昨日(2009年10月23日)、2009年10月6日から11月3日まで、東京国立博物館で開催されている御即位20年記念 特別展「皇室の名宝―日本美の華」の第1期に、職場のお姉さんと2人して仕事をサボって行って来た。
この日は職場の親睦会が上野で開催されることになっており、せっかく上野に行くなら、その前に何か見ようよという話になったのだ。
金曜日なので午後8時まで開館しているのだけれど、親睦会開始の時間に併せ、午後5時から7時まで鑑賞した。これで、かなりギリギリ(というよりも、最後のお部屋はほとんど駆け足)になった。
平日の午後5時以降でかなり混雑していたので(伊藤若沖の掛け軸の前などは3重くらいに人が重なって見ていた)、これが昼間や休日となればさらに時間の余裕を見ておいた方がいいと思われる。
この特別展は、皇室に伝わる御物、宮内庁所蔵の作品の中から、特に優れた選り抜きを集めて開催されているようだ。
11月3日まで開催されている1期は、江戸時代から明治時代までの絵画(それはつまり屏風と掛け軸である)と、工芸品(花瓶が多かったような気がする)が中心となっている。
ちなみに、11月12日から11月29日まで開催される2期は、古代から江戸時代までの考古、絵画、書跡、工芸品が展示される。
時系列に並べればいいのに、と余計なことを考える。
今回見た中では、狩野永徳の唐獅子図屏風、海北友松の浜松図屏風などの近世美術の名品が必見で、さらには伊藤若冲の動植綵絵三十幅、横山大観の朝陽霊峰、鈴木長吉の銀製百寿花瓶、川之邊一朝の菊蒔絵螺鈿棚など帝室技芸員による近代の美術の力作が揃っていたのだそうだ。
この書き方でバレバレだと思うのだけれど、私はきっぱりと今回出展されていた絵を描いたり、花瓶や置物を作ったりした人にも、その作品にも全く触れたことがない。
見たことがないのはもちろん、聞いたこともない。
この特別展を勧めてくれた方に「伊藤若沖って聞いたことない? 軍鶏の絵とか絶対に見たことがあると思うわ」と言われたのだけれど、キッパリと名前を聞いたこともなかったし(あるいは聞いたことがあっても忘れ果てていたし)、軍鶏の掛け軸を見ても「これ見たことある!」などとは全く思わなかった。
そんなに離れた場所に展示されているわけでもないのに、オペラグラスを持参してじっくりと見ていた方も多かった中、こんな阿呆が見に行ってしまって、申し訳ないくらいである。
そして、口にする感想も阿呆である。
「この鳥は何だろう?」「雁じゃない?」「見た目は雀だよ」「タイトルがある!」「群雀って書いてあるからやっぱり雀だよ」「そうだったのか! じゃ、隣は?」「うーん、だめだ、小禽で片付けられている!」
ちなみに、この会話は伊藤若冲の動植綵絵三十幅を見ていたときのものである。
お姉さんに「狩野永徳じゃない。やっぱり凄いわ。でも、私は孫が描いた方が好きだな」と言われ、私が適当にうなずいたのは、心の中で「狩野派ってよく聞くけど、下の名前は意識したことないよ〜。狩野派の中でもこの永徳って人は有名な人だったのか・・・。」と思っていたからである。
唐獅子図屏風というこの作品が、他の取り澄まして描き込まれた作品に比べてずっと「おかしみ」を感じさせたのは何となく判ったのだけれど、それ以外の感想が浮かびようもないのだ。
「あ、知ってる名前が出てきた。酒井抱一は知っているでしょ?」と言われて、「知りません」とキッパリ答えられるのが私のいいところ(というか、図々しいところ)である。
お姉さん、ごめんなさい。
さらに、「さっきの伊藤若沖の作品よりも小さいから、こっちならうちの床の間にもかけられそうな気がする。この中だったら、「十月 柿に小禽図」が欲しいなぁ」などとさらに阿呆な感想を述べるのだから、お姉さんも一緒にいてさぞ恥ずかしかったに違いない。
大体、屏風を見ながら思っていたのは概ね「これってやたらとでかいなぁ。貼ってある金箔だけでも相当の量が必要だよな。皇居(あるいは宮城なのか)というのはこんな屏風がおけるほど天井が高かったのかしら。そもそも実用品ではないから、絵としての大きさは気にしても使うときがあるなんて想定しないで作られているのかしら。この屏風を枕元に立てて寝たら落ち着かないだろうなぁ。しかし、今の私の日常生活で屏風を見るのは、おひな様を飾るときくらいだぞ」ということだった。
その中でも激しく大きかったのは、描いた人の判らない世界地図と世界の民族衣装を着た人々と都市の外観(シムシティの地図のように見える)を描いた屏風と、横山大観(今回の展示品の作者の中で、唯一私が自信を持って「名前を知っている」と言える人である)の「朝陽霊峰」だったと思う。
「朝陽霊峰」の方は、「十月 柿に小禽図」と並んで欲しかったのだけれど、これはミニチュアにしてしまってはよさが消えてしまう、と思い断念した。
いや、あと1人、確実に名前を知っている作者がいた。
葛飾北斎である。
展示されていた中では格段に小さい掛け軸だったのが印象に残っている。
そして、題材がスイカで、淡彩の淡いタッチで描かれているのに、そのスイカの上に包丁が黒々と描かれているのが何とも不気味である。
晩年の作だと解説があったけれど、葛飾北斎の絵が皇室に伝わっているというのも意外だし、何故刃物? とも思った。
あるいは逆に「刃物は魔除け」とか「刃物は吉兆を呼ぶ」などという意味があるのだろうか。守り刀を持つという習慣もあるのだから、変なことではないのかも知れない。
後半はかなり駆け足になってしまったのだけれど、「旭彩山桜図花瓶」という名前も典雅な、桜色の花瓶が欲しい物ナンバーワンに決定した。
その他、例えばひまわりが描かれていると「江戸時代にひまわりはあったんだねー」と感心し、クジャクが描かれていれば「江戸時代にクジャクがいたんだね」と感心する。
この辺りの「絵と言うよりも画材」に一々反応してしまうのは、やはり私に絵や花瓶や織物、螺鈿細工などそのものを鑑賞するだけの眼力がないからだろう。
セーラー服を着た女学生が描かれた絵と、雪月花と題されて伊勢物語と源氏物語と枕草子(だったと思う)それぞれから画材を取った植村松園の掛け軸のひと揃いが隣同士で並んでいるのを見て「この間には1000年の差があるのね」としみじみしたりしたのは、その最たる例である。
いささか以上に阿呆だったとは思うけれど、でも、思っていたよりもずっと「お宝を見る」感じで楽しめてしまった。
自分一人だけだったら、多分、行かなかったと思う。
声をかけてくれたお姉さんに大感謝! なのだった。
東京国立博物館の公式Webサイト内、御即位20年記念 特別展「皇室の名宝―日本美の華」のページはこちら。
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