「チェーホフ短編集2」を見る
あうるすぽっとチェーホフフェスティバル2010参加作品「チェーホフ短編集1&2」
作 チェーホフ
脚本・演出 山崎清介
出演 伊沢磨紀/佐藤誓/戸谷昌弘
竹下明子/桂ゆめ/谷畑聡
観劇日 2010年4月24日(土曜日)午後6時30分開演
劇場 あうるすぽっと A列7番
上演時間 2時間
料金 チェーホフ短編集1とのセット券で8000円
ロビーでは、パンフレット(900円)が販売されていた他、過去公演のパンフレットも販売されているようだった。
また、「子どものためのシェイクスピアシリーズ」のちらしなども展示されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
舞台セットはチェーホフ短編集1と同じである。
机と椅子も同じものを使っていたのではないだろうか。
チェーホフ短編集1では、「旅の一座が演じている」という「枠」があったのだけれど、チェーホフ短編集2の枠は、「200万ルーブルを賭けて、15年間、外との関わりを持たずに離れの一室に閉じ込められることを選んだ男」の物語である。
恐らく、この「枠」自体もチェーホフの作品なのだろう。
そういう外側の知識を持っていた方がより楽しめるお芝居だったのかも知れないとは思う。
最初は、「死刑と終身禁固刑はどちらが人道的か」あるいは「死刑と終身禁固刑ではどちらが非人間的か」という論争をしていたようである。
そこに「頭取」と呼ばれるお金持ちそうな男と、「終身禁固刑の方がいい」「とりあえず生きていられるから」「自分だったら15年間でも閉じ込められることに我慢できる」等々と言う法律を勉強した若い男がいたことから話がややこしくなってくる。
それなら、お前がやってみろ、15年間できたら200万ループル払ってやろう、というわけだ。
そこにいる他の人間たちが一体誰なのか、どんな関係なのかが判らないのが落ち着かないけれど、いわゆる「サロン」のようなところなのだろう。
そうして、その「若い男」は、15年まであと5時間というところになって、離れを出て行ったらしい。
14年間と364日と19時間も閉じ込められることに我慢し続けてきたというのに、あと5時間待てば200万ループルというお金が手に入るというのに、出て行ってしまったのだ。
それは何故かということを説明するために、頭取は、彼がこの15年間に頭取に対して要求した物と、彼が出て行く前の日に書き残した書き付けを紹介し始める。
15年間という時間に、彼が要求して読んだ本はもの凄い数に上るらしい。
他にすることもなかったのだろう、とは思う。
そうして彼が読んだ本や物語が「短編集」として演じられるという造りになっている。チェーホフ短編集2では、短編同士の関係はほとんど感じられない。
前後の関係が薄いせいなのか、実は、お芝居を見終わった直後から、どんな短編が演じられたか覚えていられないかも知れないと思っていた。
そうしたら、やっぱり、覚えていない。
森番の小屋に正義感の強い猟師がやってくる、という短編が多分、最初だったと思う。
この正義感の強い猟師を、若い男を演じていた戸谷昌弘が演じていて、「あの男は、頭取の離れを出て猟師になったのかしら」と思ったのを覚えているからである。
そんな感じで最初のうちは、このお芝居全体の枠組みが見えなくてちょっと混乱した。
でも、そのうち、これは「離れに閉じ込められた男」とは離れた世界の話なのだということがだんだん見えてくる。猟師が連れている猟犬2頭と、森番が飼っている年老いた猫を全て役者さんが演じていることからも何となく察せられる。最初は、どうして森番の小屋の床に人が3人も寝ているのだろうと余計な疑問を持ったのだけれど、そういうことではないらしい。
森番の小屋の話が終わり、また再び「15年間にあと5時間を残して出て行った男の部屋」に場面が戻る。
何年目は何冊の本を要求された、何年目かには楽譜を要求された、彼は何故かリストの曲しか要求しなかった、1年間に500冊以上の本を要求された、という話を聞くうちに、この演じられた短編は、若い男の印象に残った、彼の考え方に影響を与えた物語なんじゃないかという気がしてくる。
