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「富士見町アパートメント(Bプログラム)」自転車キンクリートSTORE
演出 鈴木裕美
「リバウンド」
作 鄭義信
出演:平田敦子/池谷のぶえ/星野園美
「ポン助先生」
作 マキノノゾミ
出演 黄川田将也/西尾まり/山路和弘
観劇日 2010年3月7日(土曜日)午後2時開演
劇場 座・高円寺 B列17番
上演時間 2時間45分(15分の休憩あり)
料金 8000円(A・Bプログラム通し券)
3月7日は、昼公演がBプログラム、夜公演がAプログラムだった。
正直に言って、Aプログラムを先に見た方が良かったなという気がした。
座・高円寺という劇場には初めて行った。
駅から5分という案内の割に遠くて(雨が降っていたからかも知れない)、道を間違えたのか不安になった頃(正直に言って間違うような複雑な道では全くない)、到着した。道路から少し引っ込んでいるので、目の前にたどり着かないと、そこに劇場があるとは判らないのだ。
見た目がいかにも「劇場」だったことにまず驚いた。
1階と地下2階に劇場があり、お手洗いは地下1階、2階には「公演期間の上演時間中」だけではないカフェがある。
逆にロビーにはスタンド・カフェのようなものはない。
ロビーでは、A・bプログラム共通のパンフレット(1000円)が販売され、お芝居のチラシが並んだカウンターがあった。
雰囲気はなかなか良いと思う。
ネタバレありの感想は以下に。
富士見町アパートメントという、名前もそうだけれど、外観も中味もいかにも「昭和」な、2DKの一室で繰り広げられる4つの物語である。
4人の作家が1時間ずつの戯曲を書き、鈴木裕美がその4本を演出する。
「隣は何をする人ぞ」の今と、昭和な舞台設定とがいい具合に入り交じっている企画だと思う。
「リバウンド」
このお芝居は何よりもまず、平田敦子、池谷のぶえ、星野園美というキャストのインパクトに圧倒される。
ビジュアルだけで、ある意味、勝って当然という感じがする。
しかも、登場シーンは、3人が派手にお化粧し(あの睫の濃さと長さで、私には時々平田敦子と星野園美の見分けがつかなくなったくらいだった)、黄色いサテン地でノースリーブ、ひまわりのコサージュをつけた「ステージ用」の衣装で登場するのだから、ノックアウトされて当然というものだ。
この3人は、コーラスグループ(で名称が正しいのかどうか、自信がない)のようで、これから、自分たちのステージに出かけるところらしい。
池田のぶえ演じる菊子のアパート(ここが富士見町アパートメント」である)を楽屋代わりに使い、タクシーでステージに向かうというのだから、売れているグループということはなかろう。
3人とも若くはないけれど、でも、これから売れることができるかも知れない、という状況のようだ。
1曲披露してくれたけれど、流石の声量で格好いいし、上手い。池田のぶえの鬘が飛びそうになったのもご愛敬である。
そこで、平田敦子演じる瑞穂と、「シュウ」と呼ばれるギタリストとの婚約が判り、ステージの最後に発表されることが判り、菊子とシュウが少し前まで付き合っていたらしいことが判る。
2人を先に送り出した菊子がシュウに電話をかけ(ここで部屋の電話から短縮ダイヤル一発でかけられるところがミソである)、打ち上げ場所が近すぎて、音だけは聞こえるけど見ることはできない花火の話をする菊子の姿が切ない。
でも、「少し離れれば花火が見えたのに、離れたら戻れない気がした」という台詞が何を言おうとしているのか、判らなかった私は空気が読めない女かも、と思ったりする。
場面は変わり、菊子は引っ越しの準備をしており、星野園美演じる弥生がその手伝いに来ている。
時はクリスマスイブらしい。
最初のシーンは明らかに真夏だったのだけれど、その年のクリスマスイブなのか、でも「売れてきて楽しかった」というような台詞が出ていたから半年弱で売れたりはしないだろうという来もするからその次の年だったりするのか、時間経過は今ひとつよく判らない。
2人の様子から、2人と瑞穂とがあまり上手く行っていないらしいことが伺える。
そこに、瑞穂が駆け込んでくる。
菊子の引っ越しを手伝いに来たという風情ではない。口の端を切っているし、すぐ後から夫のシュウが追ってきている。
夫婦喧嘩と言うよりも、見るからにドメスティックバイオレンスという風情である。
