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2010.06.06

「佐倉義民傳」を見る

コクーン歌舞伎「佐倉義民傳」
演出 串田和美
出演 中村勘三郎/中村橋之助/中村七之助/笹野高史
    片岡亀蔵/坂東彌十郎/中村扇雀
観劇日 2010年6月5(土曜日)午後5時開演
劇場 シアターコクーン 2階D列27番
上演時間 3時間5分(15分の休憩あり) 
料金 13500円

 ロビーでは、パンフレット(1800円、だったような気がする)の他、歌舞伎座に並んでいた(と思われる)お店がいくつか屋台のような感じで並び、かつ「佐倉義民傳」のオリジナルグッズ(ペンやTシャツ、うちわなど)が販売されていた。

 また、コクーン歌舞伎のときだけは客席内での飲食がOKとなるので、カフェのメニューも充実し、「肉巻きおにぎり」や「富士宮やきそば」などまで売られていた。いつにも増して大混雑していた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 シアターコクーンは、コクーン歌舞伎のときだけ客席での飲食がOKとなる。その分、ロビーのカフェのメニューも増えて結構楽しい。
 ただ、飲食がOKだから仕方がないのかもしれないけれど、上演中にガサガサ・ペコペコという音がするのがいただけない。また、そうやって飲食の音が普段よりも多いせいか、飲み食いするときの宿命なのか、客席でしゃべる人が多いのも何だかなと思う。しかも、堂々としゃべる人が出現する率が高いのは気のせいだろうか。

 それにしても、1等椅子席のチケットを購入して、2階席の最後列から2列目の席だとは思わなかった。
 それなら、2等席や3等席はどこなんだと思う。
 桟敷席を選んでおけば1階の前方席が確保されるわけだけれど、競争率が高いし、ほとんど段差がなく、本当に桟敷席なので椅子がないというデメリットがある。
 さて、どうすればよかったのかというところだ。

 しかし、2階席からの眺めはなかなかよかった。
 コクーンの舞台は天井が高いので、見下ろすことになっても意外と気にならない。もちろん舞台は遠いのだけれど、1階の最後列よりも見やすいような気がする。
 これで、1階客席の後方での芝居をもう少し少なくしてくれればなぁ、と思う。本当に何が起こっているのか全く見えない。客席が明るくなったり、振り向く人が大勢いるのを見て「何か起こっているんだな」と思うだけである。
 あるいは、客席でのシーンを見せるための画面を設置してくれればいいのにと思う。

 開演前、「佐倉義民傳」という文字が書かれた小さな幕が舞台上に張られている。
 両脇に立つ人が竿を持って支えているのだから、本当に小さな幕である。その幕が一瞬で引かれると、そこは黒い着物を着て、黒い鉢巻をし、「この人はちょっと様子がおかしいです」と一目で判るように作った侍がいる。
 後ろに配された花の咲いていない桜が描かれた屏風が何とも象徴的である。満開の桜の下には鬼が住んでいるわけだけれど、咲かない桜の前には狂気の殿様がいるのである。

 この殿様は、何やら「宗吾」という人物の祟りを恐れているらしい。
 しかし、言っていることが微妙に支離滅裂なのと、2階席は声が届きにくいのか、台詞をちゃんと聞き取れなかったような気がする。
 そして、農民が怒りを表したり、まとまったり、心情を語るシーンではラップが使われていることがこの「佐倉義民傳」の売りの一つだとおもうのだけれど、これまた、内容をきちんと聞き取るのがかなり難しい。状況説明をラップでされてしまうと、「重要な何かを聞き取れなかったんじゃないか」と不安になる。

