今日(2010年7月5日)、2010年7月3日から10月11日まで、東京芸術大学大学美術館で開催されている、「シャガール―ロシア・アヴァンギャルドとの出会い~交錯する夢と前衛~」に行ってきた。
本来は月曜休館だけれど、限定公開の抽選に当たったのだ。
日付と時間も指定だったのだけれど、流石に無料なためか、入口には列ができ(テントで屋根が作られていて助かった)、中もかなりの人だったけれど、少し待てば最前列で見られるくらいの混雑具合だった。
芸大美術館には初めて行った。上野駅から歩いたのだけれど、鶯谷駅からの方が近いような気もするくらいの場所にある。
そういえば、東京芸術大学の構内にも初めて足を踏み入れてしまった。
長い傘は持ち込み禁止で傘立てが用意され、中にはコインロッカーもあったのだけれど入場したときには気づかず荷物を持ち歩いたら肩が疲れてしまった。
せっかく無料で入場できたしということで、滅多に借りない音声ガイド(500円)を借りた。
通常バージョンと、DAIGOが解説する特別バージョンとが用意され、多少迷いはしたのだけれど、通常バージョンを選択した。
解説されるのは21作品(だったと思う)である。
この展覧会のコンセプトは、1900年代初頭に始まるロシア・アヴァンギャルドの歴史とシャガールとの密接な関係を描き出す、というところにあるようだ。
シャガールが故郷である旧ロシア帝国のヴィテブスク(現ベラルーシ共和国)に愛着を感じ、晩年までその絵に取り込んでいたことはどうも有名な話らしいのだけれど、あまり、シャガールとロシアの画家たちを並んで展示したり並んで論じたりということはされたことがなかったらしい。
それは、シャガールが生前から「大家」としての地位を確立していて、単独での展覧会が開催されることが多かったためなんじゃないかとも思うけれど、その生前のシャガールがロシアの画家の絵と並べて展示されることを願っていたということだから、まずは、その願いが叶ってよし、というところだろう。
今回、展示作品のほとんどはパリのポンピドー・センターが所蔵する作品で、それは、シャガールの死後に遺族が寄贈した作品や生前作家本人が寄贈した代表作が中心となっているのだそうだ。
本人が最後まで手元に残していた作品ということだから、少なくとも、本人にとって、それがプラス方向であれマイナス方向であれ、思い入れが強い作品であることは間違いないだろう。
それにしては、最初の展示室「第1章 ロシアのネオ・プリミティヴィスム」に展示されていたシャガール作品の来歴に「代物弁済」と書かれたものがいくつかあったのが気になる。
代物弁済???
シャガールはそんなにお金に困っていた時期があったということなんだろうか。
そして、この部屋に展示されていたシャガールの絵は、いわゆる「シャガールらしい」絵ではなく、パッと見て、セザンヌっぽいな、ゴッホっぽいな、という印象を受ける絵だったのに驚いた。
習作ということなのか、シャガールらしい絵に辿り着く前の試行錯誤ということなのか、シャガールの絵は最初からシャガールっぽかったのだと思っていたので、ちょっと意外だった。
「第2章 形と光 -ロシアの芸術家たちとキュビスム」の一角にあった、「ロシアとロバとその他のものに」という作品は、やはり印象深い。
イヤホンガイドが言っていたのだけれど、描かれている人間の頭が体から離れているのは、ロシアで夢見がちと言っていたか夢想している人と言っていたか、そういう人のことを「頭が飛び立っている」と表現することを彷彿とさせるという。
不気味な描き方をするなーと漠然と思っていたのだけれど、そういう背景があったのかと、初めて納得した。
芸大美術館は変わった構造をしていて、ここまでの2室は地下2階にあり、後半の展示は3階の展示室に行くことになる。
1階はロビー、2階はカフェとショップである。
