「ハーパー・リーガン」を見る
パルコ・プロデュース 「ハーパー・リーガン」
作 サイモン・スティーヴンス
訳 薛珠麗
演出 長塚圭史
出演 小林聡美/山崎一/美波/大河内浩
福田転球/間宮祥太朗/木野花
観劇日 2010年9月5日(日曜日)午後2時開演
劇場 パルコ劇場 H列7番
上演時間 2時間50分(15分の休憩あり)
料金 7500円
昨日が初日の舞台ということで、そう意識して思い返すと、まだ堅いところがあったかも知れない。
ロビーでは、パンフレット(1200円)や、ポスター(大小それぞれ1000円・500円)、パルコ劇場で過去に上演された作品のDVDが販売されていた。
さすがにこの出演者陣だと、溢れんばかりにお花も届けられて並べられていた。
ネタバレありの感想は以下に。
ハーパー・リーガンというのは、小林聡美演じるこの舞台の主人公である。
幕が上がったとき、彼女は大きな壁の前にいて、押したり引いたり、壁の動きに合わせて前進したり、揺れたり、ダンスのような「動き」を見せる。
この壁がとても高い(上の端は見えない)せいなのか、彼女が無表情でいるせいなのか、ライトが常に斜めから当てられているせいなのか、「閉塞感」という言葉が頭に浮かぶ。
そのプロローグが終わると、場は、ハーパーの勤め先に変わる。
彼女が、大河内浩演じるところの上司である社長に、父親が死に瀕しているため2〜3日の休暇が欲しいと訴えているのだけれど、社長は聞く耳を持たない。「34週間も祝日以外はずっと働いてきました」とハーパーが訴えるもので、私はこのお芝居の舞台はものすごく昔のことなんじゃないかと思ったくらいである。
こらこら、労働基準法上どうなんだ。
でも、すぐに、彼女が働いているのはロンドン郊外の空港の近くだし、この話は現代(少なくともインターネットやYou Tube」が一般に普及した時代の話だと判る。
全くこの場に関係ないことをしゃべって(というよりも、私の目には、ハーパーがこの会社の仕事を失っては困ることを遠回しに社長が思い知らせようとしていたように見えた)、結局、社長は彼女の休暇を許可しない。
労働基準法上、年次有給休暇は権利であって、使用者の許可は必要とされない、などと客席で憤ってみても仕方がない。
どちらかというと、イギリスにも(というか、ヨーロッパにも)、現代において、休暇を取得したいのにさせてもらえない労働者がいる、ということが、芝居に描かれるくらい存在しているというのが、少し意外だった。
それとも、滅多にないから芝居の1シーンとして取り上げられていると考えるべきなのだろうか。
とにかく、休暇がもらえず、どうも家庭の事情で今の仕事を失ったらとても困ることになるらしいハーパーは、疲れきった様子で家路につく。
いつも通るという運河で、間宮祥太朗演じる少年(見た目は青年だけど、カレッジに通う17歳だと名乗っていた)に話しかける。
そもそもは、そっくりの甥と間違えて声をかけてしまったハーパーだけれど、夜の運河などという人気のなさそうな場所で、41歳の女性が17歳の少年に話しかけて、そのまま人違いだと気がついても話し続け、ペットボトルの水を勧めるというのも、ちょっと変わった感じがしなくもない。
やはり、「閉塞感」という言葉が頭に浮かぶ。
ハーパーが家に帰ると、美波演じる17歳になる娘と、山崎一演じる失業しているらしい夫が待っていた。
こうした場面転換は、箱状の舞台セットを回り舞台で回して行っている。この、ハーパーの家のシーンだけは、箱の一面が開いていて、中に入れるようになっている。それにしても、箱の奥行きの1/3くらいしか使っていないように見えて、その奥に何があるのかは謎である。
それはともかくとして、娘は大学受験を控えていて、そしてこの一家はこの街に引っ越してきたばかり、彼女も転校したばかりということのようだ。
転校を余儀なくされた彼女に両親はだいぶ気を使っている風情がある。
そして、運河で会った少年も、娘のサラも、2人ともハーパーのことを「変わっている」と言う。
無表情にしゃべっているなー、とか、閉じた感じのする女性だな、とは思うけれど、少なくとも私は「変わっている」という感じは受けなかったのだけれど、どうなんだろう。
10代の少年少女から見たら変わっているのか、彼女の「変わっている」感じが判らない私が実は彼女の同類ということなのか、よく判らなかった。
母娘喧嘩をして、仲直りをするべくサラを追いかけたハーパーは、家を出たところで上から落ちてきた石にぶつかりそうになる。
「ぶつかっていたら、死んでいたところだ」という彼女の台詞は実感だったのか、次のシーンで彼女は、美波演じる病院で医師(のように見える女性)から、何故か父親の死の話を聞いている。
追々判ってきたのだけれど、彼女は娘を仲直りをし、彼女を夜遊びに送り出し、その足で歩いて空港に行って、そのまま父が入院する病院のあるマンチェスターまで飛んでしまったらしい。
夫にも娘にも勤め先にも、マンチェスターに住んでいる離婚した母にも一切連絡なしである。
さすがにそう本人の口から聞いたときには、「うん。変わっているかも」と思った。
何というか、この辺までは、少なくとも私にとってはイライラする展開である。というか、イライラするほど静かで、展開がゆっくりで、謎があるかどうかもよく判らず、ハーパーの一家が抱える事情も、「多分、何か事情があるらしい」というレベルに留まっていて、存在すらはっきりしていない。