 ところで、この芝居で「緩和」を生み出すシーンは、ほとんど笹野高史が引き受けていたような気がする。
 彼の初登場シーンでは、お坊さんに扮していて、相方のお坊さんが持つ般若湯のとっくりを取り合っていて笑いを誘う。
 そして、その後の、7日間の断食をした上に滝に打たれるという修行をして佐倉の農民の明るい明日を不動明王に願うという壮絶なことをしている、中村勘三郎演じる名主の宗吾の登場に備えるのだ。
 この勘三郎の登場で、自分のすぐ後ろに大向こうの人がいることに気がついた。

 この宗吾という名主は、本当にとことん「人物な」人物である。嫌みなくらいに「いい人」である。
 名主は農民がいるから暮らして行けるのであり、農民の暮らしを守るのは当然であると日々主張している。それも、決して口先だけのことではなく、自分にそう言い聞かせているわけでもない。
 7日間の断食が終わると同時に、農民たちが税を増やされることに絶望したのか怒り心頭に達し手に武器を持って集まっていると聞けば駆けつけ、死に装束の自分を血祭りにしてから城下に押し寄せろと体ごと止める。
 一揆は必ず殲滅される。だから、農民たちに一揆を起こさせたらそれは農民を守ることにはならないと知っているのだ。

 自分が幕府老中になるからと領内の年貢を引き上げようとする領主は、悪者というよりもお坊っちゃんで世の中を知らないが故に結局、悪気はないままに残酷なことをするという、どこかで聞いたような人物である。
 その世間知らずにつけ込んでなのか、面従腹背を貫いて農民たちに過酷な年貢を課す城代家老の方が判りやすく悪人かも知れない。
 時代劇では通常「お代官様」が判りやすい悪役なのだけれど、残念ながらここでの存在感は薄い。

 この構図だけであれば、正義対悪という判りやすい対立軸なのだけれど、このお芝居を捻っているのが、中村橋之助演じる由井正雪を名乗る侍なのか大道芸人なのかよく判らない駿河弥五衛門という人物である。
 弥五衛門の立ち位置が判るとこの「佐倉義民伝」も判るような気がするのだけれど、私には最後までこの弥五衛門の意義が判らなかった。

 弥五衛門は、登場シーンでは、渡し船の甚兵衛の借金の形に連れて行かれそうになった中村七之助演じる甚兵衛の姪のおぶんを助けようと、借金取り立てのヤクザらを刀で蹴散らす。それだけなら、いくら本人が「通りがかり」だと言い張っても、まあ、通りがかりではあったのだろうけれど、いい人に分類したくなる。
 それが、そこに宗吾が通りがかり、借金の取り立てをしている方の男たちが成敗されそうになっているのを見て、「この人たちも元は農民だ」「どこの人だろうと、農民を守るのが自分の仕事だ」と言って、彼らの命乞いをした辺りから狂い始める。
 宗吾が借金の額には足りないもののとにかくお金を渡して立ち去ると、弥五衛門は3人のうち2人を斬り殺し、「一揆だ!」と叫ぶのだ。
 訳が判らない。

 その後も、弥五衛門は、由井正雪を気取って髪型も変え、農民たちにもそう自己紹介しているようなのに、一方で宗吾の家を訪れて今度は「自分は由井正雪などではない」と言う。
 そして、宗吾のやっていることは目の前の問題をとりあえず片づけているだけであり、根本的な解決には農民が立ち上がるしかないと焚きつける。
 しかし、宗吾は「あなたが来てからこの村の農民たちの表情が明るくなった」と感謝しつつも、「一揆は八方手を尽くしてからでも遅くはない。一揆だけは待ってほしい。」と頭を下げる。
 この宗吾の対応は、「宗吾だから」で納得できるような気がするのだけれど(この辺りですでに納得させてしまうのが、勘三郎の凄みなのだろう)、弥五衛門は、結局のところ、何が狙いで何を考えているのだろう。

