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「相対的浮世絵」
作 土田英生
演出 G2
出演 平岡祐太/袴田吉彦/安田顕/内田滋/西岡徳馬
観劇日 2010年3月20日(日曜日)午後6時開演
劇場 シアターコクーン O列1番
上演時間 2時間
料金 8400円
この日は、アフタートークが行われた。多分15〜20分程度だったと思う。
呼吸が合っているんだか合っていないんだかよく判らない、出演者5人揃ってのアフタートークはなかなか楽しかった。
ロビーではパンフレット(1500円、だったと思う)などが販売されていたけれど、開演時間ぎりぎりに駆け込んだのでチェックしそびれてしまった。
ネタバレありの感想は以下に。
兄弟と同級生とそれを見守る男の話、だと思っていて、それは、そんなに間違いではなかったのだけれど、同級生2人があれほど情けなく自業自得的に危機的状況で、彼らの同級生と彼らのうちの1人の弟は10年以上前に死んでいるのに何故か彼らの前に現れた、ということになれば話は違ってくる。
そして「見守って」いる筈の男は、実はそんな(本人たちは激しく否定しているけれど)幽霊の2人を監視している幽霊だというのだから、話はややこしい。
ややこしいといえば、そもそも、同級生と弟が亡くなったのは部室でのたばこの不始末が原因で、そのたばこを吸った袴田吉彦演じる岬智朗と、いち早く「水を探す」と言いつつ逃げ出した安田顕演じる関守の2人が助かり、一度は逃げたのに兄を心配して戻った平岡祐太演じる弟の達朗と、ロッカーに足を挟まれて逃げられなかった内田滋演じる遠山大介は死に、そして、遠山を見捨てて逃げたのが、たばこを吸っていた張本人の岬智朗)というのだから、生き残った2人が、幽霊2人を見て怯えるのもむべなるかなという感じである。
ブラックだ。
平岡祐太の初舞台ということで、客席は若い女の子が多かったし(それでも満席ではなく、当日券が出ているというのが意外だった)、何となくロビーも華やかな雰囲気だったのだけれど、そういえば、作はMONOの土田英生なのである。
ブラックでない筈がない。
というか、これ以上ブラックな設定があるだろうか。
ある意味、自分たちが殺した(少なくとも見殺しにした)相手が生き返ってきて(あるいは、幽霊となって現れて)、やけにフレンドリーかつにこやかに自分たちに対して「友達だろ」「弟だよ」と訴える。
怖すぎるではないか。
舞台の真ん中に四阿が置かれ、その周りを少し斜めに右上がりになった通路が木で組まれている。
その四阿は、墓地の中にある公園にある、という設定のようだ。
役者さん達の出入りはその通路を使うしかないので、ある意味、この舞台は「八百屋」である。
アフタートークで袴田吉彦が、「36歳にもなると、1日に2回公演がある日が続くと辛くて。体力がなくなったと思う」などとしみじみと言い、西岡徳馬に「若い者が情けないことを言っているが、私はあともう1回公演してもいいくらいだ」などと言われていたけれど、あの「出入りが常に八百屋」というのは、結構、足腰に来るんじゃないかと思う。
ところで、そのある意味で古典的な舞台装置といい、このお芝居は「いかにもG2演出」という雰囲気がなかったような気がする。
「いかにも」という演出をすることがいいか悪いかという話は横に置いておくとして、その「らしさ」は何かと考えると、一番大きな特徴は「音」と動きのシンクロなんじゃないかと思う。
その「音」の印象があまり残っていないこと自体、G2らしくないという感じがする。
開演前の音楽は何となく「変わっているな」と思ったことを覚えているのだけれど、すでに、どんな音楽がかかっていて、何を「変わっている」と思ったのか、覚えていないのが悲しい。
2人の困った生き残りを助けるために、弟は高校教師の関が生徒との不純異性交遊(という言葉も古いが)が発覚してクビになりそうになったのを助け、遠山と弟が組んで、兄が会社のお金を使い込んで返せなくなった600万円をどこからか調達してきて、兄もクビを免れる。
そもそも、日帰りでニュージーランドに行ったと主張するのだから無理があるのだけれど、やっぱり、彼らは「お化けじゃない」と主張したって幽霊である。
しかし、幽霊の世界には幽霊の世界のルールがあるようで、「生きている人間に干渉してはいけない」と怒られる。そのルールに抵触すると、二度と人間界にやってくることはできなくなるらしい。
そもそも、人間界にやってくるに当たって「会いたい人」を事前申請しておくシステムだと設定し、登場人物にしゃべらせるのが可笑しい。逆にこの辺りはいかにも土田英生だという感じもする。
人間界に来ることができなくなるといえば、そもそも、人間界にやってくることができる資格のようなものがあるらしい。
多分、それは「恨みを残していないこと」であって、かつ、人間界に来ている間に恨みを持つようなことがあると、これまた二度と人間界に来られなくなるというルールのようだ。
元々、人間界に初めてやってくるまで10年以上かかった2人は、恨みはともかく「無念」とは思っていた筈で、その直接の加害者と会えば、「恨んじゃいけない」「力になりたい」「会うだけだ」と思っていても、そうそうきれいごとで終えられる筈もない。
最初は「楽しい同窓会」というコンセプトだったようだし、死んでからの年数では後輩だけれど、死んでから人間界に戻ることにかけては2人の先輩である、西岡徳馬演じる野村淳という男は、今回「初めて人間界にやってきた」2人のお目付役という役どころのようだ。
