「よみがえる浮世絵-うるわしき大正新版画」展に行く
2009年9月19日から11月8日まで江戸東京博物館開館で開催されている「よみがえる浮世絵-うるわしき大正新版画」展のチケットをいただいたので、一昨日(2009年10月1日)に行って来た。
江戸東京博物館は、土曜日だけ、閉館時間が午後7時30分まで延長されるのである。
大正新版画といわれても、もちろん私にはピンと来なかったのだけれど、江戸東京博物館のWebサイトにあった解説によると、以下のとおりである。
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新版画とは、江戸時代の浮世絵版画と同様の技法によって制作された大正から昭和初期に発展した木版画です。風前の灯であった伝統的な木版技術。それらを復興するとともに、新たな芸術を生み出そうと、版元、版画家、彫師、摺師らが結集し、さまざまな画題の 2,000 点を超える新版画が作られました。 1930 年代の欧米では、浮世絵につらなる優れた日本美術として、新版画は衝撃をもって受け入れられました。
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明治時代に浮世絵がどんどん衰退し、技術を持った人もどんどんいなくなり、後を継ぐ人もおらず、その技術が途絶えようとしていたときに、「いや、この木版技術をなくしてはいかん」と立ち上がった人々がいて、そうして作られた「木版画」はまずは欧米で受け入れられたのね、と理解した。
確かに、展示作品にも絵師として外国の人の名前が書かれた作品がかなりあったように思う。浮世絵に魅せられて学ぶために来日し、新版画に取り組んだ人も多かったということなのだろう。
そして、評価されたのが早かったためなのか、この時代の新版画のコレクターも、日本人ではなく、米国人が「世界最大」と評価されるだけのコレクションを有していたようだ。
同じく、江戸東京博物館のWebサイトにあった解説によると、以下のとおりである。
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新版画のコレクターとして著名であったロバート・ムラー氏(1911~2003)は、新版画の高度な技法や、描かれた情景に感銘を受け、1931年(昭和6)に、川瀬巴水の「清洲橋」からコレクションを開始しました。彼は、日米開戦間際の1940年(昭和15)に来日するなど、新版画の版元や版画家と交流を深め作品を収集しました。その総数は、明治錦絵等を含め 4,000 点を超え、まさに世界最大級の日本近代版画コレクションと言えます。
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渡邊庄三郎氏という、浮世絵の時代でいえば「版元」ということになると思うのだけれど、大正時代なら「画商」ということになるのか、いわばパトロンのような形で浮世絵の技術を守り、新しい技術を取り入れ、新版画というものを作り出して広めた人物がいたようだ。
彼がキーパースンで、当時、逆にいうと彼のお店以外から新版画を売り出すことはかなり難しかったらしいことが伺われる。絵師はともかくとして、最後に残った彫師や摺師らは恐らく彼のところに結集する格好になっていたのだろうと思う。
解説を読んで私が持った印象なので、実際は違っていて、彫師や摺師らは一匹狼のように仕事をしていたのかもという気もする。
絵師の方は、渡邊庄三郎自身が描いたものも残っているくらいだから、ある意味、冒険が可能だし、新しい試みは逆にやりやすかったと思うのだけれど、彫師や摺師が持つ技術をどう伝えて残していくかは、大問題だったのだろうという気がする。
だからこそ、文化庁(という名前ではなかったと思うけれど、要するにそっち方面を担当する政府機関というくらいの意味)が主導で、川瀬巴水と伊藤深水という当代の第一人者であっただろう絵師の作品が木版画に仕上がるまでの過程を逐一保存しようという試みも行われたのだろうと思う。
この「重ね摺が摺り上がって行く様子」を4分間の動画にまとめたものが展示されていて、色が重なって行く様子が見られてとても面白かった。
ところで、そういう裏話というか背景事情は置いておいて、「絵」としてみると、「風景画」「美人画」「役者絵」以上、という感じがする。
特に美人画が多い。
しかも、湯浴みしている姿など、日常を切り取ってはいるのだけれどでも「そこまで露わにしてしまっても大丈夫だったんですか?」と聞きたくなる感じの絵が意外と多かったのには驚いた。
私は、風景画にしても美人画にしても、伊藤深水の作品が一番好きな感じだった。
買うならこの人の絵がいいなぁ、という感じである。
もっとも、会場を出た後で、「後刷り」といって、同じ木版を使って摺りだけを現代に行った作品が販売されていたのだけれど、何万円というお値段だったこともあって、まともに購入を検討はしなかったのだけれど。
それから、一番最初に「新版画」に取り組んだという、橋口五葉(樋口一葉のファンだったのか、親族だったりするんだろうかと聞きたくなる名前である)の美人画も、割と好きな感じだった。
(でも、こっそり書くと、この人の描く女性は服を着ていた方が綺麗だと思う。)
いずれにしても、大きさとしても割と小さめのものが多くて、「新版画」というものが、どこかに納めるために作られたのではなく、多分、お金に余裕のあるという限定はされるのだろうけれど、でも、普通の人の家に普通に飾られることを想定して作られたものだったんだろうなという気はする。
ムラー氏は米国で浮世絵(なのか木版画といえばいいのか)の店を開こうと考えており、75枚とか100枚とかいった単位でこれらの新版画を買い求めていたそうなのだけれど、米国ではちゃんと売れたのだろうか。気になるところではある。
全く事前の知識なく見に行ったのだけれど、意外と面白かった。
自分たちは、日頃意識していなくても、意外と「浮世絵」というものに親しんでいた(という言い方が大げさすぎるようなら、目にする機会が多い)のだなということを改めて感じたのだった。
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