「黙阿弥オペラ」を見る
「黙阿弥オペラ」こまつ座
作 井上ひさし
演出 栗山民也
出演 藤原竜也/北村有起哉/大鷹明良/松田洋治
朴勝哲/熊谷真実/内田慈/吉田鋼太郎
観劇日 2010年7月30日(金曜日)午後6時30分開演
劇場 紀伊國屋サザンシアター 21列24番
上演時間 3時間30分(15分の休憩あり)
料金 9450円
この公演は、今年4月9日に亡くなられた井上ひさし氏の追悼公演である。
ロビーでは、パンフレット(1500円、だったと思う。舞台写真が載せられたバージョンと、稽古場写真が載せられたバージョンと2種類が販売されていた)やTシャツ、ストラップなどが販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
追悼公演ということもあるのか、前売り券は完売、当日券のみという状況だった。
事前に確認したら私の席は最後列の一番端だったので、オペラグラスを持参した。元々視力が良かったのだけれど、流石にサザンシアターくらいの大きさの劇場の最後列からだと細かな表情は見分けられない。
「黙阿弥オペラ」というタイトルだし、出演者のトップに藤原竜也の名前があったので、黙阿弥若かりし頃のお話で藤原竜也が黙阿弥を演じるのかと思っていたのだけれど、そうではなかった。
そのことは、冒頭、夜半に老婆が商うそば屋の戸をドンドンと大きく叩く男2人が登場し、「命に関わる」と言われて渋々戸を開けた老婆に対して、片やエラそうに、片や申し訳なさそうに縷々事情を語るのを聞いているうちに明らかになっていく。
藤原竜也演じる五郎蔵と吉田鋼太郎演じる河北新七(後の黙阿弥)は、お互い、大川に身を投げようとしていて「身投げはいつでもできるが、人助けをするのは今しかない」とお互いを助けようとした、というのが真相らしい。
夜中に女1人の家に男2人が(それも五郎蔵はかなりガラが悪い)来ているのに、ぽんぽんと毒舌を吐きまくるこの老婆「とら」が格好いい。
そして、この老婆を演じているのが熊谷真美だということに休憩に入る直前まで気がつかなかった私は本当に阿呆だけれど、でも、熊谷真美は老婆を演じさせたら天下一品だよ、と思う。
そして、1年後の同じく蕎麦屋。
再会を約束した男2人のうち、戯作者は新作が大評判を取って名を挙げて姿も立派になって現れたけれど、一方の五郎蔵はなかなか姿を現さない。
大鷹明良演じる売れない落語家円八が食い逃げを図ろうとするところ、とらが悉くそれを阻止するのも楽しいし、置き去りにされた可愛い女の子の泣き声を聞き、それがどうしても気になるとらも可愛らしい。
そこに五郎蔵に頼まれたという松田洋治演じる久次という男がお金を持って現れ、五郎蔵は養女に出した娘が養家で炭を運んでいて亡くなり、「娘を返せ!」と暴れたところを強請と間違われて捕らわれてしまったことが判る。
一方、そこに北村有起哉演じる釣り竿を持った浪人が現れ、久次が持ってきたお金は、久次が五郎蔵の娘の養家の主人から巻き上げたお金だということが判る。
こうして、五郎蔵が現れない代わりに登場人物が次々と加わって、このそば屋に置き去りにされた小さな女の子を投資先に「株」を始めることになる。
また可愛らしい女の子だったようで、彼女が玉の輿に乗れるように育て上げようというのだ。
微妙に酷い話のような気もするのだけれど、こういう流れになっていなければこの置き去りにされた女の子の運命がどうなっていたか定かではないわけで、何だかんだ言いつつも優しい男たちの人助けだったのかも知れない。
そして、「株」に乗り気になったおとら婆さんの新しい物好きの気の若さが何とも頼もしいのである。
そして、内田滋演じる三味線と唄の得意な娘に育ったおせんが「フランスに行く」「万国博覧会で三味線を弾いて唄をうたって、おそばを打って煮物を作る」と宣言し、とらの娘であるみつ(熊谷真美の二役)が子どもが出来ないことを理由に婚家から戻されたところで一幕が終了である。
二幕は万国博覧会の後、オペラを学びたいとフランスに4年残ったおせんが帰国し、柳町の芸者として売れっ妓になっているところから始まる。
明治維新が行われた後のことのようで、河北新七以外の男たちはみな「散切り頭」になっている。
それぞれやたらと羽振りがいいが、その「どうやって羽振りがよくなったか」の話を、河北新七とおみつとでよくよく聞き出していくと、それぞれ、おせんに懸想してきっぱりと振られた大蔵省のお役人がらみで、「おせん株」を担保にお金を借りて新しい商売を始めたらしいことが判る。
こうして、今やおせん株の過半数は件のお役人が握るところとなったのだ。
河北新七がそれではおせんがそのお役人に身請けされてしまうと他の面々を説得しても、彼らは全く聞く耳を持たない。
それぞれが掴んだ幸運(と信じているのだ)を手放すつもりはないらしい。
