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2009.09.13

「トリツカレ男」を見る

アトリエ・ダンカン プロデュース 音楽劇「トリツカレ男」
原作 いしいしんじ(新潮社刊)
脚本 倉持裕
演出 土田英生
振付 小野寺修二
音楽 青柳拓次/原田郁子
出演:坂元健児/原田郁子/浦嶋りんこ/尾藤イサオ
    小林正寛/尾方宣久/江戸川卍丸/大熊隆太郎
    榊原毅/鈴木美奈子/中村蓉/藤田桃子
観劇日 2009年9月12日(土曜日)午後2時開演
劇場 天王洲銀河劇場 K列10番
上演時間 2時間25分(15分の休憩あり)
料金 7000円

 e+でチケットがほぼ半額で売られていたのを知って、前から気になっていたことでもあり、チケットを購入して行ってきた。

 ロビーでは、CD付きのパンフレットが2500円、カード付きのパンフレットが1500円で販売されていた。その他、原田郁子のCDなども販売されているようだった。

 ネタバレありの感想は以下に。

 アトリエ・ダンカンの公式Webサイト内、「トリツカレ男」のページはこちら。

 原作の「いしいしんじ」という名前に聞き覚えがあると思っていたのだけれど、お隣に座った方のおしゃべりから、演劇集団キャラメルボックスで何年か前にこの「トリツカレ男」が舞台化されていたことを知った。多分、それで記憶に残っていたのだろう。
 原作は読んでいないのだけれど、キャラメルボックスで上演されていたというのだからハッピーエンドなんだろうと安心して見始めた。

 キャラメルボックスでの舞台化のときは、主人公ジュゼッペの職業はレストランのウエイターだったらしい。今回は、坂元健児演じるジュゼッペの職業は職安の職員だった。
 この違いは、今回の舞台化に当たって、世相を反映させたということなんだろうか。
 倉持裕と土田英生の組み合わせだと、それくらいの捻りは普通に加えそうだというイメージがある。

 音楽劇ということで、舞台下手にパーカッションやキーボード、ギターなどをコンパクトにまとめて青柳拓次が一人で控えている。
 上手側にはピアノが置いてあって、こちらを演奏するのはヒロインのペチカも演じた原田郁子である。正直、彼女の歌声や歌い方は音楽劇向きじゃないんじゃないかと思ったりしていたのだけれど、終わって見ると、逆にミュージカルじゃなくて音楽劇だから彼女だったのかなという感じがした。
 この音楽劇の雰囲気を「ひたすら明るく爽やか」ではないところに落ち着かせたのは彼女の力だと思う。

 逆に、坂元健児はひたすら明るく爽やか元気に歌って動き回る。
 こちらは、私の勝手なイメージかも知れないけれど、正統派のミュージカルにばっちりとはまっている。
 浦島りんこの歌声も、どちらかというと(歌い上げるタイプの)ミュージカルのイメージにばっちりとはまっている。
 普通だったら主流派になるだろうこの2人が何故か少数派というか異質に見えるのは、やはり、音楽を担当した青柳拓次と原田郁子が舞台の核を作っていたからなんだろう。
 この落差がポイントだったのかも知れない。

 落差といえば、青柳拓次と原田郁子の音楽や、尾藤イサオのツイスト好きの親分というどこかど真ん中を外した感じと、アンサンブルのやけに質高く揃った感じとの醸し出す雰囲気の違いも面白かった。
 このアンサンブルの特にダンスは何だかやけに目を惹かれる。
 衣装はずっと黒の上下で、でも少しずつ違っていて、その上からエプロンのように白衣をかけたり、カラフルな衣装をかけたりして、場面場面で違う役どころになって踊る。
 そのダンスが、場面転換を完全に「見せ場」にしちゃっているくらい洗練されていて、ついつい凝視してしまった。

