「海をゆく者」を見る
パルコプロデュース公演「海をゆく者」
作 コナー・マクファーソン
訳 小田島恒志
演出 栗山民也
出演 小日向文世/吉田鋼太郎/浅野和之/大谷亮介/平田満
観劇日 2009年11月28日(土曜日)午後2時開演
劇場 パルコ劇場 H列17番
上演時間 2時間45分(15分の休憩あり)
料金 7500円
ロビーではパンフレット(1500円)が販売され、アイルランドの観光パンフレットがひっそりと置かれていた。
ネタバレありの感想は以下に。
少し前に、新国立劇場で「シュート・ザ・クロウ」という、やはりアイルランドの劇作家が書いたお芝居を観た。そのお芝居にも平田満が出演していたせいなのか、男ばかりの芝居という共通点があるせいなのか、何だかとても似ているような印象を受けた。
何といえばいいのか、登場人物たちがみな諦めているというか投げやりな感じのところと、怒鳴り声が多いところと、一言で言ってしまうと、誰も幸せそうじゃない感じが似ているように思う。
まず最初にそう思ってしまったので、最後まで何となく苦手意識を持ったまま見ることになった。
吉田鋼太郎演じるリッチ(リチャードが本名らしい)は、事故で目が見えなくなっているようで、杖を使い、何故か「クリスマスの朝まではお風呂にも入らないし髭も当たらない」と決めているらしい。
家の中も何となくしっちゃかめっちゃかである。
平田満演じる弟のシャーキー(は、そうした兄のために家に戻ってきたようで、少なくとも登場のときには、目の見えない兄に振り回されている常識人の弟、に見える。
そして、この兄弟は裕福そうには見えない。
今はクリスマス・イブの朝で、昨日の夜は、浅野和之演じる非常に気弱かつ恐妻家らしい友人のアイヴァンと散々飲みまくったらしい。空き瓶は転がっているし、リチャードは自分の杖のありかが判らず、アイヴァンは自分の眼鏡のありかが判らない。
謎の人間関係である。
朝ごはんを食べていたところ、とにかく3人で「クリスマスの買い出し」に出かけることになり、帰って来たらシャーキーが激しく不機嫌になっている。
シャーキーの別れた妻の現在の夫(かどうかは判らないけれど、とにかく同居しているらしい)であるニックをリチャードが招待したかららしい。
この兄弟は何だか会話が全て怒鳴りあいのようで、何だかとても苦手な感じである。
また、吉田鋼太郎が高潔な人物を演じさせても見事になりきるくせに、こういう「ちょっと厭な感じ」の役をやってもまたさらにハマってしまうところが困る。
舞台上で弟を居心地悪くさせると同時に、客席で遠くから見ているこちらまで居心地悪くさせるのである。
そして、大谷亮介演じるニッキーが、シャーキーがいることを知らずにやってくる、ニッキーは、シャーキーに対して罪悪感なのか苦手意識を持っていて、リチャードのことは友人だと思っていて友人の招きだから来たけれど、シャーキーがいるとは思っていなかったらしい。
で、ニッキーが一緒に連れてきた、小日向文世演じるロックハート氏(と呼びたくなるのである)は、何だかやけに端正で紳士然としていて、このお芝居にもこの家にも似つかわしくない。そしてその「似つかわしくなさ」がまたさらに、違和感と居心地悪さを増幅させる。
クリスマス・イブの夜にポーカーを始めようというところだったか、始めた直後だったかで休憩に入る。
そして、二幕。
不良少年を懲らしめてやろうと興奮するリチャードと、その押さえなのか煽りなのかでニッキーとアイヴァンが外に出て行き、家の中にはシャーキーとロックハートが残される。
そこで、いきなりロックハートがシャーキーが牢屋に入れられていたときの話(25年も前の話である)を持ち出し、自分を覚えていないかと問い詰める。
さらに、自分は悪魔で、25年前に酒癖の悪さのあまり人を殺してしまったシャーキーが牢屋からすぐに出られたのは、自分がポーカーで負けてそのように計らったからであり、今夜はそれを取り返すべくやってきたのだと言い出す。
ロックハート氏は悪魔なのだ。
悪魔?!