お目付役の割に、しかし、このおじさんはよくしゃべる。
いかにも「格好悪い中間管理職のちょっと下」という位置に居そうなおじさんで、おしゃべり好きで、要領がいかにも悪そうという、典型的な感じを醸し出している。
そして、兄の借金棒引きと、関の「あと一歩で懲戒免職」という危機的状況を救ったことを2人から聞いたこの野村は「それは駄目だ」「元に戻せ」というのだ。
そもそも、兄の借金600万円を返させるために、あちこちの銀行からちょっとずつ現金を盗んでくる幽霊というのも、どうかという気はする。
その「600万円はやっぱり返して欲しい」と言い出せないまま、今度は、祥月命日も忘れていたことに突然気がついて悔いた「生き残った」2人が、同窓会を企画したようだ。
しかも、何故か、全員が学生服で集合である。
野村まで学ランを着て現れるのだけれど、遠山に追い返される。
しかし、そうして部外者立ち入り禁止にして始めた同窓会は、決して面白くはない感じである。
このメンバーで一番の関心事はどう考えても火事のことと、火事のその後のことで、それは、生き残った2人に辛い話であるのはもちろんのこと、亡くなった2人にとっては辛いどころではない、自分がこの世から消えたときの話であり、どうしたって恨まずにはいられない話の筈なのだ。
なのに、野村は「恨みを持つと、二度と人間界に来られなくなる」と言うのだ。
それでも、やっぱり、話は火事にならざるを得ない。
結局のところ、一番ナーバスだったのは遠山で、一番気にしていたのは岬だったようだ。
そして「火事」が再現される。
部室が燃えさかる様子を、両脇にあった高い木を中央に寄せ、その枝葉に火の色を反射させるという演出が、ここだけ派手で、何だか印象に残った。
火事のときの話になって「俺は火元を作っていないし逃げてもいない」と言い訳する関という人間は、かなりイヤな感じの人間ではあるけれど、人間らしい人間でもあるし、正直な人間でもある。
恐らくは嘘をついている(あるいは、何遍もそう自分に言い続けている間に、自分が作った言い訳を本当だと思い込んでいる)関という人間が、「自分が悪いとは思いたくない」「罪悪感を背負いたくない」という本音を出している分、正直なんじゃないか、そういう自分のイヤな面を見せても避けたい何かがあるというところが、幽霊たちの怒りは買うわけだけれど、でも、悪かったと謝る人間よりも解決への道をまっすぐに示すのじゃないかと思わせられる。
そして、私の目には、岬も関も「600万円を返したら「自分が顧問をしている卓球部の女の子に手を出していることが判ったら」自分たちの将来はあっという間に砕け散り、そのことと比べれば「もう死んでしまった」弟と同級生がこちらに来られなくなることとを比べれば、それは自分が助かる方を選ぶよ普通、と考えているように見える。
そう見えるということは、私がそういう人間だということなんだろう。
そう考えると、何だかやっぱりブラックなお芝居である。
「10年以上も前に死んだ人間に出てこられて迷惑だった」と叫ぶ関に対して、遠山と達朗は、「最後に自分たちが通った高校を見たい」とその場を去ってゆく。
そして、暗転。
ここで終わるのか、後味悪すぎだけどここで終わりというのもありかも、と思ったら、舞台が明るくなり、やさぐれた感じの「生き残った2人」が現れたので驚いた。
このやさぐれ感は、明らかに、「人生駄目になりそうだったところを救われた」感じではなく「救われたと思ったけれどやっぱり駄目になった」という風情である。
岬は、600万円を幽霊2人に返そうと、ずっと不倫を続けてきてかつ会社のお金をちょろまかすよう協力を求めていた経理の女の子に「戻した600万円をもう一度ちょろまかせ」と頼んで愛想を尽かされた上に社内にこれまでの悪事をぶちまけられ、関の方も教え子に手を出していたことを告白して退職になった上、岬の600万円の穴埋めのために借金までしたらしい。
あんなに「迷惑だった!」と言っていたのに、彼らは「幽霊2人がこの世に留まれる」方を選んだのだ。
そうして、生き残った兄と友人の所行に「満足した」幽霊2人は、人間界を離れ、幽霊の世界に戻って行くのだと告げる。
幽霊2人は「これでお別れだ」と舞台奥に立ち、柵の手前で空を見上げる。
絶対にこのまま空を飛んで去ってゆくよな、と誰もが思った頃、2人はおもむろに柵をまたいで越え、通路を普通の早さで歩いて去ってゆく。
笑いが起こっていたけれど、この「間」に、一番G2らしさを感じたのだった。
やっぱり、意外と爽やかな終わり方だったと思う。
私はほっとしたけれど、ブラックなまま、悪い後味のまま終わっても良かったんじゃないかという気もした。我ながら勝手な感想である。
アフタートークでは、6日目を終わった感想、一番好きな台詞、一番自由な人は誰か(後ろ2つは開演前のロビーで出演者への質問を募集していた中から選ばれていた)などが語られた。
そういえば、アフタートークの自己紹介で初めて「安田顕」が「やすだけん」と読むことと(ずっと「あきら」だと思っていた)、「内田滋」が「うちだしげ」と読むこと(ずっと「しげる」だと思っていた)を知った。
さらに言うと、男の姿をしている内田滋を、私はこの芝居で初めて見たのかも知れないと思う。
アフタートークは、DVDにも特典映像として収録されるという話で、その割に締まらない終わり方をしていたことも含め、なかなか面白かった。
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