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「ファウストの悲劇」
作 クリストファ・マーロウ
演出 蜷川幸雄
出演 野村萬斎/勝村政信/若村麻由美/長塚圭史
たかお鷹/横田栄司/斎藤洋介/大門伍朗
マメ山田/日野利彦/大川ヒロキ/二反田雅澄
清家栄一/星智也/大林素子/時田光洋
木場勝己/白井晃
観劇日 2010年7月10日(土曜日)午後7時開演
劇場 シアターコクーン F列21番
上演時間 2時間55分(20分の休憩あり)
料金 9500円
ロビーでは、パンフレット(1800円)のほか、「ファウスト」の文庫本などの関連書籍、出演者の過去の出演作品のDVDなどが販売されていた。
カフェコーナーで相変わらず富士宮焼きそばが売られていたのが不思議だった。コクーン歌舞伎限定のメニューかと思っていたら、そうではなかったらしい。
しかし、今回はもちろん客席内飲食禁止である。
休憩時間に劇場のスタッフに劇場内の温度を上げてほしいとお願いしている人がいたのだけれど(全く同感、本当に寒かった)、スタッフの回答は「今回の公演では舞台機構上、温度を上げることができないんです」ということだった。
薄手の長袖にガーゼ地のストールを巻いても寒かったので、ちゃんとした上着があった方がいいかも知れない。
客席に入ると、最近では割と珍しく舞台上に幕が下りていた。
幕と言っても劇場備え付けのものではなく、歌舞伎の定式幕である。人(完全に黒衣の人だったり、勝村政信が黒衣の格好をしたり、白井晃が役の衣装のままでやったり色々だった)が「シャッ」という音を立てて開け閉めする。
客席を見回してみると、2階客席の手すり部分には赤い提灯も掲げられている。
「和」の雰囲気を出そうとしているわけだけれど、モノは「ファウスト」である。江戸時代に翻案したのだろうかとも思ったけれど、ロビーに置いてあった配役表の役名は「ファウスト」とか「メフィストフェレス」だった筈である。
幕が開いたのだったか、幕が開く前にその前に現れたのだったか、木場勝巳演じるクラウンが登場する。
ファウストが、ギリシャ神話のイカロスのような愚かなことをしたのだと、その愚かさを語るのだと説明する。その上で、ファウストの生い立ちをご覧くださいと言い、野村萬斎演じるファウストが登場する。
ファウストは金髪に黒い衣装で、どちらかというと悪魔風の格好だと思うけれど、どうもそれは当時の知識人階級の定番の服装らしい。
そして、医学も法学も自分が探求するに値しない学問だと断じ、やはり神学だと決めたまでは良かったのだけれど、なぜか悪魔学といえばいいのか、黒魔術みたいな方向に走り始める。
ファウストが生きていた世界では黒魔術はしっかりきっぱりと存在していて、その道のプロがおり、研究が尽くされていることになっているらしい。
ファウストは、それが天才の所以なのか、先達に夕食の間に手ほどきを受けたくらいであっさりとモノにしてしまう。
その日の夕食後に魔法陣を書いて呪文を唱え、勝村政信演じるメフィストフェレスを呼び出してしまうのだから、天才というのは厄介である。
幕が開いたときに「これが理由だったのか!」と思ったのだけれど、今回も蜷川演出は舞台の三方を鏡に仕立てて客席を映すという舞台セットを選択していた。
これは、幕が開いて、照明の具合で観客が自分の姿を舞台上に見る瞬間が勝負みたいなものだから、幕が下りていたのも頷ける。
それでも、今回は、そこでの「おぉ!」という意外性にポイントを置いていなかったようで、客席を舞台上に見た瞬間がいつだったか覚えていないくらいだ。
恐らく(正直に言って繰り返し使われている舞台セットではあるし)、この演出で驚かない観客が、客席の2/3くらいは占めていたんじゃないか(数字は私の勝手な想像)という気もするから、それでいいのだと思う。
今回の舞台は、その「鏡」の設置の他に、ワイヤーによる宙づりの多用も特徴の一つだったと思う。
本当に多用していて、メフィストフェレスの登場も、最初は他の悪魔たちとともに宙づりにされて現れたのではなかったろうか。
悪魔たちなんて、ほとんど宙づりでしか登場しなかったんじゃないかと思うくらいである。
舞台の下に空間を設けて、そこに階段で降りられるようにし、銀色のトカゲみたいな妙な格好をしたメフィストフェレスを追い返し、必死に着替えている様子を見せて、ファウストに「修道士の姿で現れろ!」と言わせるなんていう笑いの演出も見せる。