3人力を合わせて、壁をよじ登ってこようとまでするシュウを撃退する。
ところで、この3人は、かなり言いたいことを言っているし、ブラックだし、キッツイことも言い合う。
口調も皮肉っぽかったりするし、次から次へと男を(言葉が悪くて申し訳ないけれど、どうしても「恋人」という風情ではないのだ)変える弥生にも突っ込むし、瑞穂は弥生に「アンタは黙ってて!」と怒鳴るし、仲が良さそうには見えない。
でも、とりあえず瑞穂が菊子のことは信頼しているし、彼女とずっと歌っていたいと思っていることは本当のようだ。
でも、ずっと(20周年という台詞があったような気がする)3人で歌ってきたのだろうに、あからさまに無視される弥生が何だか気の毒になってしまう。鬼っ子扱いというか末っ子扱いというか、何か「問題とされていない」感じが気の毒に思ってしまう。
弥生が新しい男(恋人、という感じではない)を作るたびにダイエットし、別れるとリバウンドして体重が戻るというのが、タイトルの「リバウンド」に繋がっているようなのだけれど、でも、この3人の解散を決めたのは、菊子の帰郷のようだ。
菊子は「自分が抜けても2人で続ければいい」と言うけれど、明らかに、この3人の中で一番大人なのは菊子だし、3人をまとめているのも菊子で、「声の質」という問題だけでなく、彼女がいなければこのグループは成り立たないのだろうという感じがする。
だからこそ、瑞穂もDVから逃げてきたというだけではなく、最後の説得の機会だからと思って、菊子のアパートを訪れたのだろう。
どうしても止めるのか、一緒にやってくれないのか、ステージのあるときだけ上京すればいいのではないかとかきくどく。
彼女がシュウの電話に応えて帰ろうとしたところを菊子が止めて、それで彼女の腕が痣だらけで、暴力が今日だけではなかったことが判る。
その彼女に「私が離婚したら、菊子が面倒見てくれるの?」と言われても菊子が頷かないのは、彼女の父親が実は認知症になってしまっていたからだ。
そういうやりとりの中で「お腹が空いたからピザを頼もう!」と言い続ける弥生が鬼っ子扱いなのは仕方がないのかも知れない。
2人は、でも、歌うことで、結論は出ないし納得もしていないけれど、振り返ったり取り返せない過去を思って悶々とするよりもこれからのことを考えよう、何とかという気持ちになったようだ。
弥生だけは、どうも生活を変えようとか不倫を止めようとか思っていないらしいけれど、菊子は(元々彼女の覚悟は決まっていたような気もするけれど)家に戻って歌わなくなる自分を再確認し、瑞穂はシュウときちんと話すと宣言して家に帰る。
それでも瑞穂がきちんと夫と向き合うことは難しいだろうということはありありとしていて、だからこそ、菊子と弥生は「傘を買うためにコンビニに寄った瑞穂はきっとおにぎりを買うだろう」「おにぎりは2つ買うだろう」「バナナも買うだろう」と笑い続ける。
多分、ちっtも前向きな終わり方ではない。
だからこそ、(あえて言えば)どうでもいい笑い、ヤケクソとも言えるような馬鹿笑いで幕を下ろしたのだろう。
でも、不思議とイヤな感じの残らない、何とも言えない終わり方だったのだった。
「ポン助先生」
Bプログラムの2本目は「ポン助先生」である。
休憩15分の間、開演前と同じように架空の壁についている「窓」が下がり、セットを変える。
畳の部屋が2つと台所というアパートはそのままだけれど(そもそも、そういうコンセプトのお芝居である)、内装というか中身を変えるだけでだいぶ雰囲気が変わるものであ。
今度の部屋の主は、黄川田将也演じる杉森という新人漫画家のようだ。
関西地方(だと思う)のイントネーションが入ったしゃべりをして、上京したてという感じを強調している。
来ている女性は編集者のようで、新しく始まる初めての週刊誌連載の打ち合わせをして、原稿を渡すというシーンからこのお芝居は始まったようだ。
西尾まり演じる編集者の稲垣が、「この辺りに来ると、私に水を引っかけた、性格の悪すぎる、あの人を好きだという編集者に会ったことのない漫画家の家が近いから思い出す」などと口を極めて罵る。
そのときの杉森の様子が明らかにおかしかったのだけれど、その山路和弘演じるポン助という漫画家が実は隣の部屋に潜んでいたのだ。
どうして潜んでいるのかといったら、杉森が持ち込んだ原稿も、これから週刊誌に連載しようという漫画も実はポン助先生がネームを書いているのだ。
