「南十字星駅で」を見る
「南十字星駅で」演劇集団キャラメルボックス
原作 梶尾真治「クロノス・ジョウンターの伝説∞インフィニティ」
脚本・演出 成井豊
出演 西川浩幸/坂口理恵/岡内美喜子/畑中智行
三浦剛/左東広之/渡邊安理/多田直人/原田樹里
観劇日 2010年4月3日(土曜日)午後7時30分開演
劇場 サンシャイン劇場 1階12列19番
上演時間 1時間5分
料金 「ミス・ダンデライオン」との2作品券 8000円
私は2作品券で、午後6時から「ミス・ダンデライオン」、午後7時30分から「南十字星駅で」を見た。この間、カーテンコールなどもあり、20分弱しかなかったので、ロビーで急いで夕食に持参していたお鮨を食べたら、急ぎすぎてつかえそうになった。
ネタバレありの感想は以下に。
「ミス・ダンデライオン」のときはギターデュオが登場していたけれど、彼らが「南十字星駅で」に出演するため(だと思われる)、こちらの「観劇マナーの注意」は映像で流されていた。
その映像(といっても、ほとんどが文章だった)が終わると、そのまま、これまでの「クロノス・ジョウンター」が出てくるお芝居をフラッシュバックで紹介する映像が流された。
それを見ていると、「南十字星駅で」というこのお芝居が、クロノス・ジョウンターのシリーズの最終作であると同時に総集編のような役割を負っているのだなと判る。
主人公は、「ミス・ダンデライオン」の最後で老人として現れたときよりもさらに年をとった野方耕一である。
「老人のメイクや髪を25分では変えられないものね」などと余計なことを考えてしまう。
西川浩幸演じる野方老人は、心臓の手術をしたばかりのようだ。
そこへ、クロノス・ジョウンターを保管している科幻博物館の館長から電話がかかってくる。この電話が携帯電話くらいの大きさのテレビ電話になっているところがやけにチープで可笑しい。
このお話の「現時点」は2050年を越えているらしい(台詞であったけれど忘れてしまった)のだけれど、その「未来」を感じさせたのは、この電話だけだった。だったら、いっそのこと全くなしでも良かったんじゃないかという気もする。
クロノス・ジョウンターの修理のために科幻博物館に出向いた野方は、突然、**ボブ(名前がどうしても思い出せない。クロノス・ジョウンターで送り込まれた世界での滞在時間を伸ばしてくれる機械)とクロノス・ジョウンターとを併用することを思いつく。
思いつくのが早すぎる。
しかも、検証することなく、その理論を思いつくや否や自分が57年前に行くことを決断するなんて乱暴すぎる。
さくさくと野方のアイデアが形になってしまったので、恐らくはその辺りの説明不足を慮って舞台上で役者さん達がタイムトラベルの動きを実演してくれたのだけれど、やっぱりよく判らなかった。
ハーフタイムシアターといえど、もう少し説明が欲しいところだし、野方にももう少し苦労して開発してもらいたいところである。
そういえば、この「南十字星駅で」というお芝居は、クロノス・ジョウンターのシリーズの完結編という位置づけであるせいか、シリーズのお芝居の登場人物たちが、名前だけとはいえ頻出する。そもそも科幻博物館は吹原がやってきたときに過去に彼を再び送り返すために保管されていることになっているし、クロノス・ジョウンターが最大で送り出せるのは「鈴谷さんが行った19年前だ」などという台詞も出てくる。
私は一応お芝居を観ているか本を読んでいるかしていたので何となく付いて行けたけれど、あまり「他のシリーズも見ていて当然」な台詞が多いのはどうなんだろうという感じは受けた。
野方は、57年前に自分が見せた雑誌がきっかけで、左東広之演じる萩塚が屋久島に旅行し、そこで命を落としたことをずっと悔やんできたのだという。
それは、悔やむだろう。
悔やむだろうけれど、何というか、野方は別に悪事を働いたわけではないし、例えば親友を陥れてやろうというような悪意を持っていたわけでもない。