 その後も、弥五衛門は、自称どおりに大道芸人の格好をして城代家老の庭先にまで入り込み、宗吾ら名主たちの嘆願を聞き入れて年貢を引き下げた結果、やりくりが苦しくなっていた城代家老に、大きさの違う升を示して、何やら入れ知恵を行う。
 そのカラクリをどう使うのかと思っていたら、大きさの違う升で農民がすでに納めた年貢のお米を計り直し、「年貢米が足りない」と代官に言わせたのには驚いた。
 それが狙いだったのか。

 さらに、弥五衛門は、代官が宗吾に詰め寄るその場にいて、その升の大きさの差の秘密を暴く。要するに宗吾を一揆に追いつめたいのだとここでやっと気がついたのだけれど、そんなことをして何になるのか。
 侍として刀の腕は確かなようだし、大道芸人の格好も口上も板についている、城代家老の庭先にこっそり入り込むことも軽々とやってのける。
 私などはこの辺りで、実は佐倉藩お取りつぶしを狙っている幕府の密偵なんじゃないかと考えたくらいだ。
 時代劇の見過ぎである。

 その後も、弥五衛門の訳の判らない活躍は続き、宗吾のあまりの「人物」さに当てられて(本人は「あの莫迦を見ていると自分が莫迦な気がしてくる」と言っていたけれど)、とうとう佐倉を出て江戸に行こうとする。
 そうすると、おぶんが「自分も連れて行って欲しい」と言い、そのとおり江戸に連れて行った弥五衛門は彼女に美人局の片棒を担がせようとする。
 そのおぶんに「縄張り荒らしだ」と詰め寄る夜鷹の女が実は、おぶんが小さい頃に江戸に出て行ったおぶんの母親だというのだから、ドラマチックといえばドラマチックである。
 しかし、おぶんの母親はおぶんを冷たくあしらう。

 一方、そこに江戸にいる領主への直訴が成功し、領民に気遣いをするという約束を取り付けた宗吾らが通りかかる。
 そういえば、領主は宗吾の言うことに偉く感動していたし、領民を大切にするという証にと宗吾に杯を手渡すのだけれど、実は領主は何の約束もしていない。そして、約束した直後に、城代家老に「質素倹約をするなら、千代田のお城にも木綿の着物で登城しろ」と言われてその約束をあっさりと反故にする決心をするという、悪人ではないかも知れないけれどとんでもない人物である。
 その宗吾に、弥五衛門は、「もし領主が嘆願を聞き入れてくれなかったら、どんな覚悟があったのか」と詰め寄る。すると、宗吾は「千代田のお城に直訴を・・・」と言いかけて止める。
 それを聞いた弥五衛門は、「この男はそこまでの覚悟があったのか」と衝撃を受けた、ように見える。

 この後の展開もまたハチャメチャで、弥五衛門はおぶんに「俺が領主に、宗吾は千代田のお城に直訴するつもりだと言いに行く、と言ったらどうする?」と尋ね、おぶんが「そんなのは私には関係ない」と答えると、あっさりと彼女を斬り殺してしまう。
 何故だ?
 そして、「自分を止めるとおまえが言ったら、ここで別れるつもりだった」などと言い、佐倉藩の江戸屋敷に向けて走り去る。
 一方、もしやと気づいて戻って来たおぶんの母親は、死んでしまったおぶんを見つけて泣き崩れる。
 展開が早すぎて、こちらも訳が判らない。

 領主に訴えが通じたことに満足して帰り道を急いでいる宗吾ら2人の前に、佐倉藩士が現れ、千代田のお城に直訴しようとは不届き千万とばかりに、捕らえようとする。
 宗吾は「何かの誤解だ」と言うけれど、もちろん藩士の側に聞く耳があるわけもない。
 連れの名主の犠牲で、宗吾はその場を逃げ出す。
 逃げ出した宗吾の勘三郎は、1階客席はもとより、2階客席にまで現れて逃げまくる。
 通路側の席に座っていて、後ろから勘三郎がいきなり現れ(本当に物音一つしなかった)、マントが触れたので本当に驚いてしまった。