あら、そんなことを最初に明かしちゃっていいの? と思う。ついでに、杉森がこの年上らしい稲垣にベタ惚れしていることも最初からあからさまである。判りやすすぎる。でも、それも杉森の純朴さを強調しているようだ。
そして、ポン助先生がどうして水を引っかけたのかと聞かれ、あの編集者は最初に担当替えの挨拶をしに来たとき、これから担当になろうという漫画を全部は読んでいないと言った、そんなことは作家は許しちゃいけない、とそこだけ座った表情で言い切る。
乱暴だしすぐブチ切れそうだし、イヤな奴ではあるのだけれど、それは理由のある乱暴なのだということは伝わるし、自分の仕事と作品にプライドを持っていることも伝わる。
最初のシーンでは、いかにも純朴な好青年だった新人漫画家も、次のシーンでは何だか最近の若者になっている。
あら、スレちゃったのね、という感じである。
しかも、稲垣と付き合うようになっているらしい。
一人だけ起き出した彼女が、彼の描いたらしい漫画を読んでいる。首を捻りながら読んでいるところを見ると、思わしい出来ではないようだ。
杉森が感想を聞くと、「こういうのもアリだと思う。」という言い方をして、いわゆる「売れる漫画」ではないとキッパリ言われた杉森は明らかに落ち込んでいる。
そして、どうもお互いに何か言いたそうにしていのに言い出そうとしていないなぁ、と思っていたら、どうもこの直前に、今週号に載った漫画の最後2ページが漫画家が描いたとおりになっておらず、台詞と擬音を全て抜かれていた、という事件があったことが判る。
稲垣は「編集長がその方がいいと言い、自分もそう思ったので先生には黙ってそうした」と謝る。
それに対して、杉森は怒らない。
怒らないどころか、「自分もその方がいいと思っていた」と答える。それはおかしいだろう! というツッコミをしたくなる。
一方、ネームを書いていて、稲垣はもちろんのこと「編集者」を信用しておらず、作家としての自信に溢れている(そして、この漫画が大ヒットになっていることからも、彼の実力が相当なものであることが判る)ポン助先生が許す筈もない。
最初は、植字の段階で落ちてしまったと嘘をついていた杉森も、編集者全体をこき下ろし、稲垣をこき下ろすポン助先生に対して、ついに反旗を翻す。
最後の2ページの変更は編集長が言い出し、稲垣も賛成して行ったことであってミスではない、自分もその方がいいと思っている、ポン助先生のネームはときどき説明が多すぎる、単行本にするときもあの2ページを変更するつもりはない。
決別宣言である。
しかし、杉森も、ポン助先生が持ってきたネームを破り捨て、ここから1コマでも使ったら許さないと言って突き放すとは思っていなかったに違いない。
それでも、「できるかどうか判らないけどやってみる」と返す。
暗転後の次のシーンでは、それまでは男の一人暮らしとは思えない整理整頓されたお部屋だったのに、一転、ゴミ溜め寸前に荒れた部屋に変わる。
杉森がネームに詰まっていることは一目瞭然だ。
ネームができたという連絡を受けてやってきた稲垣は、編集長に「もう限界だ。言ってあげてくれ」と電話で話す。ここで次の展開が読めなかった自分が心底情けない。
それはともかくとして、そこに、最初の好青年風でもなく、中間のイマドキのワカモノ風でもない杉森が、スエットにパーカという寝間着一歩手前の格好でふらーっと帰ってくる。
もうこの回で主人公が斬られたことにし、あと4回分は回想で水増しして単行本1冊分にすることにして、連載はもう止める、漫画家ももう止める、と杉森は稲垣に告げる。
それを覆せず、稲垣は渡されたネームを持って会社に戻るべく慌ただしく出て行く。
そこに入れ替わるように現れたのが、ポン助先生だ。
「作者急病のため休載」という状態を慰めに来たのだといかにも病気見舞用の果物かごを持っているけれど、要するにあげつらいにきたのだ。どうしてサイクリングの格好をしているのかは謎である。
でも、後ろポケットに差したネームと覚しき紙の束を見え隠れさせている。
しかし、「ネームが2回分ある、これで少しは盛り返せるだろう、これで少しは息がつけるだろう」と言うポン助先生に、「今までありがとうございました。才能のなさが本当に骨身に沁みました」と漫画家を辞めますと杉森が言った途端、2人の関係が一転した。
それまでずっと余裕しゃくしゃくで上位に立っていたポン助先生がいきなり慌て出す。
申し訳ないけど、その姿が可笑しい。
