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「戯伝写楽」
作 中島かずき
演出 荻田浩一
音楽 立川智也
出演 橋本さとし/大和悠河/葛山信吾/ソニン
東山義久/岸祐二/小西遼生/辛島小恵
高谷あゆみ/林希/石井一彰/遠山大輔
海老澤健次/コング桑田/山路和弘
観劇日 2010年4月10日(土曜日)午後5時30分開演
劇場 青山劇場 1階N列11番
上演時間 2時間40分(20分の休憩あり)
料金 9800円
ロビーでは、パンフレット(2000円)等が販売されていた。その他の物販はあまり丁寧にチェックしなかったのでよく判らないけれど、このミュージカルのDVDの先行予約を受け付けていた。
青山劇場では、お手洗いを新しく増設したようで、開演前や休憩のときの列がかなり短くなっていた。これは有り難い。よくスペースがあったものである。
ネタバレありの感想は以下に。
いざ見に行くときまで、このお芝居がミュージカルだということは忘れていて、劇場に入ったときに気がついたのだけれど、幕(青山劇場の幕ではなく、恐らくこのミュージカルのために作られた幕である)が閉まっていて、オーケストラピットがないことにまず驚いた。
青山劇場でミュージカルなのに、テープということはあるまいと思っていたら、幕が開いて、舞台上の両脇にピアノやギター、ドラムなどのメンバーが陣取っていた。
なるほど、新感線と似た形である。
でも、作は中島かずきだけれど、演出は荻田浩一だし、宝塚出身の大和悠河が主演だから(と見終わって思った)、そうそう新感線テイストが続く筈もない。
続くどころか、幕が開くと、彼女が舞台の中央で一人スポットライトを浴びて立っていて、その彼女に向けて客席から拍手が起きたのには驚いた。
客席に宝塚時代からの大和悠河ファンが多かったのかも知れない。
題材としては、タイトルが「戯伝写楽」であるとおり、果たして写楽とはどういう絵師だったのか、という謎で引っ張るミュージカルである。
でも、橋本さとしが斉藤十郎兵衛というどこかのお大名のお抱え能役者を演じているし、山路和弘が蔦屋重三郎を演じていることからも想像がつくのだけれど、一言で言うと「猥雑」な舞台である。
あー、もう、歌を刈り込んで、もっと小さい劇場で、所狭しと猥雑に演出してもらいたいのに!と何度も思ってしまったことだった。
といって、ミュージカルとしてつまらなかったという訳ではない。
主演の2人はもちろんのこと、山路和弘に葛山信吾、ソニンら歌を聴かせる役者さん達が揃っているし、アンサンブルを率いている格好のコング桑田の芸達者ぶりも相まって、どういう組み合わせで歌おうと綺麗なハーモニーを聴かせてくれて楽しいし、全く安心して聴いていられる。
そういう意味でいうと、メインキャストよりも、アンサンブルにもう少し厚みが欲しかったような気がする。それは、声量というよりも、人数の問題だと思う。あと4人多かったら、舞台を狭く感じさせ、「圧倒的な歌声」という感じにすることができたのではないだろうか。
橋本さとし演じる斉藤十郎兵衛は、江戸の町で大和悠河演じるおせいという女絵師と出会う。
そして、彼女が描いた絵を「自分が描いた」と嘘をついて山路和弘演じる蔦屋に持ち込む。
小西遼生演じる歌磨に別の版元に乗り換えられたばかりだった蔦屋は、十郎兵衛に十分胡散臭さを感じつつも、彼が持ち込んだ絵を錦絵にして売り出すことにする。
写楽が実は能役者であったという学説があった筈で、そこを更に一ひねりしてあるところが味噌である。
写楽を取り上げる以上、その「正体」がテーマにならざるを得ないし、「実」が判っていないのだから、虚実が混ざるのは当然である。
ある意味、使い古されたテーマをどうやって新しく再構築して見せるのか、がこのお芝居のポイントだったろう。