犬に噛まれたと言って駆け込んできた男に対し、その犬がナントカ公爵の犬だと言われれば男を邪険に扱い、やっぱりナントカ公爵の犬ではないかも知れないと言われれば腕を噛まれた男に同情する。そういう激しく節操のない警察署長に振り回される部下と犬に噛まれた男たち、という短編が続く。
この短編にオチはない。
というよりも、今になって思い返すと、チェーホフ短編集2で演じられた短編は全てオチといえるようなオチは付いていなかったようにも思う。
教区が廃止されて牧師さんもいなくなった教会を守る夫婦の話になると、今度は、夫は妻を魔女と呪い、彼女が雪を降らせ、この近辺にやってくる男を家に引き寄せ、そうして関係を持っているのだと思い込んでいるということらしい。
その話だけを聞いていると、どうも夫の妄想癖が強すぎるのではないかという感じがしてくる。
妻の方も、夫は働きもせず、離れに籠もって本ばかり読んでいるのだと嘆くから、やっぱり、夫の妄想が強すぎるのではないかと思われる。
ところが、そこに郵便配達夫の男が迷い込んでくると話は一変する。この妻が、どう見てもどう考えても、この〒配達夫を誘惑しようとしているとしか思えないのだ。
やっぱり魔女なのか?
最後には郵便配達夫は這々の体で逃げ出すのだけれど、結局、彼女が魔女なのか、魔女ではないしても迷い込んでくる男をたぶらかしているのか、夫の言うことは妄想なのか事実なのか、そういった説明は一切行われない。
多分、最後の短編は、女優であり歌手である女を妻にした男の話である。
賭の当事者である頭取を演じていた佐藤誓はこれまでの短編には参加せず、舞台後方で本を読んでいて、ずっと頭取のままだったのだけれど、ここに来て、この女優の夫を演じている。
「あなたは私を愛しているのではなくて、私の芸術を愛しているのよ!」と叫ぶこの女に、それで一体何が不満なんだと思う私はやっぱりどこか変わっているのだろうか。男っぽい考え方なのかも知れないと、突然そんなことが気になり始めたりした。
そうして、場面はやはり最初に戻る。
15年前には総財産を把握すらしていなかった頭取も、今ではだいぶ落ち目のようである。
本は要求されれば差し入れるという条件も頭取が決めたものなのだけれど、今では「あいつの本代に一体何万ルーブルつぎ込んだと思っているんだ!」と叫んでいる。
ここで200万ルーブルを払うことになったら、自分は破滅だとも呟いている。
そうして、頭取が、満15年を迎える前日、「男」をあわよくば殺してしまおうとして彼の部屋に行ったときの様子が語られる。
このシーンだけ、「男」を伊沢磨紀が演じていることには絶対に意味があると思うのだけれど、そして、見ているときにはその理由が判ったと思っていたのだけれど、何故か今は忘れている。我ながらマヌケすぎる話である。
でも、頭取はそこで、眠っているらしい男が書いた書き付けを見つける。
そこには、頭取に宛てた「満15年を迎える前に自分は出て行く」という趣旨のことが書かれている。
そして、その手紙を読むのは戸谷昌弘が演じる「男」である。
何だかとても大切なことを聞き逃した気がしているのだけれど、大ざっぱに言って、自分はたくさんの本を読み音楽を奏で15年間を思索に費やしてきた、自分が賭をした当時にその場にいた誰よりも賢いことを知っている。
だから、自分は15年が過ぎる前にこの部屋を出て行くのだ。
この「だから」の前にもう2ステップくらいあったと思うのだけれど、どうしても思い出せない。
聞いたときに理解できなかったからだろうか。
これまで演じられてきた短編の中から、警察署長や魔女や女優である女が現れて、頭取の周りを囲み始める。
そして、最初のシーンに戻って、全員が最初の立ち位置に戻ったところで幕である。
お芝居の造りに技巧を凝らしたお芝居、という印象が強い。
面白いけれど、混乱の元でもある。
でも、やっぱり、「上質なお芝居を観た」という満足感をもって劇場を後にしたのだった。
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