昨日(2010年11月13日)、2010年10月9日から12月19日まで、古代オリエント博物館で開催されている、「「古代メキシコ・オルメカ文明展-マヤへの道」」に行ってきた。
11月8日から14日まで、サンシャインシティで「マヤ・オルメカ フェスティバル」が開催されていたので、せっかくだからフェスティバル開催時期に合わせたのだ。
11月13日と14日の週末は、フェスティバルの一環として、サンシャインシティの噴水広場で「オルメカ文明の謎にせまる」と題したトークイベントが13時30分から開催されるということで、まずはそちらを聞きに行った。
TBSアナウンサーの木村郁美氏が司会を務め、「古代マヤ・アステカ不可思議大全」「マヤ・アステカ遺跡へっぴり紀行」の著者であるエッセイスト芝崎みゆき氏と展覧会を企画した京都文化博物館主任学芸員の南博史氏によるトークが非常に濃い感じで、しかし親しみやすく展開された。
メモを取りそびれたのが悔やまれる。
順不同で思い出せる限り書いてみると(記憶が間違っている可能性もかなり高いのだけれど)、トークイベントの話題はこんな感じだった。
・南氏がオルメカ文明展を日本で開催しようと決めてから今日まで4年かかった。
・オルメカ文明は、マヤ文明よりもずっと古く、紀元前1500年頃から約1000年に渡って栄えていた文明である。
・オルメカ文明は、メキシコ湾岸沿いで発展した。
・特徴的な遺物として、オルメカ・ヘッドが挙げられる。現在までに、オルメカの文明圏では17基が発見されている。
・オルメカ・ヘッドは一つ一つ顔立ちや表情が異なっていることから、モデルがいることは確実だと言われている。
・オルメカ・ヘッドは、当時の球技の選手が身につけていたヘルメットのようなものを装着していることから、当時の球技の選手をモデルにしていたのではないかと言われている。
・当時の球技は神事でもあり、また、負けた人は生け贄とされたということも伝わっているので、球技の選手はすなわち王である可能性がある。
・オルメカの顔の特徴は「への字口」である。
・オルメカ・ヘッドを見て「懐かしい感じ」(芝崎氏は、一クラスに一人はいた「ゴリ顔」と表現していた。)を受ける人もいる。オルメカ文明を築いた人々と、日本人とは、その祖先を同じくするモンゴロイドであり、遺伝的にも非常に近いことが判っている。
・オルメカ・ヘッドは、メキシコでは「約2t」と言われてそのつもりでいたら、日本に持ってきたら約4tもあり、サンシャインシティの文化会館7階にある古代オリエント博物館に展示することはできなかった。本物は京都文化博物館では展示し、オルメカ文明展が終わった後もそのまま展示している。
・古代オリエント博物館にあるオルメカ・ヘッドは写真計測して本物どおりに作ったレプリカである。
・オルメカ文明からマヤ文明に受け継がれたものの一つに「球技」があり、オルメカではゴムのボールが出土している。当時と同じ作り方で作ったボールを展示し、触れるようにしてあるので、持って、重さを感じ、弾み方を試してもらいたい。
・オルメカ文明においてはピラミッドも建てられたが、後のマヤ文明とは異なり石ではなく土で作られたため、メンテナンスが行き届かなくなるとあっという間に形が残らなくなってしまった。
・オルメカ人たちは、紀元前400年頃からその活動の一切を止めてしまった。マヤの人々が現在もグアテマラに多く住んで文化を伝えているのに比べると、忽然と歴史から姿を消しており、(「謎」という言葉で片付けたくないとは南氏が強調されるところだったけれど)謎といえば、オルメカ文明の方が深い。
・オルメカでは都市遺跡も発掘されているが、エル・マナティといって、当時は湖にぽっかりと浮かんだ島であったろう場所にある遺跡がある。そこは、いかにも神聖な場所と感じられる泉があり、神事が行われていた場所であろうと思われる。