私の混乱は一気に広がるし深まる。
こんなやけにリアリティある「厭さ」を追いかけてきたお芝居が、中盤に来て突然、どうして「悪魔」を持ち出さなくてはならないのか、さっぱり訳が判らない。
でも、自分は悪魔であるというロックハート氏の告白をシャーキーが割とあっさり受け入れているということは、アイルランドという土地柄からしても、「神」や「悪魔」が身近な存在だということなんだろうか。
少なくとも、このお芝居が「神と悪魔」というファンタジーを語っているようには見えないし、SFとかトンデモ系のお芝居であるようにも見えないのだから、そうとでも考えるしかない。
悪魔のロックハート氏のリードで、ポーカーが始まる。
目の見えないリチャードは、眼鏡がなくて目の前10cmくらいしか見えていないらしいアイヴァンと組んでいる。
「ポーカーで自分が買ったらおまえの魂をもらう」と悪魔に宣言されたシャーキーの賭け方は当然のことながら慎重で消極的である。
そんなシャーキーを見て、ロックハートは、アイヴァンが昔に放火の疑いを受けたこと(だったと思う)を持ち出したり追及したりして、場の雰囲気を壊して行く。
そういえば、チラシの惹句は「カードゲームを通して浮かび上がる人生ドラマ」だったけれど、どうも人生ドラマを浮かび上がらせられたのはアイヴァンだけだったように思う。
それとも、私の集中力のなさが問題であって、リチャードやニッキーの「過去」も暴かれていたのだろうか。
さらに、不良少年を退治しに3人が出かけた隙に、ロックハートはさらにシャーキーを唆し、ずっと禁酒していたらしいシャーキーに酒を飲ませることに成功する。
お酒が入るとシャーキーは全く人が変わる。
これまでのリチャードのシャーキーに対する嫌みな態度が許せるような気分になってしまうくらい、理不尽なまでの酒癖の悪さである。
同一人物なのか疑いたくなる。
そして、シャーキーの魂を賭けた最後の大勝負が始まる。
賭け金がどんどんつり上がる。
アイヴァン達は4のフォーカード、シャーキーは8のフォーカード、しかしロックハートは10のフォーカードだった。
ロックハートの勝ちである。
ということは、シャーキーはロックハートに魂を奪われてしまうのだ。
リチャードが「借金は肩代わりをしてやる」と言うのに対して、覚悟を決めたシャーキーは「これは俺が自分で払わないといけないんだ」と怒鳴り返す。
本当に仲がいいのか悪いのか判らない兄弟である。
しかし、意外などんでん返しがやってくる。
眼鏡を発見したアイヴァンが自らのカードを見直すと、その「手」は、4のフォーカードではなく、エースのフォーカードだったのだ。
リチャードとアイヴァン組の勝利である。
シャーキーは魂を奪われずに済む。
しかし、シャーキーの魂を奪い損ねたロックハートが、何だかやけに疲れたような、気の毒のような感じに見えたのは気のせいだろうか。
ここでシャーキーの魂を奪えなかったロックハートは、悪魔界で相当に酷い目に遭ったり、罰則が科せられたりするんじゃないだろうかという気にさせる。
ロックハートが去った後、リチャードはシャーキーにおまえの酒癖の悪さはとんでもないし、そのせいでおまえの人生がめちゃめちゃのぐたぐたであることはこの辺の人間はみんなが知っている、しかし、それでもおまえは生きているんだと説教する。
全編を通して、リチャードが初めて「いい人」に見えた瞬間である。
好き勝手をしていようが、シャーキーに迷惑かけようという意図がありありとしていようが、リチャードは弟をずっと心配していたし、気に掛けていたんだなということが判る。
そして、幕である。
ところで、一幕でシャーキー宛に小包が届く。
それは、これまでの勤め先(個人運転手をしていたらしい)の奥さんからのクリスマスプレゼントである。シャーキーはその奥さんとの不倫がバレて運転手の職も失ったらしい。
そのプレゼントにはカードが付いていた。
全編を通し、折節で、シャーキーはそのカードを取り出しては見入っていたのだけれど、最後までその内容は明かされない。
あのカードに何が書かれていたのか、今でもかなり気になっている。
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