動線としてどうなんだろうというのと、最後まで見てから気になった絵まで逆流するということをよくやる私としては、この戻りにくい構造はあまり嬉しくなかった。
「第3章 ロシアへの帰郷」の部屋にある絵は、ぞっこんだったという(という言い方も古いとは思うけれど)妻のベラと自分とを題材とした絵が目立つ。
これまたイヤホンガイドの受け売りだと、シャガールが描くまで、恋人同士が例えば抱き合ったりという絵が描かれることはなかったのだそうだ。
そもそも恋人同士を題材とすることがなかったのか、恋人同士が抱き合っている絵なんてはしたないという考えだったのか、その辺りは判らない。
順路としては最後になるのだけれど、次の「第4章 シャガール独自の世界へ」になってくると、私の知っているシャガールが増えてくる。
1940年代、ユダヤ人であったがために、避暑に出かけたロシアでの長期滞在を余儀なくされ、さらに、アメリカに亡命し、その亡命先のアメリカで感染症が素で妻のベラが亡くなってしまう。
しばらく絵を描けなかったシャガールが、筆を執って描いた絵にはベラが描かれ、そして絵の全体が濃いブルーに沈んでおり、画面の上方に描かれた恋人たちや軽業師は「砕け散った幸福」を表しているのだというのだから、病は深い。
それが、ヴァヴァという女性と再婚すると、再び画面は白く、黄色く、赤く、明るくなるのだから、シャガールという人も、ある意味、判りやすい男性である。
明るくなり、横顔が溶け合った恋人同士の絵を見て、何だか、ベラがかわいそうなような気もしてしまったのだった。
ところで、この展覧会で私が一番好きだった展示は、「第5章 歌劇「魔笛」の舞台美術」である。
ニューヨークのメトロポリタン劇場の移設に伴うこけら落としに上演されたオペラの「魔笛」の舞台美術と衣装を80歳になろうとするシャガールが手がけたのだという。
確か、今もこの劇場にはシャガールの大きな絵が飾られていたのではなかっただろうか。
その背景のや舞台衣装のスケッチ画がたくさん展示されていて楽しかった。
その部屋の一角では低く魔笛が流されていたのもいい感じである。
シャガールの絵を元に舞台衣装のパターンを起こした人は相当に優秀だったに違いない、としげしげとそのデザイン画を眺めてしまった。
モーツァルトの「魔笛」は、台本を書いたシカネーダーともどもフリーメーソンに所属していた(のは確定情報でいいのだろうか)こともあって、あちこちに、ユダヤの考えが散りばめられているのだという。
例えば、ユダヤでは、「3」という数字が世界を表すとされていて、椰子の木や柱の数などにその「3」が取り入れられているという。
シャガールもユダヤ人なのだから、フリーメーソンの考えに造詣が深くても不思議はあるまいと思ったのだけれど、実は、シャガールはフリーメーソンの考え方にほとんど興味関心を持っていなかったらしい。
というか、そもそも、フリーメーソンがユダヤ的であるという私のイメージがそもそも正確ではないようだ。
それはともかくとして、シャガールは「魔笛」というオペラを読み込み、エジプトを舞台にしたこのオペラを自由な発想で、でもその根本は違えることなく、舞台美術として立体化したと言えると思う。
このオペラ公演そのものも大成功だったようだ。
一通り見るのに、1時間半くらいかかっただろうか。
一番最後に展示されていたのは、シャガール90歳のときの作品だという「イカルスの墜落」だった。
エーゲ海に落ちたとされるイカルスも、シャガールの絵では、シャガールの故郷であるロシアの村に墜落しようとしている。
翼を形作った蝋を溶かしてしまった太陽が、空と同じ白で描かれており、村は赤や青で彩色されているのに絵全体が白っぽい印象なのが意外だった。
子供が太陽を描くときに赤で描くのは、日本など少数の国らしいけれど(黄色や白で描くことが多いらしい)、それと同じことなのかしらとぼんやり思ったのだった。
やっぱりシャガールの絵は好きだと再認識した展覧会だった。
最近のコメント