 さて、宗吾は渡し船の甚兵衛に頼んで、村に帰ろうとする。
 どうして村に帰ろうとしているのか、実は判らなかった私である。逃げるなら、江戸でも佐倉でもないところに逃げなければ意味があるまい。
 甚兵衛は、「舟は代官がやってきて鎖で繋いでしまった」と言い、とにかく温まれと小屋に招き入れる。そこで、火に当たりながら宗吾は、どうして領主がこんなことをするのかと考え始め、「領主は最初から自分との約束を守るつもりがなかったのだ」「だから千代田のお城に直訴しようとしている、などという弥五衛門の嘘を信じたのだ」「弥五衛門はそのことを自分に気づかせるために現れた不動明王の化身だ」ともの凄い三段論法で「結論」に飛びつく。
 この思考の間、火に照らされた宗吾の影は不動明王の姿になっている。

 違うだろ−!
 領主が宗吾との約束を守る気をなくしていたことは事実だけれど、少なくとも約束したときには本気だったし、弥五衛門は決して不動明王の化身ではないし、そういう暗い「誤解」をする宗吾の影がどうしてお不動様の姿になるのか、さっぱり判らない。
 というか、判らないというよりも、間違っている気がする。
 このシーンで納得できたのは、妻子に会うことを諦めて本当に千代田のお城に直訴に行くことを決めた宗吾を察して、おぶんやその両親に出て行かれたことのある甚兵衛が「突然出て行かれてしまう方の気持ちは判る」と、鎖を包丁で切って渡し船を出してやるその心情だけだ。

 そして、我が家に帰った宗吾は、最初は黙ったまま家族との別れを惜しむ。
 宗吾には上から男の子、男の子、産まれたばかりの女の子と3人の子供がいるのだけれど、この長男がまた父親そっくりの「できたお子」である。本を読み、父親のような名主になると言い、我が儘を言う弟を丁寧語で諭す。いっそ、嫌味なくらいである。
 去り状を置いてこっそり出て行こうとしていた宗吾だけれど、そこに、代官所の役人と十手を持った男が現れる。十手を持った男は宗吾を捕らえようとするけれど、それは実は、甚兵衛のところに取り立てにきて弥五衛門に殺されそうになったところを宗吾に助けられた男だったというのがミソである。
 この男は宗吾に大きく感謝していて、見逃すことと、探索の手が薄い方向を教えてくれるのだ。
 ご都合主義もここまで来るといっそ見事である。
 この男が、弥五衛門が自分の弟2人をあそこで殺してしまったことを宗吾に伝えていれば、少なくとも宗吾の「弥五衛門は不動明王のお使い」という誤解は解けたと思うのに、そんなこともない。

 事情を察した宗吾の妻おさんは、自分も連座したいとかき口説き、その心情に打たれた宗吾は去り状を破り捨てる。
 最初のシーンで「宗吾の家族もろとも処刑した」とお殿様が口走っていたので、そんなことをしたら子供達も殺されてしまうのだと教えてやりたかったけれど、考えてみれば、去り状があったからと言って領主らが宗吾の家族を見逃したとも思えない。
 そうすると、去り状を破いた宗吾の判断は結果的に正しかったのか。

 宗吾は追っ手を振り切り、どこだか判らない、でも雪の降る中で、将軍家綱に直訴状を渡すことに成功する。
 このシーンは、台詞もなく、音もない。
 ただ、動きと視線だけで物語が進められて行く。
 本当に緊迫した美しいシーンだった。

 そして、宗吾の磔のシーンへと続く。
 直訴状を届けることはできたものの、佐倉藩はお咎めなし、宗吾は佐倉藩に下げ渡されてしまう。「どうなりと好きに処分せよ」ということだろう。
 しかし、佐倉藩としてはお咎めなしだったから全てよし、というわけには行かないようだ。「佐倉藩の恥を天下にばらまいた極悪人」という扱いである。
 だからこそ、そして、城代家老自らが言っていたように宗吾のあまりの「義」ぶりが怒りを買い、乳飲み子である末の女の子まで惨殺するという刑を決めたのだろう。
 理不尽である。

