「夜会」 VOL.16を聞く
中島みゆき 「夜会」 VOL.16 〜夜物語 本家・今晩屋〜
出演 中島みゆき/香坂千晶/コビヤマ洋一/土居美佐子
Conductor,Keyboards 小林信吾
Keyboards 友成好宏
Keyboards,Saxophone 中村哲
Guitars 古川望
Bass 富倉安生
Drums 江口信夫
Vocal 杉本和世
Vocal 宮下文一
Violin 牛山玲名
Cello 友納真緒
公演日 2009年11月19日(木曜日)午後8時開演
劇場 赤坂ACTシアター 2階D列1番
上演時間 2時間20分(20分の休憩あり)
料金 20000円
カメラの検査はそこそこ厳しくて、入口で没収された人がいた模様である(没収されたシーンは見なかったけれど、段ボール箱にいくつか放り込まれているのは見た)。
ロビーでは先着でサイン入り最新CDが売られ、その他、中島みゆきのCD、パンフレット(3000円)、その他グッズが売られていた。CD売り場はそこそこの賑わいだったけれど、グッズ売り場が閑散としているのが意外だった。
ネタバレありの感想は以下に。
見に行く前にネットをうろうろしていたところ、「夜会については、事前情報が全くないのが通常だったけれど、今回は、山椒大夫をモチーフとしているという情報が出ている。」と書いている方がいて、でも、前日に読んだのでそれから「山椒大夫」を読む時間などなく、頭の中で「安寿と厨子王、安寿と厨子王」と唱えながら見ることになった。
それにしても、えらく素っ頓狂なノリの場内アナウンスで始まるのが可笑しい。
中島みゆきらしいけれど、舞台とはえらくそぐわないのだった。
そのつもりだったのだけれど、第1幕で、お寺のものを盗んでは道行く人に売ろうとする鮮やかなブルーの着物を着たかなり強かそうな(というよりも強かにならざるを得なかった感じの)女の子、を演じている中島みゆきが、「庵主さま〜」と散々叫んでいたのに、そのつながりなんて全く考えもしなかったのが我ながら情けない。
ここは尼寺なのね、駆け込み寺・縁切り寺なのね、そこは尼僧さんがご住職なのね、と思っただけだった。
かつ、「安寿と厨子王に寺なんて出てきたっけ?」とか「この中島みゆきが演じている女の子が安寿のその後って感じはしないよなー」などと巫山戯たことを考えただけだったのがさらに情けない。
台詞はほとんどなく(という風に感じられたけれど、実際のところはどうったのだろう)、でも、物語はある。しかし、その物語は判りにくい。
お寺の縁の下で暮らしていた男は、自分が誰であるのか忘れているという。
お寺に時々現れる赤い着物の女の子は、苦界(私は吉原ということね、と理解した)から逃げてきて、あと一歩で縁切り寺に駆け込んで逃げ切れるというところで俗世を振り返ってしまい、そこで追っ手に捕まってしまった子だという。
追いかけっこが始まったり、毬つきが始まったり、そこで何かが語られていることは判るのだけれど、物語というよりもイメージの羅列に近いのかも知れない。
そして、少なくとも一幕において、私は「山椒大夫」のイメージはほとんど感じ取ることはなかった。
「夜会」とは何ぞやということになると、私はずっと前に見たときに多分パンフレットか何かに書いてあったのだと思うのだけれど、「言葉の実験室である」という言い換えが一番しっくり来るし、そういうものだと信じている。
かなり昔の記憶で、私によって改変されてしまっている可能性がかなり高いのだけれど、確か、初めて聞かせる歌で、その言葉をどこまで届けることができるのか、どこまで届くのか、そういうことを追求しているんだというようなことを言っていたように思う。
それで、途中から安寿と厨子王を忘れて一幕に見入っていた私が思いついたこの命題に対する答えが「繰り返せば届く」だった。
一幕は、3〜4曲の歌を何回かずつ繰り返しているように感じたのだ(実際にどうだったのかは、パンフレットを購入しなかったし、よく判らない)。
最初は「****ノカネノネガ〜」と聞こえていた歌詞が、何回か繰り返されるうちに「ヒャクジュウバンメノカネノネガ〜」と聞こえだし、除夜の鐘のことを歌っていると気がつくと「109番目の鐘の音が〜」と聞こえ出す。
私の耳の性能が良くないということも多分にあると思うのだけれど(それが証拠に私は音痴だし、語学もダメダメである)、何回か繰り返され、そういえばこの物語の舞台は大晦日のお寺なんだったと思い出し、やっと歌詞が歌詞として届き出す。