そこを、最初っから「写楽の正体はおせいという女絵師でした」とすることで、その後の展開に興味を引っ張るという感じである。
蔦屋はもちろん老練なくせ者だし(この「くせ者」感を出すのにどうしてこう山路和弘という役者はハマるのだろう)、表で「写楽」の振りをしている十郎兵衛に代わって、おせいの世話をし、蔦屋とつなぎを取っているのが、東山義久演じる与七こと後の十返舎一九である。
この十返舎一九を演じている東山義久という役者さんが、実はこの舞台で一番気になった役者さんだった。
やけに「秘密を握っているのは俺だぜ」感が漂い、でも、「いつか裏切るんじゃないか」という暗さがないところが格好いいと思う。
橋本さとしの演じるいい加減さには、かなりご本人のまじめさが滲み出ていると思うのだけれど、東山義久の場合は「根っからこのタイプなんじゃなかろうか」という雰囲気を漂わせているのである。
そして、おせいが昔(なんだろう、多分)1ヶ月だけ一緒に暮らしていた相手の男というのが、葛山信吾演じる鉄蔵こと春朗こと後の葛飾北斎だというのだから、登場人物が豪華である。
この5人が、「写楽」の秘密を守って写楽を売り出し、世に知らしめていくことになる。
対抗して、蔦屋を飛び出した歌麿呂、岸祐二演じる狂歌師を廃業して堅気の武士になったように見える大田南畝(ミュージカルを見ている間はずっと「岡田」だと信じていたので、彼も歴史上の人物であることに気がつかなかった。ナサケナイ。)、コング桑田演じる蔦屋のライバルの版元鶴屋らが、何とかして写楽の正体を暴こうと画策する。
そこに、やはり写楽の絵に惚れ込んだのか、ソニン演じる自分の正体を描いてもらいたいと思い定めた浮雲という花魁が絡んできて、話はさらに錯綜する。
おせいという女の造形が今ひとつ判らない。
あっさりと「寝るなら早く」みたいなことを言ってみたり、自分が「死ぬほど」絵を描いているということに気がついていなかったり、しかし「絵師」として人が隠そうとしている、あるいは知りたくないと思っている、気がついていない「素」の部分を見抜いている。
さて、この女はどういう人生を歩いて来たのだろうということが気になる。
気になって落ち着かない。
それはそれとして、大和悠河という女優さんは舞台向きの派手な顔立ちの女優さんだな−、とお芝居と関係ないことも考えてしまう。ポスターやチラシよりもずっとご本人の方が華やかだ。
つい、ソニン演じる花魁と役柄を交代したらどんな感じになるのだろう、などと考えてしまう。
ソニンの方は、実は最初に舞台に現れたときには彼女だとは気がつかなかった。花魁の役だから白塗りだし、黒髪で日本髪を結った鬘だし、あんなに小柄だとも思っていなかったのだ。何か(覚えていない。可憐な娘の役を演じていたと思う)のミュージカルで彼女の歌声を聴いていなかったら、多分、最後まで気づけなかったと思う。
その花魁浮雲を描く「筆くらべ」をしようと、鶴屋と歌麿が仕組んで十郎兵衛を呼び出した辺りから、物語は急展開する。
もちろん、十郎兵衛に描けるはずもない。
花魁は、以前に十郎兵衛に「自分を描いて欲しい」と言ったのは恐らく本心だったのだろう。鶴屋の策に協力したのではあるまい。
その場には鉄蔵もいて、十郎兵衛は「お前が裏切ったな」と詰め寄るけれど、どうもそうではないらしい。相変わらずおせいに惚れている鉄蔵は、十郎兵衛はともかく、おせいに不利になるようなことはしないのだ。
結局、蔦屋の機転で、物陰に潜んでいたおせいが浮雲の絵を描き、女中に化けてその絵を十郎兵衛に届けて事なきを得る。
その場は事なきを得たものの、その後、おせいの様子がおかしい。
何かを隠し持った浮雲の本性を知り、その本性の凄さに完全に魅入られてしまったようだ。
私には、花魁の浮雲には過去に人を殺した過去がある、という風に聞こえたのだけれど、それはどうだったのだろう。
