「七本の色鉛筆」を見る
プリエールプロデュース「七本の色鉛筆」
脚本 矢代静一
演出 西沢栄治
出演 小林隆/佐藤真弓/江間直子/高橋麻理
佐藤麻衣子/加藤亜矢子/黒木マリナ
宮菜穂子/川本裕之/蓮菜照子/竹岡真悟
木村奏絵/岡森諦
観劇日 2009年11月14日(土曜日)午後1時開演
劇場 赤坂RED/THEATER B列9番
上演時間 2時間10分
料金 4500円
ロビーでパンフレット等が販売されていたかどうか、チェックしそびれてしまった。
終演後、ロビーでは何人か舞台でよく拝見する役者さんをお見かけした。初日でも楽日でもないのに、ちょっと不思議な感じだった。
そういえば、「記念写真を撮ります」と張り紙があったけれど、写真撮影が行われていたかどうか、私は全く気がつかなかった。
ネタバレありの感想は以下に。
36年前に書かれた本ということで、時代背景はそのまま昭和30年代後半か40年代に入ったところだろうか。
どちらにしても、激しく違和感を感じるのは、この一家が室内で靴で暮らしているところである。
そういう本の指定なのか、何らかの意図があるのか、最前列で目線が舞台の高さに近かったこともあって、そんなことがずっと気になってしまった。
ある一家の、8年前の数日間の物語と、8年後のある日の物語である。
江間直子演じる次女の菊が、舞台の狂言回しとなって、話を進行して行く。語り手でもある菊が自己紹介をするのはまだ判るのだけれど、その後、父や7人姉妹全員が客席に向かって自己紹介をするのを見て、「36年前はこれが普通だったのか、流行りだったのか、最先端の試みだったのか」などとまた余計なことを考えてしまう。
長女は幼稚園の先生をしながら母の片腕として家政を切り盛りし、婚期を逃しつつある。
次女はキャリアウーマンの雑誌編集者で、自分を「観察者である」と認識している。ちょっと若草物語のジョーっぽいと思う。
三女は悪い男に次々(3人だったと思う)引っかかりつつも生活力旺盛でおでん屋を経営している。
四女のまりは、高級官僚の妻で、今で言う「空気の読めない女」である。
五女の明子は、肺が悪いらしく、いつも辛そうに咳き込んでいる。
六女の文代は、中年のおじさんと付き合っているけれど、今20歳くらいらしい。
文代の双子の妹である巴絵は、修道女になると言い始める。
そして、小林隆演じる大学教授で17世紀のフランス史を研究している父親がいる。
母親が亡くなり、初七日を迎えたところから、この物語は始まる。
そして、文代が付き合っていた岡森諦演じる「中年のおじさん」の田所が実は、7人姉妹の母がただ一度浮気した(と言っていいのか・・・。見ていると無理矢理に、だったように見えた)相手の男で、末の双子の父親であった、というところから、話はとんでもない展開を見せる。
何度も言うようだけれど、36年前にこのストーリーは一体どういう風に受け止められたのだろう。
長女のお見合い、田所の来訪、巴絵が入ろうとしている修道院の院長の来訪と、8年前のある日に全ての変化が一度に起こり、長女は結婚を決め、五女は手術を受けることを決め、六女はフランス留学を決め、七女の修道院入りに父親は最終的に許可を出す。
自分と血のつながらない、でもずっと育ててきた娘の修道院入りに反対し、でも、修道院長と話して「本人に任せます」と頭を下げる父親は、結局のところ、母親と同じくらい一家の柱なんだなという風に思える。
このお芝居で一番泣けたのは、父親が巴絵の修道院入りを許すシーンだった。
ちょっと情けない風に見える、だけど実は押さえるべきところは押さえ、手放すべきところは手放しているこの父親が、やはりこの一家の中心であるように思う。
7人の娘を育て上げた母親は、亡くなってしまっていることもあり、若い頃の回想シーンにしか出てこないこともあって、「一家の中心」というよりは、謎めいた感じが強い。この母はどうして、不義の子(という言い方も古いのかも知れないけれど、何しろ昭和20年の話である)を生もうと決めたのだろう、それを当然のことのように笑顔で言えたのだろうという、「何を考えているのか判らない」感じが強い。
その母親の強さに気圧されつつ、でも、どこかに引っかかりを持っていたのだろう父親が、でも、「育ての親でも親だ」と言い切る強さがやっぱり勝っているような気がする。
勝ち負けではないにしてもだ。
そして、菊の「観察者でいたい」という願望は、田所から母との不義を告げられ、それを父親に告げ口してしまったことから生まれているように思う。
そのときは叱られずとも、家の手伝いをしなかったことから「もうおまえはお父さんの子じゃない」と叱られて家から出ることを決心し、その後、父も母もやけに自分に気を遣っていることを感じて、多分、物語の主人公になることの恐ろしさが身に沁みて、自分の人生の主人公からも降りたくなったのじゃないだろうか。
そして、隠されていた事実が明るみに出、それでも7人姉妹のそれぞれが、それまでどおりの道や新たな道を歩き始めた後、時代は8年後に飛ぶ。
次女は、保証人となった友人に逃げられて100万円を失い、不倫の恋をして、今は「敏腕編集長」と言われている。
最初にそう言われ、「大した変化ではない」と言われると、流石に身構えてしまう。
しかし、長女には娘が生まれ、定年退職した父親は孫の名前を必死に考え、四女は相変わらずのようだけれど、五女の明子は手術が成功して政治家を目指すと意気軒昂である。六女の文代は田所と父娘として暮らしていると明るい。
みなそれぞれに穏やかな暮らしをしているではないか。
しかし、実は三女は夫の借金でおでん屋を失い、修道院に入った筈の巴絵が突然に帰宅して修道女を止めると宣言する。
その辺りから再び雲行きは怪しくなって行く。
文代が実は父親と夫婦として暮らすためにフランスに行くことを考えていると巴絵に告げ、巴絵はそれを必死で止めようとする。
でも、彼女の言葉は届かず、文代は家を飛び出していく。
ここで、巴絵に「あなたの言葉は文代ちゃんを救うこともできない」と責め、そもそも帰って来た巴絵にあなたが祈りの毎日を暮らしていることが自分の支えだったと平手打ちする菊の気持ちが、実は私にはよく判らなかった。
それは、巴絵が修道女を止めると決めた理由を最後まで説明して貰えなかったからかも知れない。
そして、ずっと語り役を務め「一人でいるのが楽」「観察者でいたい」と言い続けた菊が、ここへ来てやはり、孤独に見える。
この登場人物のうちの一人を語り手にするという手法で、そして「観察者でいたい」と常に一歩も二歩も離れたところにいる菊にその役割を割り振ったことで、つまるところ、彼女の孤独が浮かび上がったような気がする。
観察者は、観察する対象に影響を与えてはいけない。
そのルールから、観察者を自認する人間は、そのルールを知らなくても逃れることはできない。
何だかそんな気がしたのだった。
このお芝居の最後は、田所が現れて文代を轢いて殺してしまったことを告白して終わるのではなく、菊が「わが町」の一節を読んで終わる。
やはり、みなが文代に会うために家を飛び出していった後、最後に一人で家に残った菊の孤独が暗闇に浮かび上がるような感じがしたのだった。
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