「ザ・キャラクター」を見る(2回目)
NODA・MAP 第15回公演「ザ・キャラクター」
作・演出 野田秀樹
出演 宮沢りえ/古田新太/藤井隆/美波
池内博之/チョウソンハ/田中哲司
銀粉蝶/野田秀樹/橋爪功 ほか
観劇日 2010年7月3日(土曜日)午後7時開演
劇場 東京芸術劇場中劇場 S列33番
上演時間 2時間15分
料金 9500円
2回目の観劇である。
ネタバレありの感想は以下に。
僅か2週間前に見たばかりのお芝居なのに、「こんなシーンあったっけ?」と記憶を探る場面が何回もあった。この期間に演出の変更はないこともないかも知れないけれど、シーン自体を入れ替えるということはとても考えられないし、どう考えても私の記憶力の問題である。
言葉遊びを覚えていられない(下手をすると認識すらできない)のはよくあることとして、それにしても、シーン自体に記憶がなかったことには心底落ち込んでしまった。
言葉遊びにしても、「ギリシャ神話」の世界との混濁といえばいいのか、強引な取り込みといえばいいのか、それが図られるうちに、「ギリシャ神話」と「街の書道教室」がくっついて、「ぎり書道」という名前に変わって行く。
そのことに前回観劇したときは気がつかなかったことに唖然とした。
最初に見たときは、かなりラスト近くになるまで、この書道教室がオウム真理教をモチーフにしていることに気づかず、最後の最後に気がついたせいか、「オウム真理教をモチーフにしたお芝居」という印象だけが強烈に残ってしまったのだけれど、今回は、最初から「オウム真理教、オウム真理教」と思いながら見ていたせいか、「あらら、全然違う意味を持ったシーンがこんなにあったんじゃない」と一々驚きながら見ることになった。
そのせいか、最初に見たときよりも、ずっと美波演じるダフネの印象が強い。
最初のときは、美波ってば、こんなにちょっとしか出なくて、しかも繰り返しみたいなシーンが多くてつまらない」と思っていたのだ。
でも、このギリシャ神話の世界と現実の書道教室の世界とを重ねる役を担い、宮沢りえ演じるまどろみがギリシャ神話の世界を写経し、写経されたギリシャ神話の世界を美波や、まどろみの弟の「のぞみ」だったり「アポロン」だったり「まぼろし」だったりそ名前をその時々によって様々に変えるパク・ヨンハが演じることで、それは本当にギリシャ神話の話になったり、このお芝居の冒頭シーンの直前に起こった書道教室でのある「事件」を表に引っ張り出す結果になったりする。
その他にも「このシーンにはこんな意味があったんじゃない」「ここと繋がっていたんじゃない」「こんなシーンもあったんだった」みたいに思うことの連続だったし、お隣の席の方がかなり反応よく言葉遊びで笑っていらっしゃったせいか、こんなに笑わす芝居だったっけと思ったりしていたのだけれど、見終わってみると、やはりオウム真理教の印象に覆われてしまって、個別にどんなシーンのどんな演技や台詞で「あぁ!」と思ったのやら、さっぱり覚えていないことが哀しい。
NHKで放映されている「爆笑問題のニッポンの教養」という番組が今週と来週とで野田秀樹が出演していて、この「ザ・キャラクター」のいわゆるアンサンブルの出演者たちとのワークショップの様子を映したり、このお芝居に関する野田秀樹の話を聞かせたりしていたのだけれど、そこで野田秀樹が言っていた「幼さ」というものが、こんなに大きくあからさまに語られていることに驚く。
これも、前回は気がつかなかったところだ。
意識して見ていると、「幼い」という文字が出てくるのは本当に最後の最後なのだけれど、それを彷彿とさせる場面はいくつもあったように思う。
これまた、「こういうシーンで」という記憶がばっさりと落ちていることが哀しい。
でも、負け惜しみを言うと、野田秀樹の芝居は、言葉遊びの一つ一つを追っても大抵は「判らなかった・・・。」「追いつけなかった・・・。」と思うのがオチで、お芝居の流れに身をゆだねて、何かを捕まえた、という気持ちになることがポイントのように思う。
その何かが、見ているときに判るのか、見ているときに判ったと思ったのに見終わるとすでに手から離れてしまっているのか、全然判らなかったと思ったけれども後から何となく効いて来たりとか、そのタイミングや捕まえられ方はその時々によって違うのだけれど、だから、今言葉で語れなくてもいいのかなという風にも思う。
前回、R列はかなり舞台が遠かったのでオペラグラスを持って行った。
オペラグラスでつい視線を引きつけられるのは、家元夫人を演じた野田秀樹だったような気がする。
家元を演じた古田新太は台詞も多かったし、その声音が何よりもその人間や感情を表していたと思うのだけれど、野田秀樹演じる家元夫人を特徴付けたのは、そのちゃかちゃかした動きや口調ではなくて、終始一貫変わらなかったその目の冷たさだったように思う。
いつオペラグラスの焦点が合っても、家元夫人の目元は常に冷ややかで冷たかった。
もう一つ、前回よりも印象に残ったのが「祈り」という言葉である。
声が届かないと嘆く池内博之演じる100の目を持つアルゴスであり希望である人物は死んでいたし、宮沢りえ演じるまどろみも最後に家元に「お前は誰の目にも見えていなかった」と言われてハっとしていたから、きっと彼女も生身の人間ではなかったのだろうと思う。
そして、死者の祈りは届かず、生者の祈りはもっと届かない。
でも、忘れようとしても忘れきれない何かを忘れないために、私は祈るしかない、と彼女が虚空に静かに語りかけて物語は終わる。
そのラストシーンが、今度はとても印象に残ったのだった。
行くまで随分迷っていたのだけれど、やっぱり昨日行って良かったし、2回観劇して良かったと思う。
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