円八など、「元々がおせんを玉の輿に乗せようとして始めたことなのだから、いい結末だ。これで自分たちも配当をもらっていいはずだ」などと言い出す始末だ。
理屈としてはその通りなのかも知れないけれど、見ているこちらにしてみれば、河北新七の「大切なのはおせんちゃんの気持ちでしょう」という方に共感するのである。
結局、おせんはその件の役人をお座敷で見事にやりこめ、その代わりに殴る蹴るの乱暴をされて逃げ帰ってくる。
「おせんちゃんが消えた」とその座敷に同席していた及川孝之進が慌てて戻ってくると、「どうしてこの辺りは身投げしたくなる場所が多いんだ!」と叫んで彼女を捜しに行く男たちに、でもちょっとほっとするのである。
自分の幸せを手放すつもりはないけれど、積極的に彼女に不幸になってもらいたいわけではない。
ある意味、どこにでもいる、よくいる人物たちなんだろう。
そして、このどこにでもいるよくいる人物たちが、文明開化の波に乗ろうとし、乗ったつもりになり、乗ろうとしないように見える河北新七を責めるようになるという成り行きもまたよく判る。
彼らは国立銀行を設立し、いっぱしの「国を憂える志士」のつもりになり、アメリカだったかの役人が帰国する前に、河北新七の書いたオペラを上演して日本が「進んだ」くにであることをアメリカ人に見せつけて不平等条約の改正を進めるのと同時に、おせんが出演するそのオペラのチケットを銀行預金の預金者へのプレゼントにして預金を増やそうという、彼らにとっては一石二鳥の策を講じる。
河北新七の了解も取らなければ、おせんにもそのカラクリを話していなかった、でも、あっさりと話に乗ってこない河北新七を責める口調だけは一人前、と何だか感じの悪いシーンなのである。
銀行に出資しつつも彼らの「変化」に賛成しかねていた風情の河北新七は、ここでモノが「舞台」だったことから、とうとう怒り出す。
その、河北新七が書いたオペラがかかる劇場に、その舞台を楽しみに楽しみにしてきたお客はどこにいるのか、と。
その舞台は、唯一、見に来てくれるお客のことだけは考えられていない、と。
こまつ座のホームページに、「井上ひさしが60を超える自作の中から選んだ」とこの「黙阿弥オペラ」が紹介されていたけれど、それは多分、物書きとして気概をストレートにこの河北新七の怒りに乗せて吐いているからなんじゃないかという感じがした。
自分へのエールであり、叱咤激励だったんじゃなかろうかという気がする。
歌の場面は井上ひさしの芝居にしては少なくて、唯一、「オペラの音楽におじさまの芝居の台詞は乗る」と断言したおせんが、カルメンのメロディに乗せて三人吉三(だったと思う)の台詞を謳う場面だけだったような気がする。
これは、河北新七にオペラ音楽に乗せた新作狂言を書いてもらいたくておせんが歌ったのだけれど、そのおせんは、河北新七が「西洋のマネだけしていても意味がない」「どうして西洋ではそういう仕組みが産まれたのか、必要とされ、育ったのか、そこを考えなければそこは薄くなり、傷みが出てくる」と男たちに語れば語るほど、おせんの顔が下がり、肩が小さくなって行ってしまう。
フランスで学び、横浜居留地のオペラ座で歌い、オーストラリアのオペラ座に加わって太平洋の各地で歌ったおせんにも、河北新七の言葉は激しく痛かったのだろう。
そして、男たちが強引に始めた銀行は、河北新七の言葉どおり、あっけなく終焉を迎える。
大口の貸付先が逃げ出し、預金者は全く集まらず、他の銀行に吸収合併されることになったのだ。
その事情を語ることもできず、オルゴールの箱に手紙を残した男たちは本当に莫迦である。心配する河北新七とおみつを見、この時期におせんを音楽教育の勉強のためにアメリカに行くきっかけを作ってしまった自分を責める河北新七を見ると、本当にそう思う。
でも、多分、この男たちは、明治初期の頃にたくさんたくさん産まれては消えていった「文明開化の担い手」だったんだろう、特別に軽はずみな人々だったわけではなく、みんなが5cmくらいずつ浮かれていた時代だったんだろうという感じがする。
男たちの決別の手紙を読んで河北新七は身投げの名所を探すべく飛び出して行くが、それと入れ替わるように身投げに失敗した男たちが帰って来る。
死ぬのが馬鹿馬鹿しくなったというのだから、まずはめでたい。
そして、おみつは彼らに宿を提供し、蕎麦屋として仕込んでやろうと早速蕎麦打ちの修業を始めさせる。
そのとき、蕎麦屋の外で赤ん坊の泣き声が聞こえる。
「また、株を始めるか」
振り出しに戻って、男たちは再び赤ちゃんを育て始めることになる。
ここで幕だ。
全員が芸達者で、誰でもが笑いを取れ、舞台を引き締め、何かを語ることができる。かつ、誰かが突出することなく、あくまでもそれはオペラのアリアではなくて、見事なハーモニーである。
こんな贅沢な舞台は滅多にないのではなかろうか。
