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2009.12.27

「東京月光魔曲」を見る

「東京月光魔曲」
作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演 瑛太/松雪泰子/橋本さとし/大倉孝二
    犬山イヌコ/大鷹明良/長谷川朝晴/西原亜希
    林和義/長田奈麻/赤堀雅秋/市川訓睦
    吉本菜穂子/植木夏十/岩井秀人/長谷川寧 
    桜乃まゆこ/嶌村緒里江/森加織/吉沢響子
    渡邊夏樹/伊藤蘭/山崎一/ユースケ・サンタマリア
観劇日 2009年12月26日(土曜日)午後1時開演
劇場 シアターコクーン N列2番
上演時間 3時間30分(15分間の休憩あり)
料金 9500円

 ロビーでは、パンフレット、ポスター、Tシャツ、手ぬぐいなどが販売されていたのだけれど、どれも値段をチェックしそびれてしまった。
 また、シアターコクーンのカフェは、上演している作品にちなんだ食事やおやつを販売していることが多い(と思う)のだけれど、今回は「すいとん」や「シベリア(という名前のお菓子らしい)」が販売されていた。

 さて、私の2009年の観劇はこの作品で見納めである。
 年内に間に合うかどうかは判らないけれど、少なくとも2010年の最初の1本を見る前に「2009年の5本」を選んでみたいと思っている。

 シアターコクーンの公式Webサイト内、「東京月光魔曲」のページはこちら。

 ネタバレありの感想は以下に。

 全体の印象として、何だか随分すっきりしているなぁ、という感じがした。
 ケラリーノ・サンドロヴィッチの作・演出作品は、何というか「後味が悪い」とか「不条理」というイメージが強く、「物語」という要素はあまり重視されていないというか、なくてもいいのだけれどちょっと余裕があるからオマケでくっつけておくか、というポジションのように思っていたので、かなり意外だった。

 落ち着いて考えると、このお芝居だってかなりやるせないというか、やり切れない要素はてんこ盛りだし、そもそも起承転結のはっきりしたお芝居ではない、ような気がする。
 ということは、「物語」の仮面に私が完全に騙されたということなのかも知れない。

 幕開けは、山崎一演じる相馬という男が「女を買う」というシーンである。
 そこから、相馬に女を売った男がそこに来るまでに出会った、上京したばかりの兄弟(ユースケ・サンタマリア演じる兄と、長谷川朝晴演じる弟)の話と、相馬が日露戦争中に謝って射殺してしまった男の子ども(松雪泰子演じる姉と、瑛太演じる男と)の話とが交錯するようなしないような形で進んでいく。
 この2組の兄弟を繋いでいるのは、兄弟が下宿している家の主人夫婦(大鷹明良演じる夫と、伊藤蘭演じる妻)が相馬の上官だったという事実と、この夫婦の息子と姉弟の弟の顔が似ているということ、姉とこの夫とが同じ職場で働いているという事実である。

 この辺りの登場人物は、あて書きなんだろう。
 松雪泰子演じる姉は妖艶な雰囲気を漂わせ、職場の同僚であるこの「主人」を始めとする複数の男と付き合っており、でも、弟とは「ひとつの布団で寝ている」。瑛太演じる弟はそういう姉にべったり懐いている優秀だけど気の弱そうな口数少なそうな男で、でも一度切れたら手が付けられない雰囲気も漂わせている。
 この姉が付き合っていた男達が次々とその妻に殺されたという事実に気がついた橋本さとし演じる探偵と犬山イヌコ演じる演じるその助手、大倉孝二演じる売れない推理小説家の3人が調査を始め、ついでに狂言回しも務める。

 こう書いてきて気がついたけれど、「田舎から出てきた兄弟」はこのお芝居でどういう位置を占めていたんだろう。
 私が「姉弟の物語」と決めて見てしまったからだと思うのだけれど、ユースケ・サンタマリアのあっさりとチンピラの道を突き進む兄も、長谷川朝晴の新興宗教にどっぷりと浸かる弟も、見事に「ハマった」感じで、やたらと説得力があるのだけれど(しかし、昭和の初めの日本にもカルトっぽい新興宗教があったんだろうか)、姉弟とのつながりが薄いためか、つい「サイドストーリー」のような感じで見てしまう。
 見終わった今思えば、何だかもの凄く勿体ないことをしたような気がする。

 私が姉弟の物語だと決めてしまった理由は、多分、この2人のシーンに一番多く怪しげな色に染まった「月」が現れていたからだと思う。
 何しろタイトルが「東京月光魔曲」なのだから、月は主要登場人物に違いないと思うではないか。

 殺されたのは姉が付き合っていた男達だし、弟は「霊法」だったか「霊術」だったか、催眠術を扱った本を読んでいるし、姉弟の関係は最初からにおわされると言うよりもあからさまに示されていたので、てっきり、この弟が姉の所行を止めさせようとして、男達をその妻に殺させたのだと思っていた。
 探偵3人組も(というよりも、一人だけ下世話に熱心な探偵助手も)そう思っていたようである。
 よしよし、大団円に向かって進め! という感じで見ていた。

 突然思い出したのだけれど(というか、思い出せずにいるのだけれど)、休憩に入るその入り方がやけに可笑しかった。
 大倉孝二がそのきっかけを作っていたのは記憶にあるのだけれど、何が可笑しかったのか、どうしても思い出せない。
 とにかく「こういう休憩への入り方もあるのか」と思ったことだけ覚えている。