 尾方宣久演じるネズミが出てきたときには、一体どうなるんだろうと思ったのだけれど、このネズミの存在はなかなか楽しい。ネズミが本当に話しているのか、ジュゼッペが何かを投影させてネズミの言葉はジュゼッペにだけ聞こえているのか(どうも後者のような気がしたのだけれど、ジュゼッペはネズミの品種改良に熱中して言葉を話すネズミを作り出したなんていう台詞も出てくるので混乱する)、微妙なところではあるけれど、どちらにしても、あくまでも最後までジュゼッペの味方なところがいい。
 ファンタジーの部分には悪意は持ち込まないというのはお約束である。
 しかし、このネズミにペチカの様子を探らせるというジュゼッペのやり方自体はどうなんだ、とまじめに突っ込んでしまう。せっかく明るく爽やかキャラだったのに、肝心の恋愛の始まりでそういう姑息な手段を執るというのはどうなんだ、と思うのだ。

 それはともかく、後半になって「ジュゼッペがペチカに恋をする」という辺りからやっと物語が動き出す感じがする。
 それまでは、「ジュゼッペのトリツカレ振り大公開!」という感じだったのだ。
 ペチカが実は亡くなった婚約者をずっと慕っている、死んだということを知っているのに手紙を書き続けているという辺りから、物語が物語らしく動き始める。
 で、ジュゼッペとペチカって一体何歳くらいという設定なんだろう、という疑問も大きくなるのだけれど、それはまあいいとしよう。

 小林正寛演じるペチカの元婚約者のタタンは、中学生(高校生だったかも)のアイスホッケーのコーチをしていたのだけれど、雪山のロープウエイの事故で亡くなっている。
 そのことを知ったジュゼッペは「アイスホッケー」にトリツカレて街の子供達に教え始める。
 タタンが10連覇を賭けて「大食い選手権」に出るはずだったと聞けば、自分も大食いにチャレンジし始める。
 ネズミは「ペチカにトリツカレていたんじゃなかったのかよ」とその情報を与えたことを悔やむのだけれど、実は、ジュゼッペはタタンの振りをしてペチカの前に立つことを狙っていたのだと判る。当然、ネズミはさらに悔やむわけだ。

 この場合、ネズミが正しい。
 ネズミが絶対に正しいと思うのに、何故かそこにタタンの幽霊が現れて、ジュゼッペに「君はペチカと僕にトリツカレていたんだ」などと言い出すのである。
 この激しいご都合主義は何なんだ?

 でも、この激しいご都合主義と同時進行でペチカが自分の母親のぜんそくを治してくれたのはジュゼッペだということに気がついて、ジュゼッペに会いに自分の家に戻る。
 そこで、タタンになりきろうとしているジュゼッペと顔を合わせる。
 どういう心境だかジュゼッペが演じるタタンをタタンだと信じていたペチカが、ジュゼッペをジュゼッペと認識する。

 そんな簡単に方向が正されていいのかと思いつつ、これはスイッチのように「泣き」ツボを押されているだけなんだという気もしつつ、あっさりとそこに捕まってしまう自分がかなり悔しい。
 しかも、どうしてそこが「泣き」ツボだったのか、今になって考えてもよく判らないのだ。
 もしかして、雰囲気に負けただけなのか。

 最後、ジュゼッペはロープウエイから飛び降りるときに生徒のことしか考えずペチカのことを考えられなかったタタンの代わりに、ペチカの名前を呼びながら屋根から飛び降りる。
 ここも違うだろ−! と思った部分である。
 結局、ジュゼッペはタタンの身代わりを務めているではないか。ここはそうじゃなくて、ジュゼッペがジュゼッペとしてペチカに告白するというのが正しい「正し方」なんじゃないかという気がしてしょうがなかった。
 取り戻せない過去を取り戻した振りをして大団円というのは納得がゆかない。

 物語に文句をつけても仕方がないわけで、その後、トリツカレ男のジュゼッペは他の何かにトリツカレることなく、ずっっとペチカにトリツカレたまま幸せに暮らしましたとさ、で幕である。
 この後日談をネズミに語らせるところがまたなかなかよい。

 何だかんだ文句を言いつつも、結構カタルシスを味わえて、何だかすっきりした。

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