「十郎兵衛は影に徹しきれる人間じゃない」と蔦屋は与七に注意するよう伝えるし、日頃の十郎兵衛のいい加減な風情から「コイツはおせいを金づるだと思っている」という風にも見えていたのだけれど、よくよく考えれば、おせいがそんな男のことを「全然判らなくて面白い」などと言うはずもなかったのだ。
心中をはかった浮雲らが見せしめにさらされているところへ駆けつけたおせいに、浮雲は「あなたがそうだったのか」とその目を見て悟り、自分を描けと叫ぶ。
十郎兵衛に「この場で絵を描いたらお前が写楽だとばれる。心に描け」と言われたおせいは、その通りにし、その後、浮雲の顔以外の絵を描けなくなる。
実はおせいの絵もおせいも憎んでいた鉄蔵が現れ、浮雲の似顔絵のからくりを知らない彼は、十郎兵衛がおせいの絵の筋を自分よりもずっと深く掴んでいたと嘆き、筆を折るとおせいに絡む。
おせいの方は全く取り合わず、あんな絵を描けるのは私しかいないに決まっている。そんなことも判らないなんてと笑う。
つくづくとコワイ女である。
一度は刃物を振り上げた鉄蔵を止めた十郎兵衛が、おせいが浮雲を描くのを止めるため、おせいの目に刃物を突き立てる・・・。
こうして「写楽」という絵師はこの世から消えたのだった。
・・・と信じたのに!
実は、十郎兵衛がおせいの目に刃物を突き立てたのはお芝居だったのだ。
そういえば、十郎兵衛はかなり前に花魁の浮雲を相手に、自分の手に刃物を突き立てて「これでお前の絵は描けない」とやっていたのだった。
それを見ていたのに、つゆほども疑わなかった自分が情けない。
おせいと十郎兵衛は、与七の前で最後の一芝居を打ち、目を治すために湯治に出かけるというフリで、「写楽」という絵師にとどめを刺す。
ちゃっかりしっかりしているおせいという女は、きっと、蔦屋から写楽の目の治療にと出たお金を長崎まで行くという旅費にしたに違いない。
そのおせいが「能面を外しても、その下にある素顔を忘れそうになったらこれを見ろ」と、最後に渡したのは、十郎兵衛の似顔絵だったらしい。
それは、彼女が「写楽」を止めても絵を描くことは止めないという意思表示でもあったんだろう。
おせいが去った後でその絵を見た十郎兵衛が「俺はこんなに色男かよ」と呟いたのがとにかく格好良かった。
十郎兵衛が本当に嫌な奴でもなく、悪どい奴でもなく、いい加減な奴でもなく(そういえば、おせいの絵を女が描いたと売り出せば際物扱いになるから自分が傀儡になると言い出したのも十郎兵衛で、蔦屋も全く同じことを考えていた、などという前振りもあったのである)、本当に「いい男」だったんだな、と何故か私が説得されてしまったのだった。
恐るべし、おせいという女。
時間的にも空間的にももっと凝縮した感じで見たかった、という気持ちは強いのだけれど、でもそれはそれとして、気持ちよく騙されて満足の行く時間を過ごせて楽しかった。
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コメント
逆巻く風さま、コメントありがとうございます。
どうぞ、私の感想なぞナナメ読みなさってくださいませ。
そうですね、ミュージカルがお好きな逆巻く風さんにはなかなか楽しめる舞台だったと思います。
私はストレートプレイにしてもっと小さい劇場で時間も短くしてぎゅっと猥雑な感じで見てみたいと思いましたが、大きな劇場で贅沢な音で見るのもまた別の楽しさがあると思います。
機会がありましたらぜひ!
投稿: 姫林檎 | 2010.04.11 21:02
ざーっと読ませてもらいましたが・・・(汗)
何か観たかったなあ、という印象です。
これだけのために出掛けるのはちょっとためらいますが、他のとセットで。
投稿: 逆巻く風 | 2010.04.11 18:59