 相馬は、上官だった男に自分が殺した男の娘(松雪泰子演じる姉のことである)にそうとは知らずに引き合わされる。そして、どうもこの上官に「娘に真実をバラされたくなければ・・」と脅迫されるようになったらしい。
 最初はてっきり、相馬という男が良心の呵責に耐えかねて悩み始め、相馬の兄が「きっとこの上官に殺されたに違いない」と言い張っているのを見ても、悩みの余り姿を消して失踪でもしてしまったのかと思っていた。

 それが、何故か相馬兄と仲良くなった探偵3人組は、相馬の上官だった男を疑っている。
 その根拠は何かと思ったのだけれど、どうもこの相馬兄が「弟はこいつに会うと言って出かけた」言い張っているからだけのようである。
 この辺りから、「一見、物語があるように見えるのだけれど、どうも実はつじつまが合っていないのじゃないか」という感じの展開になって行って、はっきりそうとは言えないのだけれど、何となくむずがゆい感じが増幅していくのである。

 元上官に脅された相馬が、どうも昔から好いてはいなかったらしい兄を自分の身替わりにこの上官に殺させ、その事実を暴いてこの上官も破滅させようと考えたのは、まだ判る。
 判るというか、そういうことも「物語の筋」としてあるかも知れない、とは思う。
 で、上官を陥れるために(どこでどう知り合ったのかというところは置いておくけれど、多分「姉」つながりに違いない)、相馬が探偵を利用しようと考えても、まあ、不思議はない。不思議かも知れないけれど、そういうことがあってもいい。
 この探偵がさらに催眠術が得意だったとしても、だったらもうちょっと探偵として活躍できているんじゃないかという疑問を横に置いておけばまだいいような気もする。

 でも、そうしたら、この探偵に相馬を殺させたのは誰なんだろう。
 これまでに、「姉」が付き合っていた男達を殺させていたのは誰だったんだろう。
 「姉」は相馬に心を許しているようにも見えたし、「探偵」はこの姉を好いているようにも見えたのだけれど、結局彼らはどこからどこまでが知り合いで、絡んでいて、愛憎が生じている関係だったのだろう。

 そういえば、兄は弟に預けていた鞄の中味がコカインから小麦粉にすり替わっていたことからボコボコにされてしまい、そのすり替えを行ったのは弟だろうと検討を漬けて新興宗教にのめり込んでいる弟を捜し当てたのだけれど、結局、コカインすり替えについては問い質すこともしないままになっていた。
 あのコカインをすり替えたのは誰だったのだろう。
 そして、そのエピソードは「東京は怖いところだ。一緒に田舎に帰ろう」という兄の台詞を引き出す他に、どんな意味を持っていたのだろう。

 途中までは、自分が想像したとおりに話が展開し、登場人物達の秘密がバレ(そういえば、「夫婦」の息子はパリにいることになっていたけれど、恐らくそれはこの妻の思い込みで、実際は死んでいるのだろうという予想は当たったけれど、それが、息子のガールフレンドが妊娠を告げに来たところ、息子と関係を持っていたこの妻が逆上して息子を殺してしまったのだ、という過去が用意されているところまでは想像しなかった)、よしよし、大団円だカタルシスだと思っていた。
 それが、あれよあれよという間に話がねじくれて行き、伏線だった筈のものが次から次へと掘り返され、あっという間に???という世界に連れて行かれてしまった。

 思っていたよりも違和感だったり据わりが悪い感じは残らなかったのだけれど、でも、すっきりと大団円に持って行ってもらえないところは、やっぱり「作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ」である。
 私は大団円が大好きだけれど、その大団円にしそうだったのにやっぱりしないところが、さすがはケラリーノ・サンドロヴィッチだ、という感じがする。こうでなくっちゃ、と思うのだ。

 でも、すっきりしない!
 ぜひ、謎解き版というのか、余韻のない、全てが明らかになるバージョンを見てみたいものである。

 大団円ではなかったのは、ラストシーンで暗転し、再び灯りがついて瑛太と松雪泰子の2人が舞台中央に並んで立っているのを確認して初めて拍手が湧いたことからも判ると思う。
 カーテンコールが2回あったのだけれど、そこに並んだ役者さんを見て「これだけしかいなかったんだ、もっとたくさんいたと思ったのに」と思ったのも私だけではないと思う。
 回り舞台を使っていたせいもあると思うのだけれど、もっとたくさんの役者さんが出演しているような気がしていた。コクーンの舞台の空間を「人でいっぱい」と感じさせるくらいに埋めるというのは、かなり大変なことのように思う。
 回り舞台で舞台転換を行っていたので基本的に暗転はほとんどなく、時間が必要な場合は歌と踊りが入って流れを止めないようにしていたのも嬉しい。

 そういえば、回り舞台を使っていたせいなのか、今回、ケラリーノ・サンドロヴィッチの作・演出作品としては映像をあまり使っていなかったように思う。
 スタイリッシュな映像の使い方が好きなのでそれはちょっと残念だけれど、でも、「映像が少ない」という寂しさも全く感じていなかったから、この回り舞台は成功だったのだと思う。

 手放しで面白かった! とか、すっきりした! とは言えないのだけれど、「この先どうなるのだろう」と余計なことを考えずに物語の先が気になって仕方のない3時間半だった。

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