多分、ここでは「イライラする」のではなく「ヒリヒリした感じ」を感じるのが正しい鑑賞法であるような気がするし、それを狙ってもいると思うのだけれど、ヒリヒリという感じがしないのはどうしてなんだろう。
父の病院を出た後のハーパーはなかなか果敢である。
午前11時にバーなのか、ちょっと怪しげな匂いのする立ち飲みの酒場に行き、グラスワインを傾ける。
居合わせた福田転球演じる30歳の男ミッチーに、酒を勧められ、マリファナ(なのか、とにかくドラッグだと思う)を勧められ、誘われ、特に恐れ気もなくあしらっているようにも見えるし、面倒くさがっているようにも見えるし、ちょっとすくんでいるようにも見える。
でも、やっと追っ払ったじゃない、と思った瞬間、ハーパーは自分から声をかけ、ミッチーの革ジャンを貸してもらって着込み、そこそこ友好的に話していたと思うと、「あ!」と声をあげて指さし、男がそちらを向いた隙にワイングラスを叩きつける。
もう、無茶苦茶だ。
しかも、それがどうも「父親の死に目に会えなかった末の自暴自棄」に見えず、ハーパーが最初から持っていた破壊衝動のように見えるところが、また怖い。
さらに、ハーパーはネットカフェで、行きずりの男を見つけた、というよりは、そういうサイトで相手を探した、と言った方が多分、正確だと思う。
この相手の男を山崎一が二役で演じていて、しかも薄めの色のスーツを着ているところが似ていたもので(考えてみると、多分、ハーパーの夫のときはグレーのスーツでネクタイを締めておらず、もう1役を演じているときはベージュの三つ揃いを着てネクタイも結んでいたような気がするのだけれど)、最初は、ハーパーを夫が追いかけてきて2人で語っているのかと思ってしまった。
それくらい、ハーパーがやけに正直に素直に語っていたから、というのもある。
もっとも、作者としては、ハーパーが正直になれる相手は夫ではなくもう二度と会うことはない男、という設定だったようだ。
それでも、ワイングラスで男を刺したこと、夫が公園で小さな子どもが水着で遊んでいる写真を撮って幼児ポルノの罪に問われてそれを認めたこと、夫は仕事を失い、そのまま住み続けることもできず、今の仕事を見つけて飛びついたこと、それも上司の許可を得ずに休んでしまったので恐らくはクビになること、そうなったら借金を抱えている家は崩壊するしかないこと等々、ハーパーは問わず語りに次々と語る。
やはり無表情で部屋の電気を消すハーパーが怖い。
ハーパーにとって、父親はヒーローで、母親はその父親を裏切って離婚して再婚した敵であるらしい。
次のシーンでは、木野花演じる母親の家にいるのだけれど、何だか最初から不機嫌そうで具合が悪そうにしている。大河内浩演じる母親の新しい結婚相手とも、間宮祥太朗演じるその弟子とも、お義理でしか話そうとしない。
そして、母親に、「お父さんは、あなたの夫が罪を犯したと思っていた。別れないのはおかしいとずっと言っていた」と言われて激怒する。それは、ハーパーにとっては、偶像の崩壊だったようだ。
そしてまた、実は、「賢い」と言われながら育ち、でも「ひとかどの人物」になれなかったことで、父親から圧迫されていた自分にここで初めて気がついたようでもあった。
家に帰る前、ハーパーは運河に再び寄り道する。
そこで、17歳の件の少年に再会し、「実は、私の家からあなたの部屋が見えて、それで家からずっと尾行けてきたんだと告白する。いや、それ以外にもこの2日間のことについてたくさん告白していたような気もするけれど、私的にもっともインパクトがあったのは、その告白である。
そして、家に戻ると、母と自分をまるでそのまま引き写したかのようなやりとりを娘とすることになる。
彼女が娘の目から見て「少し変わっている」のは、母と自分との関係から、自分と娘との距離の取り方がぎこちないからじゃないかという気もする。
娘は、無断で会社を休んでクビになりかけ家計を崩壊させた母親を責め、黙っていなくなることで父親に自分のせいだと思わせたことを責める。
ある意味、まっとうな主張である。
そして、こういう場合、もちろん、夫は彼女を責めるようなことは言おうとしない。
ラストシーン、舞台の中央にでーんと構えて回っていた箱が上にするすると上がり、そこは、芝生の庭で、テーブルと椅子が置かれ、朝食の準備が整っている。
ハーパーは朝からガーデニングに励んでいる。
夫は、娘に「似合う」と言われたGパン姿になっている。
どこだ、ここは?
どちらかの夢の中か?
いつだ? 10年後くらいに落ち着いた2人を見せられているのか?
そう思っていたら、ハーパーがマンチェスターでの2日間を始める。
ワイングラスのことから浮気のこと、母親のことまで全てだ。夫はもちろん黙って聞いている。
そこに、娘がパジャマ姿のまま起き出してくる。
夫は、突然、何年か後の話を始める。
田舎で暮らそうか、そこに娘がボーイフレンドと訪ねて来て妊娠していると言うんだ、などなど、夢のようなと言うにはシビアな話も含まれている。
そして、穏やかな朝食風景のまま、幕である。
さて、このお芝居は家族の再生の物語なのか、崩壊の物語なのか。
ハーパーの目覚めの物語なのか、眠りの物語なのか。
ラストシーンは現実だったのか、誰かの夢だったのか、
さっぱり判らないけれど、ハーパーの表情が穏やかだったからよしとしようか、と思ったのだった。
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