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「博覧會~世界は二人のために~」
作・出演 千葉雅子
演出・出演 池田成志
出演 荒川良々/星野真里/大谷亮介
菅原永二/篠井英介
観劇日 2010年4月18日(日曜日)午後2時開演
劇場 東京グローブ座 1階A列12番
上演時間 2時間10分
料金 5800円
ロビーでは、パンフレット(1000円)や、ポスター(500円)が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
パルコ劇場プロデュースの公演なので、てっきりパルコ劇場で上演されるのだとばかり思っていたら、チケットを確認したら東京グローブ座だったので驚いた。
何も見ずにいきなり渋谷に行ったら開演に間に合わないところだった。良かった。
東京グローブ座の1階A列は最前列で、開演前に劇場の人から「ここは通路になりますので、荷物を置いたり足を投げ出したりしないでください」という注意があった。
確かに、ここで何もしないにしては広すぎる舞台との距離だと思ったけれど、開演直後のシーンで星野真里演じる蝶子と池田成志演じる台湾の役人である秋本が「船で到着した蝶子を秋本が台北の父親の元に送る」というシーンで使われただけだった。
ちょっと残念である。
この芝居の始まりは、俳優陣4人が女装し、場末のキャバレーといった場所で踊る踊り子のシーンである。
男の取り合いやらジェラシーやらありつつ、舞台上で踊り子の一人が子供を産んだ、というところで暗転となる。
明かりがつくと、その「舞台で生まれた子」が大人になって台湾を訪ねて来ている、というシーンにつながるわけだ。
見る前は、「千葉雅子作、池田成志演出」ということから、濃かったりどろどろだったり不条理だったりするお芝居なのだとばかり思っていたのだけれど、「爽やかなお芝居だった」とは言わないし、全くハッピーエンドではないのだけれど、意外なことに後味は悪くない感じだった。
星野真里は、最初、人妻だという設定が不思議なくらい明るいお嬢さんの感じで登場する。
彼女の父親は芝居をやっており、そのために台湾に滞在しているらしい。
その父親を訪ねて、戦時中にも関わらず女一人でやってきたのだから、やはり一筋縄ではいかない、率直で言葉を飾らない強気な女であることが台詞の端々から伺われる。
それにしても、どうしてこう星野真里は、その容姿とは裏腹に(というか、容姿が可憐だからなのかも知れないけれど)気の強い、ちょっと小悪魔な感じの役を演じることが多いのだろう。
そして、彼女は、いかにもダメダメそうな一座が投宿している場所(劇場ではないし、普通の街中の一軒家に見える)にやってくる。
そこには、篠井英介演じる彼女の父親である淡水という名の座長を始め、大谷亮介演じる「親方」と呼ばれる男や、荒川良々演じる千太郎、菅原永二演じる鮒二郎という役者達、千葉雅子演じる昔は舞台に立っていたけれど今は裏方に回っているよしという女が揃っている。
彼らは、日本で一座に失敗し、「台湾統治の成功の証に、日本人と台湾人とで一つの舞台を作りたい」という秋本の言葉に乗ってやってきたものの、その試みはいっこうに実現する気配もない、という状況らしい。
要するに、日本でも台湾でも「食い詰めている」感じなのである。
上演できるあてのないまま、稽古をしたりサボったり賭け事に夢中になったり、「ぐずぐず崩れ始めるまで後一歩」な風情が漂っている。
座長の淡水は女形になってお座敷で接待役を務め、お偉方の許可を得ようと秋本と一緒に根回しを繰り返し、他の座員は、でも、何だかんだ言いつつも完全に身を滅ぼすようなことはせずに、何とか日銭を稼いだり顔つなぎをしようとしたり、日々を送っているらしい。
そこへ、蝶子が現れたら、それはいかにも「掃きだめに鶴」を地で行っているようなものである。