何だかこの杉森の状態がものすごく身につまされてしまい、この辺りでは涙を流すだけでなくしゃくりあげかけては抑えようとがんばっていた私ですら、思わず笑ってしまった。
本当に、お芝居を見てここまで泣いたのは、多分、飛龍伝以来だと思う。
杉森の「書けない」「才能がないことが身にしみた」という台詞が直球ど真ん中だったことは確かなのだけれど、正直に言うと、どうしてあそこまで泣いてしまったのか、自分でもよく判らない。
私の場合、大抵の物語や舞台に感情移入しているし、自分に置き換えて見るという、とことん自己中心的な見方をしているので、「身につまされた」というのがやっぱり唯一最大の理由なのかもしれない。
それはそれとして、この後のやりとりは爆笑の連続である。
ポン助先生が「ネームはともかくとして、おまえの絵を描く力は本物だ。俺が保証する。」と珍しく真剣な低い声で杉森に語りかけたのに対して、「ポン助先生は、この連載を終わらせたくないだけに違いない。この連載を続けるためだったら、僕のことを持ち上げて誉めるくらいのことはする人だ!」と言い、ポン助先生が「めんどうくせー男だな!」と言い返したときには爆笑してしまった。
その洞察力があれば、君もすぐにいいネームが書けるようになるよ、などとエラそうに考えてさらにおかしい。
さらにさらに、ポン助先生が「その通りだ。漫画の連載を続けるための条件は何なのか言ってみろ!」と威勢良く啖呵を切ったのに対して、杉森が「今までの経過を編集長と稲垣さんにすべて話してください。」と言った途端、今度は逆ギレし、恐らくは資料として置いてあったニセモノの刀を振り回して杉森を追いかけ回す。
曰く「おまえを殺して俺も死ぬ!」
それでは、漫画の連載がやっぱり終わってしまうではないかと思ったけれど、連載が終わることではなく、漫画が「ダメになってしまうこと」が我慢できなかったらしい。
そこへ、稲垣が戻ってくる。
編集長には止められたけどと言いつつ、「今までのネームはすべてポン助先生が作っていたんでしょ。」と言い放つのだ。
実は、編集長はポン助先生がデビューした当時の担当編集者だったのだ。ポン助先生のこともよく知っているし、そのネームの癖もよく知っている。気づく人がいたらこの人だよね、という立場の人が正しく気がついている。
そして、さっきの電話で「早く言ってあげた方が」と言っていたのはこのことだったのか! とここで膝を打った自分が情けなさすぎる。
稲垣は、姿を隠しているポン助先生に向かっても「いつぞやは全巻読んでいなくて申し訳ありませんでした!」「この連載をここで止めるのは読者に対して失礼だと思います! 続けてください!」と話しかける。
この後、「でも、**(ポン助先生が今連載している漫画)をこれ以上続けるのは昔の読者に対する冒涜だと思います。」と続けるところが彼女のキャラだ。
「どうして判ったんだ」と出てくるポン助先生に、「だって、先生の変な色の自転車が下に置いてあったし、すれ違ったのも知ってるし。」と答える。
泣きながら大笑いしてしまった。
そして、さらにだめ押しで、一度帰ったと思っていた稲垣が再び戻ってきて、編集長は最初から気がついていた。そのことを話してくれたとき、やっとポン助先生が本気になってくれた、自分が編集長でいられるうちに間に合ってよかったと本当に嬉しそうだった、と語る。
その話を聞きながら、その後、杉森と話しながら、「泣いてなんかいない」というそぶりを示しつつ、さりげないつもりでもの凄くさりげ「あり」つつ涙を拭うポン助先生がもの凄くかわいかった。
そして、ここでだったか、この前だったか、ポン助先生が彼女のことを「ちょっとは編集者としてマシになったようだ」と語っているのを聞いて、何だかとても嬉しかった。
そういえば、稲垣と杉森がGWに伊香保温泉に行こうと決める話はどこに入っていたんだっけ?
思い出せない。
とにかく、そういう訳で、壊れそうになっていた2人の仲も修復されたようだ。
ラストシーンは、どうしても理由が思い出せないのだけれど、漫画家2人の大笑いで終わる。
何だか、もの凄く必死で見てしまい、涙も流し、頭は痛くなるし、肩もこったけれど、でも、本当に楽しいいいお芝居だった。
Aプログラムの感想は後ほど書くとして、4本の中では私はこのお芝居が一番好きだった。
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