「チェーホフ短編集1」を見る
あうるすぽっとチェーホフフェスティバル2010参加作品「チェーホフ短編集1&2」
作 チェーホフ
脚本・演出 山崎清介
出演 伊沢磨紀/佐藤誓/戸谷昌弘
山口雅義/三咲順子/山田ひとみ
竹下明子/桂ゆめ/谷畑聡
観劇日 2010年4月24日(土曜日)午後1時開演
劇場 あうるすぽっと A列11番
上演時間 2時間30分(15分の休憩あり)
料金 チェーホフ短編集2とのセット券で8000円
ロビーでは、パンフレット(900円)が販売されていた他、過去公演のパンフレットも販売されているようだった。
また、「子どものためのシェイクスピアシリーズ」のちらしなども展示されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
セット券を購入すると、各5000円のチケットが2作品8000円になるというチケットを購入したときに、同じ日の昼公演と夜公演を選んだこともあって、てっきり同じ席で観劇できると思っていたのだけれど、今日になってチケットを確認したらそうではなかった。
この間見たキャラメルボックスのハーフタイムシアターでの「通し券」の売りが「同じ席でご覧いただけます」だったから、すっかり思いこんでいたのだけれど、ずっとロビーにいることもできる「ハーフタイムシアター」と、別のお芝居です、という作りの「チェーホフ作品集1&2」では違って当然である。
しかも、両公演とも最前列だったのだから、極一部を除いて文句のありようがない。
初演を見ていて、記憶に残っているシーンもたくさんあったのだけれど、全体の構造をほとんど忘れていたのには驚いた。
出演する役者さんたちも全員初演のままだったと思うのだけれど、「同じお芝居の2回目」を見るというよりも、ちらっと見たことのあるお芝居をもう一度ちゃんと見た、という感じだったのが我ながら情けない。
劇場に入ると、舞台セットには見覚えがあった。
舞台上に野外劇場がある。それは、セットとして壁や天井がないのと、そこに現れる役者さんたちが旅役者の風情で荷車を引いて登場すること、「ボトムさん江」というのれんが飾られたり、最初のセリフが「夏の夜の夢」の村人たちの芝居のセリフだったりするところから、私が勝手にイメージしたものなのかも知れない。
この「夏の夜の夢」の村人たちの芝居をもじったシーンで意外と笑いが起こっていなかったから、今日の客席は、「子どものためのシェイクスピア」シリーズを見たことのない人が多かったのかも知れないとも思ったりした。
このお芝居は、この秋まであうるすぽっとで行われる「チェーホフ」の特集の幕開けのようである。
それで、「チェーホフ作品集」の再演と、新作の「チェーホフ作品集」を交互に上演することにしたのだろう。
チェーホフに詳しい人だったり、あとロビーで販売されていたパンフレットを購入していれば判ると思うのだけれど、残念ながら私には原作は**に収録されている**ということは判らなかった。
お芝居としてはスピンオフのような作りになっていて、ある一家のそれぞれの登場人物のお話のように見せかけて(でも、時々論理破綻させて)いるのだけれど、小説の段階ではこれらの短編同士の関係はどうなっているのだろう。
このお芝居では、短編同士の関係が初演のときよりも強化されているようにも感じた。初演の全体構造を覚えていなかったくせにこういう感想を書くのもどうかと思うけれど、あまり強いつながりを感じなかったから覚えていないんじゃないかという気がするのだ。
旅役者たちは、まず「医者で作家の男のところに、劇作家志望の女が押し掛けてくる話」から始める。
この「妻子の元に戻ろうとしている医者であり作家である男」というのはチェーホフ自身なのかも知れない。
汽車に乗って早く妻子の元に帰りたい男に対し、この女は、自分が書いたお芝居を「リーディングする」と称して演じ始める。それはもう見事で、一言一句書いたまま、全ての登場人物の声色から動きまで付けている。当然、男の方が迷惑そうにしていることは、彼女の目には入っていない。
彼女から何とか逃れようとする作家は、彼女が自分の書いたとおりに演じ続けるのを見て、彼女の作品の方を書き換えて登場人物が死ぬか気を失うかする結末にしてしまい、彼女が気を失った隙に逃げ出す。
女は、しばらく気を失っていたけれど、むくりと起き上がり、芝居の続きを暗くなった舞台の上でつぶやき続ける。
怖い。
次は、「ある一家に30年以上も居候している外国人家庭教師の話」である。
最初の話に出てきた「女」は、そういえば「シングルだ」と主張していたのだけれど、前の短編の最後に呟き続けていたそのままに舞台上に存在し、「母さん」と呼ばれると新しい短編に登場する一家の主婦として溶け込んでしまう。
この食卓では、一家の主人が家庭教師の祖国のことを延々とイヤ〜な感じで語り続ける。最初は穏やかに人格者っぽくかわしていた家庭教師も、段々に自分の祖国が侮辱されることに耐えられなくなって行く。