それをするのに、中島みゆきの歌唱力、共演の方々の歌唱力、物語の力に、繰り返しという要素を加えたのだな、と考えたりしたのだった。
そして、このお寺が炎上したところで第一幕の終了である。
第二幕は、いきなり海の底に舞台が移っている。
赤やオレンジの魚がたくさん吊られていて、山椒大夫じゃなくて浦島太郎か? と思った私はかなりの阿呆である。
そこに赤い着物で登場した中島みゆきは、さて、お寺にいた女の子のその後の姿なのか、全く別人なのか、その辺りの説明は全くない。
少なくとも舞台はやはり大晦日で、その女はどうも暦を売っていて、売らないとお金がもらえないと嘆いている。
山椒大夫じゃなくてマッチ売りの少女か? とまた思った私はやっぱり阿呆である。
中島みゆきが赤い布で目隠しをし、「ほうやれほ〜」と鳥追いの歌を歌い出したところで、やたらと判りやすくこの「夜会」のモチーフが山椒大夫であることが示される。
一幕では寺の縁の下で暮らし、二幕では左官屋となって壁塗りをしていた男がどうやら厨子王で、一幕では庵主、二幕ではダイバーの格好で何やら世話をしていた女が安寿で、この2人が生き別れになった姉弟であるらしい。
がしかし、一幕の登場人物と二幕の登場人物との関係が示されることはない。
ついでに言えば、安寿と厨子王だって、彼らのその後の姿なのか、生まれ変わった姿なのか、全く関係ない他人なのか、同じ人物が演じる違う人物の関係が示されることはないのだ。
さて、どう考えるべきなのか。
何となく思ったのは、庵主が安寿だとして、一幕で赤い着物を着て苦界から逃げてきた女の子を演じ、二幕では何故かウエディングドレスを着込んでいた女の子を演じていた彼女が演じている女は、安寿の影なのではないかということである。
こうだったのかも知れない運命なのかも知れないし、その後の姿なのかも知れないし、こうありたかった姿なのかも知れないのだけれど、いずれにしても安寿の影なんじゃないか、だから彼女はほとんどしゃべらないんじゃないかという感じがした。
舞台がクライマックスになると、船が難破しかかったり、歌声がますます艶やかさと声量を増したり、とにかく迫力で押され始める。
何が何やらさっぱり判らないし、安寿と厨子王もいつの間にかどこかへ行ってしまっているのだけれど、そんなことは中島みゆきの歌の前では小さなことのような気がしてくる。
ミュージカルは、歌と踊りでストーリーを表している(というのも乱暴な表現だけれど)、でも、「夜会」の場合は、中島みゆきの歌のために他の何もかもが存在しているという感じになのである。
何だか、強烈な話だけれど、そうとしか言えない感じなのだ。
最後は、赤い布が敷かれた、舞台の上に一段高く作られた舞台の上で、中島みゆきが正座し、深く一礼して幕である。
で、「夜会」は何だったのか。
コンサートではない気がする。
ときどき、舞台上に歌っている人がいないことがあって、でも歌声が流れていることがあって、それは、「裏で歌っている」のではなく「録音を流している」んじゃないかと思わせることがときどきあった。
そうなると、「歌」は「効果音」になってしまう。主役の座から降りてしまう。
でも、中島みゆきが伝えようとしているものは、「歌」であって「物語」ではないという気もするのである。
「山椒大夫」はモチーフを借りただけで、物語を伝えることの助けになっているわけではないような気がするのだ。
判らない。
判らないけれど、これが「夜会」だったことは確かなのだった。
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コメント
しょう様、コメントありがとうございます。
それでは、やはり同じ日にお隣の建物にいらっしゃったのですね。
うん、やっぱりどこかですれ違っているのかも。
私の2回目の観劇は、「夜会、見たかったの−」という友人の都合がつけば、彼女に譲ろうかと思っているところです。
舞台は一期一会とも思っているので、今年の私の「夜会」はこれだったの、というのもありだし、2回見ることで気がつくこともあるわ、というのもありだとも思っています。
何だか我ながら主体性がないですが(笑)。
投稿: 姫林檎 | 2009.11.25 23:34
姫林檎さん、こんにちは。
あぁ、勘違いでした19日は2日目でしたね。
私も19日に赤坂BLIZにおりましたので、同じ日です。