 ここへ来て、「自分が先に殺されたら、弟は動揺して安らかに死ねない。だから、弟から殺してくれ」と嘆願する宗吾の長男が哀れである。
 そして、自分の番となり、お経を唱える息子に「成仏などするな。恨んでこの地に留まれ」という宗吾の心持ちは、実はよく判らなかった。
 自分と共にこの地の守り神となれという意味だったんだろうか。
 佐倉の農民のためと言って自分が行ってきた数々のことは、自分の子供達を含む佐倉の農民のためだったと判った、と叫ぶ宗吾の心持ちは、少し判った気がする。
 子供達の死を見せつけた後、宗吾は殺され、おさんの叫び声を引きながら舞台は暗転する。

 ここで、シーンががらっと変わる。
 最初の「佐倉義民傳」と書かれた小さな幕が再び張られ、そこは「劇場」になっている。
 幕前に出てきた笹野高史演じる座頭が、その後の宗吾の運命を語り、「これでおしまい!」と告げる。
 見物客たちは当然ブーイングである。
 そこへ、「今は明治時代なんですね」という格好をした警官らが劇場にやってくる。こんな芝居を上演してはいけないと言うのだ。
 また、主演俳優が縛られた姿で登場し、自分の代わりに舞台に立った男がいると訴える。
 その舞台で宗吾を演じていたのは、自分は宗吾だと言い張る、弥五衛門だったのだ。
 狂気に陥った領主と同じように、弥五衛門もまた、宗吾の生き方に「当てられた」人物だったのだろうと思う。
 それでもやっぱり彼の行動や心持ちは判らないのだけれど、私の「幕府の密偵」説は否定されたと思われる。

 この後の展開については、何故か記憶が曖昧になっている。
 気がついたら出演者全員(子役も並んでいた。だから、始まる時間が早かったのだと納得した。)が舞台上でラップに乗せて、「日本の今」の現状を憂えていた。
 宗吾が選んだ生き方も、今の自分たちの生き方も、一本の道の上でつながっているんだ。彼らの100年後、1000年後と、自分たちの10年後はつながっているんだ、だから、という訴えである。
 正直に言うと、違和感があった。
 特に鳩山首相が退陣した直後ということもあって、そういうことを訴えたい、訴えるのに好機だという考えも判るようにも思うのだけれど(何というか、効果が望めそうな気がするというか)、でも、それは直接ラップに乗せて訴えられるのではなくて、自分で勝手に感じたかったなという風に思う。

 3時間、面白く楽しんで先がどうなるのか判らないままハラハラドキドキして見て、そして「何かを考えなくては」と思わせられたお芝居だった。

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コメント

 逆巻く風さま、コメントありがとうございます。

 えーと、友人はあまり演劇に興味のあるタイプではなかったので、大竹しのぶ@朝の連続テレビ小説の話を知っていたかどうかは微妙です(笑)。
 ただ、郷土愛に溢れていて、松本市の話もよくしていたし、深志高校の話は中でも多くて、よく覚えているのです。

 中村座(の名前で上演していたのでしょうか)、定番化するといいですね。
 イベントとしてもかなり派手で楽しめますし。

投稿: 姫林檎 | 2010.07.11 22:36

ということで、中村座、大盛況のうちに終わったようです。
劇場内に縁日が出たり、中村家の皆様も歓迎に感激されたり・・・ほぼ毎日地元紙に載りました。
ひょっとしたら、歌舞伎が定着するかもしれません。串田さんが当劇場の館長(まだそうでしょう)ということもありますし。

ありゃ~F高校の名がでてくるとは・・・いえ、特に何もないですが。
ところで、あの大竹しのぶさんもF高校出身って知っていますか?
はっはっ、冗談ですが。
でも大竹さんの実質的なデビューはN○Kの朝の連ドラだったと思います。その時の役で、大竹さんはF高校の生徒だったんです。だから実際は違っていても”名誉卒業生”といってもいいかもー (^^)。
そんなことお友達は知っていたのかな?