時々は「お兄さんとお姉さん(どちらが義理の関係なのかは判らなかった)の出会いってドラマチックよね。私にもそういう出会いがあるのかしら」と妹が言うという普通の会話も出かかるのだけれど、家庭教師が「きっとありますよ」と返すと、家族全員が無言で彼の方を見て、そのふつうの雰囲気を壊すのだ。
シチュエーションは判らないながら、はっきり言って、イヤ〜な感じのお芝居である。一家の主人が不当に立場の弱い人間(この家庭教師はパスポートも取り上げられているという設定なのだ)をいたぶっているように見える。
だからこそ、この短編の最後で「こんな外国人ごっこは止めよう」と、「今のはおふざけのお遊びでした」という「うっちゃり」をしていると思うのだけれど、それにしても後味が悪い。
そして、「ごっこ遊び」をしていた召使いたちはイチゴ狩りに出かけたことになり、彼らが仕えるの家の喪服の女主人と女中頭らしい女だけが残される。
この女主人は、夫が亡くなって7ヶ月の間、ずっと喪服を着て、家の中に籠もって陽の光には当たらず、夫に操をたて続けているらしい。
それは彼女に言わせれば「一途で誠実な愛情の表れ」なのだけれど、夫に踏みつけにされ、浮気もされまくりだったという彼女の独白を聞いて、その冷たい語調を聞いていれば、「愛情」なのではなく「復讐」なのだと判る。
彼女は、自分を踏みつけにするような死んだ夫に「誠実な愛情」を示し続けることで「復讐」し続けているのだ。
コワイ女である。
そこへ、死んだ夫にお金を貸したのだという男が借金の取り立てにやってくる。彼女の「女主人」然とした態度に比べると、怒鳴りつけるし言葉遣いも荒いし、いかにも粗野な感じの男である。そして、その男に対して、女主人は一歩も引く様子を見せず、冷たい空気で対抗する。
覚悟を決めた女はコワイのである。
とうとう、2人で決闘をするという話にまで進むのだけれど、極限状態になった男女は惹かれあうという法則はここにも適用されるのか、この2人、何故か結ばれてしまうのだ。
そして、もう一度、一家と家庭教師の食卓の短編に戻り、「お兄さんとお姉さんの出会いって劇的よねー」と繰り返される。
可笑しい。
「劇的」で済ませていいのか、末娘よ、とツッコミを入れたくなるのだ。
確かにこれでは「(そういう出会いが)きっとありますよ」という家庭教師の台詞が虚ろに響く筈である。
(多分)ここで休憩を挟み、客席がまだ明るいうちから一家の「お父さん」が舞台上に登場する。
演台を前にして、何だかボロボロの燕尾服を着て、緊張している面もちである。
ここで一つだけ苦情を言いたいのだけれど、最前列のど真ん中という席だったため、演台に置かれたマイクに隠れて役者さんの顔がほとんど見えなくなってしまった。
ついつい、体と首を左右に振ってのぞき込むようにしてしまう。後ろの人にもの凄く迷惑だったと思う。
もう少し演台から離れたところでしゃべってくれるか、マイクの高さを低くしてくれればちゃんと顔が見えるのに、と思ったのだった。
同じ理由で、講演が進むと後ろの方にセットされたテーブルに家族が次々とつくのだけれど、それもほとんど見えないということになる。これも何だか損をしたような気になってしまった。
「お父さん」の講演は、たばこの害悪について語るとして始まった。
食卓でその演台で講演するという話をしていたときには「お父さんはたばこをすわないじゃない」と娘に言われていたけれど、演台を前にしたお父さんは嗅ぎたばこ入れを持っている。
そして、食卓での「お母さん」は専業主婦のように見えたけれど、演台を前にしたお父さんの奥さんはどうやら女子校の経営者のようだ。
たばこの害悪について語るはずのお父さんの話はどんどん横にそれて行って、いつの間にか、完全に「妻に対する愚痴」になってしまっている。
理科系の科目や社交ダンスまで自分が教えていて、妻が教えているのは演劇だけだと言い、最初の「短編」とのつながりを提示して見せたりするところが楽しい。ちょっとずつ矛盾があっても、許せるような気分になるというものだ。
そして、妻が会場にいることに気がついたお父さんは「たばこは体に害がある」と叫んで講演を終わらせる。
確か語り始めたときは「たばこは害悪だが、薬効もある」と言っていたはずなのに、笑ってしまう。恐妻家というものは、いつでも笑いを誘うものなのだ。
ここで登場していた「お母さん」は役者によって演じられていた「お母さん」だったらしい。
次の短編では「昔は才能を評価され将来を嘱望されていたけれど、すっかり老いてしまった道化役者」の物語に変わる。
この役者(どう考えても「役」としては男性である)を伊沢磨紀に演じさせるところがポイントだと思う。
すっかり酔っぱらって劇場で寝込んでしまった老役者のところにプロンプターの男がやってきて、彼にオセローを演じさせる。
舞台が暗いこともあって、何だか沈んだ雰囲気の一編である。
そして、演じ終わった彼女を家に帰そうとプロンプターが抱えて出て行こうとしたところに、一幕の最初の短編に出てきた侍女が現れて「リーディングの女性がいません!」と叫ぶ。舞台は一瞬にして、病院に切り替わっている。リーディングの彼女は入院しているようだ。