・エル・マナティでは、胎児(乳児だったかも)の骨も発見されている。
・オルメカの人々は、「頭蓋変容」といって、小さな子どものうちから板で挟むなどして頭蓋骨を上に長く伸ばすようなことをしていた。
・頭蓋骨を伸ばした子どもはシャーマンとして大切にされ、大人になって「神と話す」神官の役目に就いたと考えられる。
・オルメカでは、洞窟を模した穴から神官が出てこようとしている石彫が発見されており、その神官は恭しく差し出すように子どもを抱いている。オルメカでは、洞窟は死の世界と考えられており、洞窟から出ようという神官は生死の世界の境目にいると考えられていた。
・オルメカの人々はジャガーを「ジャングルで食物連鎖の頂点に立つ動物」と考えており、もちろん恐れもしただろうけれど、そのパワーを取り込んで支配に役立てるという発想も持っていた。
・ジャガーは、「雨の神」として崇められもしていた。
・メキシコに行くと、ハナグアもイグアナも普通に存在していて、イグアナなど膝の上に乗ってきたりする。
等々。
多分(というか確実に)もっとたくさんのお話があって、1時間が短く感じられたくらいだったのだけれど、思い出せないのでここまで。
トークショーの最後にジャンケン大会が開催され、芝崎みゆき氏の著書(サイン入り!)や、オルメカ文明展の図説などが勝者にプレゼントされていた。
最初のジャンケンで常にあいこになって敗北していた私はちょっと悲しかった。
そのまま、古代オリエント博物館に向かった。
入場料は1400円(大人)である。
グッズ売場を通り過ぎ、ジャガーのいるジャングルを抜けると、真正面に件の「オルメカ・ヘッド」が鎮座ましましていた。
デカイ。
異様は迫力である。首もなく、本当に頭だけがにょっきり生えている感じは、トークショーで見せていただいた写真でイメージできていたものの、実物がそこにあるというのはまたインパクトがある。
パネルで歴史的背景や、地理的背景等々が説明されているところは、ざっとナナメ読みし(申し訳ない)、最初の展示コーナーである「第1章 人々と自然」のコーナーに進んだ。
主に自然界のものをモチーフにした土器や、当時の人々をモデルとした(と思われる)人形のようなものが展示されている。鳥形の土器など、ぱっと見て判る感じで「鳥(アヒルっぽいと思った)」の形をしている。私が作ったら、こんなに一目で鳥と判る形にはならないだろうなー、と思う。
のんびり見ていたら(トークショー直後ということもあってか、結構、混雑もしていた)、トークショーに出演されていた南氏のギャラリートークが始まったので、そちらにこっそり混ざることにした。
・オルメカ文明の時代は、日本でいうと縄文時代に当たること。
・新大陸原産でかつ新大陸の人々が穀物として品種改良等々育てた食べ物は、非常に多いこと。
プロローグのパネル展示の辺りで覚えている説明はこれくらいなのが我ながら非常に情けない。
再び戻って来た第1章のコーナーで、「アーモンドかしら」くらいに思っていた縦長の「植物型土器」がカボチャを模したものだと聞いて驚いた。
カボチャやジャガイモなどを「食べるための」植物にしたのは新大陸の人々だというお話はあったけれど、そうか、カボチャも元々は縦長で食べるところは少なかったのねと納得したのだった。
「昆虫型石彫」を見て、「蟻みたい」とおっしゃった方がいらっしゃり、南氏は「足が8本あるので昆虫ではないですね。蜘蛛だろうと言われています」と丁寧にお返事されていた。「だったら昆虫型石彫ではあるまい」などと性格の悪いことを考えていたのは、きっと私だけだったに違いない。
「第2章 神と王様」のコーナーは目玉展示が満載で、南氏の説明にも力が入っていた。