舞台下を見せていなければ、再び舞台下から修道士の格好をしたメフィストフェレスが飛び出すのだから「おぉ!」という場面だけれど、舞台裏を見てしまうと笑いの場面になるのが妙な感じだった。
メフィストフェレスを呼び出したファウストは調子に乗って、メフィストフェレスの主人である堕天使ルシファに対する取引を持ちかける。
私は、ファウストの「悲劇」はメフィストフェレスに唆されたためだとばかり思っていたので、ファウストが自分から「願いを叶えてくれるなら魂も肉体もおまえ等にやる」と言い出したのには驚いた。
どうもこの時点で、ファウストは神学の博士だったにも関わらず(だからこそなのかも知れないけれど)神も天も地獄も全く信じていなかったらしい。信じていなかったと言うよりも、自分が死んだ後のことなんか認知できないんだからどうでもいいと考えていたのか。
自ら悪魔を呼び出した直後のくせに、考えなしにもほどがあるというものである。
舞台は、ファウストの研究室の場面では鏡の前に本があふれている本棚が描かれた(のだと思う)スクリーンが下ろされて鏡が見えなくなるし、照明の具合で鏡の後ろの楽屋裏を見せているシーンもある。
クラウンの登場に拍子木を使っていたくらいだし、音楽にも和の楽器の音が使われていたり、無茶な感じで和の要素を強引にねじ伏せて取り込んでいるのだけれど、この楽屋裏(に見立てた鏡の向こう)がなぜか江戸の風情(のイメージ)なのが謎である。
何か意味があるのか。
最後までこの舞台裏の和のイメージが具体的に使われたシーンはなかったように思う。
メフィストフェレスを手下に従えて、ファウストの豪遊が始まる。
豪遊しています! とクラウンが時々現れては教えてくれるのだけれど、今ひとつその豪遊の感じが伝わってこない。
ローマ法王の晩餐でイタズラすることの意味とか、多分、キリスト教徒であったり、キリスト教についての理解があれば、「悪魔に魂を売った」ファウストがそれをすることの意味が判るのだろうけれど、残念ながら私にはピンと来なかった。
そもそも、ファウストは、悪魔に魂を売ったなんてことはすっかり忘れ果てて、メフィストフェレスを手下に思う存分知りたいことを知り、行きたいところに行き、やりたいことをやったのだと思っていたのだけれど、このファウストはずーっと後悔しているように見える。
魂を売った直後にも後悔していたし、事あるごとに天井近くから天使と悪魔がファウストを見下ろして、天使は神の恩寵をささやき、悪魔はいかにも悪魔らしいことをささやく。その2人の言葉は、悪魔の言葉しかファウストには届かない。そういうシーンが繰り返されるので、多分、ファウストは死後の世界を信じていない振りをしつつも信じていたのだと思う。
どちらにしても、ファウストの天真爛漫な豪遊振りを見たかったなぁ、と思う。その方が「悲劇」とのコントラストがはっきりして、より際立ったのではないだろうか。
そういえば、メフィストフェレスの姿が、顔には黒く何やら文様を描いてあったけれど、ほとんど白一色の衣装で居たのが不思議だった。
天使と悪魔が出てくるときは、天使が白い衣装、悪魔が黒い衣装を着ていたから、そこで特段に天使と悪魔のイメージをひっくり返してやろうという意図はこのお芝居にはないと思う。
だとすると、ずっと黒い衣装のファウストと、ずっと白い衣装のメフィストフェレスには、きっと別の意味があるのだろうと思う。
しかし、このメフィストフェレスを演じた勝村政信の、横から斜に構えてファウストを見守っているときの薄笑いの表情が良かった。こういう立ち位置の役をやっているときの勝村政信の微笑は凄みがあると言っていいと思う。
出番が多いことと、「笑い」の部分を多く担当していることで、メフィストフェレス演じる勝村政信が辛うじて対抗しようとしているけれど、やっぱり野村萬斎という人には「一人勝ち」のイメージが強いし、またよく似合う。
ファウストの弟子を演じた白井晃(白井晃は、この他にも、ドイツ皇帝とかドイツの侯爵なども演じていた)も、シェイクスピア作品によく出てくる道化の役割を担いつつも、笑いの部分をメフィストフェレスに持って行かれた分、分が悪い。
その白井晃演じるカルロス五世の前で、ファウストの黒魔術を信じない、馬鹿にする発言をしてファウストに鹿の角を頭に付けられてしまった騎士ヴェンヴォーリオも、復讐を企てつつもあっさりとファウストの逆襲に遭ってしまう。