実は、何かで「星野真里と荒川良々のラブシーンは今まで見た中で一番美しい」というようなインタビューをどこかで読んだ記憶があって、そう思って見ていると、蝶子と千太郎が二人だけになるようなシーンはなかなか意味深な感じである。
蝶子は千太郎に会いに来たのかなという感じが漂う。
彼女は、淡水の「堅気の人間に嫁がせたい」という気持ちと、「一座が大変なときだから金持ちに嫁がせて何とかしたい」という気持ちと、かなり相反する気持ちの一致した結果として、どこぞの質屋の後妻に入っているらしいのだ。
蝶子は、千太郎に家から持ち出してきた大金を見せて「一緒に逃げて」と言うのだけれど、そこを鮒二郎に見られ、一緒に逃げてくれと言われ、鮒二郎に襲われそうになったところを千太郎に助けられ、持ち出した大金を鮒二郎に投げつけて、鮒二郎にナイフで斬りつけられて怪我をした千太郎を守ろうとし、鮒二郎は大金をかきあつめて逃げ出して行く。
これはこれで酷い話だけれど、でも、周二とよしが帰って来て事情を聞き、もう関東で芝居を打つことはできないと蝶子を怒鳴りつけつつも、二人のことに理解を示す。
ハッピーエンドじゃないの、という感じが漂う。
ところがやっぱり、作・千葉雅子は伊達ではない。
そこに、秋本とともに警察官僚の接待に出た筈の淡水が帰って来て、日本酒を煽る。
何ごとかと遠巻きにする彼らに対して、秋本は自分たちを抱えて相当に無理をしていたらしい、役所の金を使い込んでいてお前もグルなんだろうと責められた、金を返せと言われている、もう今度こそ一座は解散だ、と告げるのだ。
一同は呆然とする。
ここの玄関先で秋本を見かけたという蝶子の言葉に飛び出した千太郎は、封筒を手に戻ってくる。秋本は、淡水に昨日頼まれた蝶子の帰国用の切符の手配だけはして逃げ出したのらしい。
流石に場はどんよりと沈む。
淡水に「鮒二郎はどうした」と聞かれ、千太郎はとっさに「また博打に行ってしまった」と嘘をつく。
そして、何とか気を取り直し、千太郎と蝶子のことを淡水に告げようとした周二の機先を制するようにして、蝶子が「私は日本に帰る」と言い出す。
日本に帰って、自分の結婚相手にお金を出してくれるように頼む、だからお父さんは芝居を止めないでくれ、と優しく言うのだ。
蝶子がそう言うということがどういうことなのか、この場で判っていないのは淡水だけである。
でも、蝶子本人がそう言っているのに、一体誰が止められよう。
もしかしたら、全部を判っているのかも知れない淡水も、「家に電話してくる」と言う蝶子を止めることはせず、「蝶子に付き添っていていいか」と言う千太郎を行かせるのだ。
何だかな。
切ない。
そこへ、周二とよしが、近所の小さな小屋で舞台に立たないかと淡水を誘う。「日本に帰れ」とよしにお金を渡した淡水にはこれほど有り難い申し出はあるまい。
わざとツンと澄ました様子を作り、頷くのだ。
そして、この3人を舞台上に残したまま、照明が消え、幕である。
何だか微妙なところで幕を下ろされてしまったような、この後どうなるのよ! と叫びたくなるような終わり方だと思ったし、何度も言うけれど決してハッピーエンドではない。
でも、少なくとも「自分はお父さんの子かどうか判らない」「やっぱりお父さんの子ではないのだ」と言っていた蝶子が、その父親に芝居を続けさせるために払おうとした犠牲のことを考えると、決して後味の悪い終わり方ではないように思えるのだ。
何か騙されているのかも。
人情話ではないとすると、この結末はやっぱり酷いものなのかも知れないし、淡水はやっぱり自分の子かどうか判らない蝶子を一座のために金持ちにたたき売ったのかも知れず、千太郎と蝶子のことを知っていて知らない振りをしたのかも知れないという気もする。
そういう結末だと思うと、これほど後味の悪い終わり方もない。
それでも、その可能性を一応頭に入れて考えても、やっぱり、そんなに後味の悪い終わり方ではないお芝居だったな、という感じがするのが不思議である。
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