ニアミスしておりました。
(前回のM.O.Pの時には同じ会場にいたような。。。。)
私も今年は茶々丸さんが仰るような見方をしてみます。
2回目だし、その辺をくみ取れたらより楽しめそうですね。
投稿: しょう | 2009.11.25 03:26
茶々丸さま、初めまして(ですよね?)&コメントありがとうございます。
「夜会」は、ずーっと前に2回見ています。見ているのですが、1本が「問う女」だったことは覚えているのですが、あと1本、何を見たのか覚えていないという情けない観客です。
それだけ「問う女」のインパクトが強烈だったということもあるのですが。
昨年の「夜会」は見ていませんので、「今晩屋」は初めて見ました。
そして、昨年と今年の「夜会」はオペラに近い、という茶々丸さんの感想も確かに、という感じがいたします。
どうしても私は「問う女」の印象に引っ張られているのでしょう。
ちょっとだけ言い訳すると、もしかすると否定的な感想のように書いてしまったかも知れませんが、それでもはり今年の「夜会」を楽しませていただいたのです。
実はもう1回チケットが取ってあって、でも、友人が見たいと言っているので譲ろうかと思っているのですが、もし彼女の都合が合わなければ自分でもう1回行って、おっしゃるような「見方」を心がけてみたいと思います。
ありがとうございました。
投稿: 姫林檎 | 2009.11.22 11:46
しょう様、コメントありがとうございます。
今年の「夜会」は11月18日が初日でしたので、私が見たのは2日目、ということになります。
しょうさんがいらしたのは18日でしたか? 19日でしたら、私は赤坂駅から行きましたので、しょうさんのお隣を通り過ぎていたかも知れません。
昨年の「夜会」も「今晩屋」だったのですね。
その辺りを何もチェックせずに行ったので、場内アナウンスなどで中島みゆきが「本家」を強調しているのか、今ひとつ判らないまま聞いておりました(笑)。
昨年が「元祖」だったからなんですね。
来年は「今晩屋・本舗」だったりするのかしら。
昨年もご覧になっている方が今年の「夜会」に行かれたら、なーんの予備知識もないまま出かけた私よりもずっと様々な楽しみ方があるのではないかと思います。
しょうさんの感想も楽しみにお待ちしています!
投稿: 姫林檎 | 2009.11.22 11:40
姫林檎さん、『夜会』は初めてなのですね。
幸いなことに僕は毎回の公演を観ております。
さて今回の『夜会』ですが、昨年の『夜会』を踏まえての再演です。
公演の中で謳われていた曲の言葉、それ自体が一つのモチーフとなって全体を引っ張る形となっているのが『夜会』の特徴です。ですから前回と今回は“もし百九番目の除夜の鐘”があったら、それはどういう意味の鐘の音なのか、子供を手放してしまった母親の気持ちと姉を助けることのできなかった弟は生涯、その悔悟にさいなまれるのか、などとの問いかけが様々な場所に仕掛けられています。そしてこの世(今生)とあの世(来生)を隔て且つ繋げるものは何か、との問も込められ、それは同心円ではなく螺旋階段のような構造をとっております(時間としての過去と現在を繋ぎ隔てるモノとそこに生きている人間のさだめを表していると僕には思えました)。ですから使われている楽曲は古典的な調べもパンチの利いた曲も使われているのではないでしょうか。
そうした意味で『夜会』は従来のコンサートとも演劇とも異なることは事実ですね。けれど前回と今回の公演は敢えて分類するならば『オペラ』に属すると思われます。
『夜会』の楽しみ方の一つは“隠し言葉”を探すことにもありますので、その辺りを楽しまれてはよかったのではないでしょうか
投稿: 茶々丸 | 2009.11.22 02:40
姫林檎さんは初日に行かれたのですね。
その日、私は隣の会場(赤坂BLIZ)におりました。
ニアミスしておりますねー。
夜会は、昨年も見に行ったのですが、
昨年は元祖で、今年は本家と言う事だったので、
どの辺が変わっているのだろうと思ったのですが、
あまり変わりがないようですねぇφ(._. )
去年、良く分からなかったので、
今年は本家となっていて同じモチーフを使うなら、
ヒントがつかめるかもと思いチケットゲットしてのですが
今年も分からないまま会場を後にしそうだなぁ・・・
私は12月中旬に行く予定ですので、それまでに予習しておきますw
投稿: しょう | 2009.11.21 22:08