この復讐の際にヴェンヴォーリオらがファウストに斬りつけると、ファウストの首が飛んでしまう。
この首が(もちろん作り物なわけだけれど)、本当にリアルに出来ていて、気味悪いくらいだった。間抜けなことに、最初出てきたときは「野村萬斎ってば、表情を全然動かさないし、身長を高く見せているし、ぽっくりでも履いているのかしら」と思っただけで、首が作り物だとは思わなかったくらいである。
(ちなみに、私の視力はいいし、今回の席は前から6列目なので、決して遠いわけではない。)
それはともかく、ヴェンヴォーリオはもちろん復讐に失敗し、再び鹿の角を頭に付けられ、仲間の騎士2人とともに城に閉じこもって暮らすことを選択する。
3人で客席から退場する際に、ヴェンヴォーリオを演じた長塚圭史が「ファウストの悪口だけ言って、ろくなこともせずに去って行って申し訳ない」みたいな台詞を言っていたけれど、事ほど左様に、ファウスト一人勝ちの舞台なのである。
ファウストはあまり楽しそうでもなく(楽しく豪遊している場面は観客の想像に任されていて、少し苦悩が入ったシーンだけが演じられていたという解釈が正しいのかも知れない)、知りたい放題、やりたい放題している割には、絶好調な感じを受けたことがなかったように思う。
藁を馬に変えてお金をだまし取ったり、馬番らの顔を猿と犬に変えてしまったり、色々なことをしているのだけれど、何というか、舞台上で見られるその「好き勝手」は余りにもスケールが小さすぎて、悪魔に魂を売ってまでやらんでもいいんじゃないか、とツッコミたくなるのだ。
というか、ファウストが悪魔に魂を売ってまで知りたかったこと、やりたかったことというのは、何なんだろう。
そして、それは24年間という契約期間で満足できたのだろうか。
終わりが近づくと、メフィストフェレスがファウストの周りでペンダントを左右に振って振り子の動きを見せ、残り時間が少ないことを示している。
意地が悪い! が、しかし、メフィストフェレスはそもそも悪魔の手先なのだから、意地が悪いに決まっているのである。
24年が過ぎたその日、ファウストはどうなるのか。
何か一発逆転があるのかと思っていたのだけれど、そうではなかった。
ファウストが一人自分の書斎に閉じこもり、悪魔に魂を売った自分を悔やみ、永遠の救いを放棄した自分を責めさいなむ。
そのモノローグが見事に野村萬斎の一人勝ちである。
しかも、舞台上に一人たたずみ、机の上で頭を抱えて沈み込むだけで、舞台全体を埋めてしまう。
これほど「一人勝ち」が似合う役者さんは、とりあえず私の中では、男優では市村正親、女優では松たか子しかいないのじゃないかと思う。
そして、ファウストの「後悔」が語られる中、時間は過ぎ、ファウストがいた世界はそのまま悪魔の世界に変わったようだ。
悪魔が宙づりになって現れるシーンではやっぱり鏡が効いていて、数人の悪魔が、舞台を埋め尽くしているように見える。
そして、ファウストは、最初の約束どおり、悪魔に魂も肉体も奪われてしまう。
魂の抜けてしまったファウストを抱えたメフィストフェレスのしてやったりの笑顔がまた凄みがあって、沈んで行くという去り方も「悪」や「地獄」を連想させて、このお芝居の終わりに相応しかったのではないだろうか。
そういえば、ファウストが悪魔に魂を売った直後、ファウストとメフィストフェレスはタンゴを踊っていた。
ファウストを演じた野村萬斎が女役で、その動きはしなやか、勝村政信とのコンビはめちゃくちゃ艶っぽく、色気を感じさせた。
このラストに、あのときの色気が漂っていたら、より妖しい感じがして格好良かったのに! というのは、単なる私の趣味である。
堪能した。
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コメント
逆巻く風さま、コメントありがとうございます。
えーと、面白かったかと言われると困るんですよね(苦笑)。
一言で表すとなると、一人勝ちしていた野村萬斎さんや、「ファウストの悲劇」という戯曲の世界や、外連味たっぷりの蜷川演出などなどを「堪能した」というのが一番近いかと思います。
ご覧になったらぜひ感想をお聞かせください。
投稿: 姫林檎 | 2010.07.11 22:21
・・・で、面白かったんでしょうか?
観る予定があるので、内容は読みませんでしたが。
観た後またお邪魔するかもしれません(何かを感じたら)。
投稿: 逆巻く風 | 2010.07.11 19:58