ただ、たまたま持っていた雑誌を見せただけなのである。
そういう後悔をタイムトラベルで解消してしまっていいのだろうか、という感じはずっとつきまとっていた。
それはもちろん、そもそも「タイムトラベルで改変していい過去」があるわけないのだけれど、何となく、開発者である野方のこのタイムトラベルの理由には違和感があった。
これは、お芝居というよりも、原作に対する違和感だとは思う。
この後の展開も、ハーフタイムシアターなので早い。
野方は、一度未来に飛んだ後(ここで、自分が19年後には生きていないことを知るのはかなり切ない話である。そして切ないとかいう問題以前に、限定的とはいえ自分の死期を知ることはタイムパラドックスに反しないのか、などというつまらない疑問がまた浮かんでしまう)、計算通り、57年前に遡る。
そこで、57年前の自分に会う。
そういえば、タイムトラベルもののSFでは「自分自身に会う」ことを禁じていることが多いと思うのだけれど、「ミス・ダンデライオン」もこのお芝居も、そこには禁忌を設けていないようだ。
57年前に遡ってからも、話はサクサクと進んで行く。
自分が、萩塚に見せた雑誌を買わせないようにしようという作戦は、体力の衰えや記憶の曖昧さから次々と失敗する。
それでも、それが「信じて貰えなかったから」という失敗ではないところが、吹原のときとは違う。
最終的には、自分が酔いつぶれ、その自分を送って行こうとしている萩塚をやっと捕まえることができる。
そこで、彼は愚直に「屋久島に行かないでくれ」と頼む。
なかなか信じようとしなかった萩塚が、「自分のためでだけはなく、自分の恋人である片倉のためにも、自分に死んで欲しくないんだな」と気づいたところで、萩塚は目の前の老人が野方であることを納得する。
今の野方が片倉のことを語るときと同じ目だと言うのだ。
できすぎである。話が早すぎる。でも、これがハーフタイムシアターなのだ。
そうして、萩塚は「屋久島に行かない」と約束し、その約束を得て、ついでに高校時代に借りたままになっていたシャープペンをわざとらしく片倉に返して、野方は57年後の世界に戻る。
今回、思いついた理論を使えば、「元いた時間」にかなり近いところに帰って来られるらしい。
それは、確かにこの物語で完結するしかなかろう、と思う。
反作用で、遡った分、未来に飛ばされるという設定が、このシリーズの「切なさ」の肝であるからには、そこが解消されたところでシリーズを終えるのが筋というものだろう。
57年前に戻って来た野方のところに、岡内美喜子演じる片倉が訪ねてくる。
萩塚は少し前に亡くなっているという。
そして、57年前に老人の野方から返されたシャープペンを「これはあなたのもの」ともう一度返してくる。
野方が戻った57年後の世界では、萩塚と片倉は大学卒業の1年後に結婚していて、そのことを野方も知っているらしい。
「変わったばかりの記憶に慣れなくて」という野方の台詞も、22歳の萩塚が老人の野方のおかげで命を救われたことも知っている片倉にも、何となく違和感はある。
それもこれも、私がタイムトラベルもののSFを読み過ぎているせいなのかも知れない。
ここは、タイムトラベルのルールがどうの、タイムパラドックスがどうのとうるさいことは言わず、考えず、ただ2人の友情と片思いの物語を楽しめばいいのだろう。
岡内美喜子の上品な老婦人振りがいい感じだった。カーテンコールのときもずっと品のいいおばあさんで居続けた感じがなかなかよかった。
このハーフタイムシアターは、「ミス・ダンデライオン」もこの「南十字星駅で」もハッピーエンドで終わっていて、ハッピーエンド好きの私にはなかなかよかったのだけれど、でも同時に、このシリーズはもっと切なく終わって欲しいという気もしたのだった。
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