「ムサシ」の藤原竜也と吉田鋼太郎よりも、私は「黙阿弥オペラ」の藤原竜也と吉田鋼太郎の方が好きだなと思う。
いい舞台を見た、と思う。
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コメント
逆巻く風さま、コメントありがとうございます。
「エリザベート」、それは女性ファンの方なら、トートに注目してしまうのはある意味当然かと(笑)。
新聞の劇評で(読売新聞だったと思います)城田優のトートが絶賛されていました。
それにしても、1日のアクセス数が1500から2000って凄いですね。
ここは、その1/10くらいのアクセス数で、それでもビックリしている私です(笑)。
投稿: 姫林檎 | 2010.08.29 09:50
>「エリザベート」はやっぱり宝塚のイメージですね。もっとも、私は伝統的な宝塚の作品(ベルばらとか)は見たことがないのですが。
僕は(も?)宝塚はTVも含め、そんなに見たことはないんですが、たぶんそのイメージとは違うんじゃないかな?むしろミュージカルのイメージです・・・ってどう違う (笑)
リピーターの女性方の書き込みを見ると、なぜかあまり主演のエリザベート役には触れず、トート(黄泉の帝王)とか男性の役者に興味がおありのようです。一体だれが主役なんだ!って感じです。
それにしても、”恐るべし、宝塚”です。アクセス数が1日1500~2000とすごいことになっています。
投稿: 逆巻く風 | 2010.08.29 09:23
逆巻く風さま、コメントありがとうございます。
やっぱり、「黙阿弥オペラ」はいいですよ。
私のブログでも、「黙阿弥オペラ」で検索して来てくださっている方がかなりいらっしゃいますもの。
この週末、途中退席しなければならなかった1本は残念でしたが、あとの2本を楽しまれたようで何よりです。
「エリザベート」はやっぱり宝塚のイメージですね。もっとも、私は伝統的な宝塚の作品(ベルばらとか)は見たことがないのですが。
「ロックンロール」は迷った末、チケットを取りませんでした。
逆巻く風さんがお勧めくださる作品は「迷ったけど」というのが多くてごめんなさい。
投稿: 姫林檎 | 2010.08.23 22:37
久しぶりに(?)同じ芝居ので盛り上がっていますね。やっぱり演劇好きの人にとっては良い芝居ってのが共通するようですね。
さてさて、週末は2.5本観てきました。2本と半というのは、1本はせっかくのサスペンス物だったのに諸事情から第1幕きりで退席しなくてはならなかったからです・・・・トホホ。
まあ、そんなに良くはなかったから、と負け惜しみを吐いておきます。
あと2本、「エリザベート」さすがです!間近で観ました。朝海さん綺麗すぎます。
そして「ロックンロール」、評判から少し覚悟して行ったんですが、なかなかでした。きっとこちらは(エリザベートと違って)姫林檎さん好みかもしれません。
投稿: 逆巻く風 | 2010.08.23 08:26
しょう様、コメントありがとうございます。
「黙阿弥オペラ」良かったですよね。
新作が拝見できないのは残念ですが、井上ひさし氏のお芝居はぜひ上演し続けていただきたいと思います。本当に。
確かに、「黙阿弥オペラ」の主役は、タイトルにもなっているし、お芝居を観た印象からも、「黙阿弥」なのかも知れません。
抑えた演技の吉田鋼太郎さんもいい感じでした(いつも激しい感じの役が多いように思うので)。
投稿: 姫林檎 | 2010.08.22 18:58
姫林檎さん、こんにちは。
私、本日見てきました。
良い舞台でしたねぇ。
東京裁判三部作の内の"夢の泪"と、似てるなぁと
思いながら見ていたのですが、
やはり、良い物はいい!
明治時代初期の、浮かれた感じがこんな良い舞台になるなら、
数十年後くらいに、バブルの頃を舞台に良い舞台がデキルのでしょうか?(^_^;
(浮かれてると言う部分で似てる気がして、、、)
私は藤原竜也さんの舞台を初めて見たのですが、
映像より良いのではと。
コレなら敬遠しないで見るべきだったなぁと、
反省している所です。
しかし、この舞台、彼より吉田鋼太郎さんの方が主役だった気がしております。
投稿: しょう | 2010.08.21 23:51
逆巻く風さま、コメントありがとうございます。
やはり「黙阿弥オペラ」ご覧になっていたのですね。
私も、「ムサシ」のときの藤原竜也よりも、「黙阿弥オペラ」のときの藤原竜也の方が好きですし、役柄のせいもあり、ご本人も楽しんでいるようにお見受けしました。
井上ひさし氏の新作がもう拝見できないなんて、本当に残念ですね。
投稿: 姫林檎 | 2010.08.02 23:23
観ましたね (ニヤリ)
僕は先週観ました。藤原竜也の今回のは良かったと思います。少し認識を改めました。
投稿: 逆巻く風 | 2010.08.01 09:01