投稿: 逆巻く風 | 2010.07.11 20:15

 逆巻く風さま、コメントありがとうございます。

 開智学校って意外でしたか???
 深志高校出身の友人がよく話していたので(本人は地元に戻ってしまったのですが)、何だか印象が強いのです。

 サイトウキネンフェスティバルもそういえば逆巻く風さんの地元発ですね。

 「キャンディード」、そんなにきっぱりと太鼓判を押していただけるのでしたら、行けばよかったです。
 確か27日が千秋楽でしたよね。
 26日に行こうかどうしようか迷っているうちに完売になってしまったのでした。残念!

投稿: 姫林檎 | 2010.06.29 22:40

はっはっ、調べましたね。でも開智学校が出てくるとは!
当地はこの劇も評判ですが、例年クラッシックの祭典で有名です。印象的には文化都市というイメージ?

さてさて、『キャンディード』は多分姫林檎さん好みじゃないかな?<好みまで把握してます (笑)
『余命~』は最前列で見ました。ありふれた話とは思っていましたが、やっぱり泣かされてしまいました。貫地谷さん他の方の熱演、涙まで見れて感動してしましました。

投稿: 逆巻く風 | 2010.06.29 18:41

 逆巻く風さま、コメントありがとうございます。

 そうですね。おっしゃるとおり、佐倉義民傳はかなり評価が分かれているお芝居のようです。
 歌舞伎をよくご覧になる方の方が、大きな違和感を感じる作りになっていたのかも知れません。

 逆巻く風さんには私の観劇傾向を完全に把握されてしまっているようですね(苦笑)。
 おっしゃるとおり、「キャンディード」も「余命1ヶ月の花嫁」も見ておりません。キャンディードはちょっと迷ったのですが。

 そうそう、「佐倉義民傳」がこれから行くとお聞きして、やっと逆巻く風さんのお住まいになっている街が判りました。
 開智学校のあるところですね!

投稿: 姫林檎 | 2010.06.29 18:20

当地でそろそろ始まります。一昨年かな?平成中村座が来て大盛況だったので、2匹目のドジョウ、ってところでしょうか。
市内練り歩きもあるようで、TVで盛んに宣伝しています。この劇評価は分かれるようですが、内容なんていいんです、盛り上がれば。
まあ私は行きませんけど (苦笑)

こんなところで失礼、第何弾?ですが、先日東京で2本観てきました。今回は公表しちゃいましょう (笑)
『キャンディード』と『余命1ヶ月の花嫁』でしたが、どちらも観て良かったと思える作品でした。
姫林檎さんは観ないでしょうね・・・・

投稿: 逆巻く風 | 2010.06.29 18:03

 paruさま、初めまして&コメントありがとうございます。

 paruさんはこの「佐倉義民傳」、評価できないとお考えなのですね。
 私は、歌舞伎を見ることもほとんどないまま見ているせいかも知れませんが、違和感を感じつつも楽しく見てしまいました。
 でも、やっぱり最後のラップのところはない方がよかったんじゃないかと思います。

 いつか、コクーン歌舞伎ではない「佐倉義民傳」も見てみたいと思います。
 

投稿: 姫林檎 | 2010.06.19 11:01

はじめまして。
私は初回からコクーン歌舞伎を見ているのですが、今回は一番いただけないと思いました。
コクーンでない義民伝は見ていないのですが、いろいろなエピソードを加えすぎて本来の物語からかなりゆがめられている気がしました。

投稿: paru | 2010.06.16 23:55

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