型は同じだけど衣装は変えて登場してくる。
逆に彼らは、非日常の世界に観客を引っ張り込むための装置として(という言い方はどうかとも思うけれども、あくまでも役割としてということである)機能しているのだろう。
そういえば、現実と怪談とのリンクというところから見ると、最初の「常識」という怪談は少し浮いていて(私が気がついていないというだけかもしれないけれど)、「破られた約束」という怪談で「見立て」であることを気づかせ、「茶碗の中」からいよいよ本題に入って行くという風に構成されている。
最初に怪談の世界に持ち込むのが小説家で、それを受けたのが先輩刑事の池田成志、いよいよ本題の殺人事件に話を進めるのが検死官の小松和重というのも、やはり「仕掛け」という感じがする。
2人の刑事は遺体安置所から消えた女子高生の死体を探していて、その彼女の生前の足取りを追っていたらその旅館にたどり着き、検死官が「茶碗の中」に見た男の顔が小説家の顔とそっくりだった、というところで話が急展開する。
そういえば、この話も検死官が体験した現実の話として語られていて、怪談としては語られていない。今思い返すと、このお芝居に小泉八雲が収集した怪談の部分はものすごく少なかったのかもしれない。
舞台は作られるものなのだけれど、何だかこのお芝居は「仕掛け」という感じが強く漂うのがポイントでもあれば弱点でもあるような気がする。
小説家が自分の過去を語る「お貞の話」は、そういえば小泉八雲が収集した怪談そのものではなかったのかも知れない。
それは現実に小説家の身に起こった話で、20年近く前に亡くなった彼の恋人と、最近旅館に家族旅行でやってきて自殺し遺体安置所から遺体が消えた女子高生とが、生まれ変わりなのか解離性同一性障害なのか、という話である。
もし「お貞の話」という怪談があるのだとしたら、それはどういうストーリーだったのだろう?
生まれ変わりとか、そういうことをテーマにした怪談だったのだろうか。
最後の「宿世の恋」というお話は、仲居さんが「歌舞伎で見た」と言い、小説家が「歌舞伎にもなっていますが落語で有名です」と言うだけあって、私でも知っていたストーリーだった。
ここで死んでしまったのに恋しさのあまり毎晩尋ねてくる伊勢佳世演じる旗本の娘と、岩本幸子演じるそのお付きの女が、よーく考えると一番怖い。
ここで、怪談から始まって現実の世界に浸食していた世界が、一度、怪談に揺り戻されて、そして、一気に破裂する。
せっかく7日間連続して旗本の娘の死霊を退散させ、あとこの夜を乗り切れば彼女は極楽に行き、彼は日常生活に戻れるというところで、彼はやっぱり自分も女の棲む世界に行くと決めて、お札で守っていた結界を断ち切る。
そうして、その「場」は崩壊し、気がついたときには廃墟となった寺に刑事2人だけが残されている。
すべては、いわば心中した小説家と女子高生とが、一緒に葬ってもらいたい、誰かに見つけてもらいたいがために打ったお芝居であり、幻想であったのだ。
見ているときは、割とあっさりと「うんうん、予定調和だね。判りやすいよ。」と思っていたのだけれど、こうして展開を追ってみると、その場で私が思っていたよりもずっとたくさんの仕掛けが施されていたことが判る。
その仕掛けに気づかせないところが、やはり構成・演出の力なんだろう。
何だか、別に勝負をしたわけではないのだけれど、負けた気分である。
ちなみに、「怪談」だけれど、それほど怖くはなかった。
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コメント
イネさま、初めまして&コメントありがとうございます。
そして、ごめんなさい・・・。
自分で書いた感想を読んでも、果たしてどんなお芝居だったのか、全く頭の中に浮かんで来ませんでした・・・。
世田谷パブリックシアターのサイトで見たら、おっしゃるとおり、ポスターに登場するお三方の後ろに狐が浮かび、襟巻きのように狐の尻尾が垂れていますね。
どうも私は「狐」というイメージを全く無視してこのお芝居を観ていたようです。お恥ずかしい・・・。
またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2017.02.21 23:03
はじめまして。
古い作品ですのに、今ごろになって申し訳ありません。
最初の「常識」はこの作品世界が「幻覚ばっかり見せる狐」の
結界の中にあることを提示しています。だから、ポスタービジュアル
にも狐のシッポが。
死者の思いが成就したとき、結界は解け、姿を消した「中居さん」は
妖狐の眷属かあるいは狐そのものかも。
投稿: イネ | 2017.02.21 12:05