そして、再び物語は食卓を囲んでいた一家の元に戻る。
外国人家庭教師は、何故だか隣家の男ということになっており、この家の末娘にプロポーズをしに来るのだ。
ところが、一家の父親(母親はすでに亡くなっているという設定らしい)は喜んで結婚を許したのに、プロポーズをしようとした男と末娘は、「白樺林に囲まれた牛食いが原はどちらの家の土地か」で争い始める。
争い始めると、男は心臓が痛み、それが左半身に広がるという病気を持っているというところは、先ほどの「外国人家庭教師」と設定が同じなのがややこしい。
その「無理矢理つなげた設定の不自然さ」を強調して面白がってもらおう」という意図を感じる。
一度は追い返した男を、末娘にスゴまれて一家の父親が呼び返したものの、今度は2人は「どちらの家の猟犬が優れているか」というテーマで争い始める。そんなことはどーでもいーだろう! とならないところが困る。
それでも、2人はきちんと結婚することになるのだから、訳は判らないなりにめでたしめでたしである。
ここで気になったのは、姉娘の方が「野外劇場の外」に立ち、お母さんがお父さんにぶたれていた(これはお母さんが女子校を経営していてお父さんを尻に敷いていた、という短編を思い起こさせる)のではなく、お父さんがお母さんをぶっていたのだ、と呟く場面があることだ。あれは何を象徴していたのだろう。
不思議な感じだし、ここから広がる物語が絶対にそうなのに、そこで終わってしまうのが何だか物足りない。
そして、最後は再び一家の食卓である。
前の短編では亡くなったことになっていたお母さんが、ここでは退院してきたことになっている。そのまま「一家の物語」を続けようとしたところで、ふと、舞台上の役者が我に帰る。
観客もいないのにこんなところで芝居をやっていて意味があるのか、と言う。
そして、この野外劇場で演じられた「チェーホフ短編集」は幕を下ろし、旅回りの役者たちは荷物をまとめ、次の劇場を目指して去って行く。
ここで、この「チェーホフ短編集1」は幕を下ろす。
(恐らくは)全くばらばらの短編を一つのお芝居にまとめるため、このお芝居は、かなり二重の入れ子構造でかなり複雑な作りだと思う。
そして、今回の再演では、この入れ子構造の基本は初演のままだけれど、短編どうしの関係性を強化したか強調したかしている気がする。
一方で「似ているけどその設定はさっきとちょっと違うじゃん!」と思わせることで舞台に対する集中力を引き出そうとしているのかしら、などとも思う。
いずれにせよ、「上質」という言葉の似合うお芝居だったと思う。
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コメント
しょう様、コメントありがとうございます。
THE LEFT STUFFのときは、舞台上のボードに名前を書いていい、と気がついたのが、一番奥の自分の席に着いた後だったのです、確か。
開園時間も迫っていたし、これは仕方ない、と諦めたのだったと思います。
でも、名前を書くときに、私は多分「姫林檎」とは書かないので、ボードがあってもお互い気がつくことは難しいのでは?(笑)
投稿: 姫林檎 | 2010.05.04 10:15
姫林檎さん、たびたびお邪魔いたします。
THE LEFT STUFFのように、開演前に舞台上のボードに
名前を書くような事がない限り、中々分かりませんからね。
それでも書かない人もいるでしょうし。
確か姫林檎さんは書かれなかったですよね??
後からこうやって分かるのも楽しいものです。
仰るとおり、またどこかの劇場ですれ違いましょう(^-^)
投稿: しょう | 2010.05.04 01:47
しょう様、コメントありがとうございます。
あら、またニアミスしておりましたか。
こういう出会い(出会っていませんが)も楽しいですね。
チェーホフ短編集、楽しかったですよね。
短編集1の初演は前に見ていたのですが、でも「もう1回見よう!」と割と躊躇なく決めました。
しょうさんがご覧になるきっかけになれて、そして気に入っていただけてとても嬉しいです。
また、どこかの劇場ですれ違いましょうね(ちょっと違います?)。
投稿: 姫林檎 | 2010.05.03 11:53
姫林檎さん、こんばんは。
またすれ違っておりますねー。
私もこの日のこの公演、見ておりました。
短編集2の方は別の日に見ていたので、
この日はこの後、赤坂見附に行ってダブルヘッダーでした。
短編集と言う事で、どんな構成なのかと思っていたのですが、
このちょっと無理矢理感のある入れ子の構成は、
とても楽しめました。
衣装もさほど変わらないし、舞台上であっという間に
設定が変わっていくのに、巧い役者さんがやると、
すっかり引き込まれるんですね。
このお芝居、チラシで気にはなっていたのですが、
行こうか止めようか迷っていたのです。
姫林檎さんが行くと言う記事を見て、それならと私ケット購入したのです。
大正解でした(^-^)
ありがとうございました!
投稿: しょう | 2010.05.01 23:21