「半人半獣神像(ジャガー神)」は大きさもあって、なかなかの迫力である。やはり、ジャガーのパワーを取り込むという考え方の一つとしてこうした像が造られたのだろう。実は私は、どこがジャガーの部分なのか判らず、ギャラリートーク終了後にもう一度戻って説明書きを読んだところ、口を大きく開けた様子と、その大きく開けた口から覗く牙がジャガーを彷彿とさせるということだった。
また、「会議に集まる人々」もなかなかインパクトのある展示物である。レプリカなのが惜しいのだけれど、頭を長くした裸の人々が立ったまま、神官(一際頭が長い)を中心に集まり何やら話し合っているように見える。というか、話し合っているように見えるように配置されて発見されたそうだ。
翡翠の遺物もいくつか展示されている。
翡翠を大切にするというのは、マヤの時代にも受け継がれている習慣(というか、考え方?)で、マヤの時代はモザイクのように翡翠で仮面を形作っているけれど、オルメカでは1枚の石から仮面を削りだしているのだそうだ。
石の質は前に見たマヤのマスクの方が良かったように思うけれど、姿は断然オルメカの方が美しい。「本当は触ってみてもらいたいんですけど」と南氏がおっしゃるように、見るからに滑らかでつるつるしている。ろくに道具もなかっただろうに、どうやってこんなに美しく磨いたのか、技術の高さを感じる。
何しろ、目だって口だってくりぬかれているのだ(鼻の穴が開いていたかどうかまでは、覚えていない・・・)。
マスクよりも細工は簡単そうだけれど石の質は良さそうな「翡翠の斧」も展示されていた。
斧といっても、ヘラというか、おひな様のお内裏様が持っている奴(名前を忘れた・・・)のような形をしている。そして、たくさん見つかっている石斧(材質としては、翡翠や蛇紋岩、黒曜石などだそうだ)に使われた形跡はなく、神事用に作られたのではないかということだった。
確かに、線彫りで模様も彫られている。
また、翡翠や、道具として非常に貴重だった堅い黒曜石はオルメカの文明圏で産出されないのだそうで、オルメカの人々が交易に出かけ、例えばカカオなどと交換していたことが判っているということだった。
第3章 聖なる池のコーナーの展示物が一番多かったような気がする。
トークショーでも話のあったエル・マナティ遺跡の遺物というか出土品が主に展示されている。
頭が長く変形した子ども(だったかどうか記憶が定かでない)の木製の人形があり、湖に浮かぶ島のような湿っぽい場所でよく木製人形が今まで残っていたなと驚く。何となく、すぐ腐ってしまいそうではないか。
天然アスファルトで覆って握りやすいようにされた黒曜石の石斧に使われた形跡がないというのは意外だった。祀るためだけであれば、黒曜石だけの方が光るし綺麗だし相応しいように思うのだけれど、どうしてわざわざ天然アスファルトで覆ったのだろう。
同時に、木彫に天然アスファルトを塗るとか、天然アスファルトで固めるとかしたら、随分と長持ちしそうだよななどということも考えた。
かなり大きな翡翠に刻まれたジャガー神の顔もインパクトがある。
頭にV字型の切り込みが入っている理由について様々に説があるそうだけれど、生まれたばかりの赤ちゃんの頭を模しているのではないかという説に何だか説得されてしまった。子どもが随分と大事にされた(大事にされると生け贄にされたり、頭を変形させられたりしたみたいなので、大事にされたいかと考えるとされたくはないが)ようなので、何かの象徴にもなったというのはイメージしやすい。
また、ジャガー神の顔の四隅と頭のてっぺんにはとうもろこしだと考えられる模様が彫られている。
オルメカは灌漑を行わなかった文明だそうで(だったら、どうして水路があるんだろうという疑問もあるのだけれど)、主食であるとうもろこしを植えた後は、天任せで雨降りを待つだけだったのだという。
ジャガーも雨の神だし、とうもろこしも雨が必要だし、「尊い物」オンパレードのような神像である。
エル・マナティは神事が行われていた場所だから別としても、その他のオルメカの遺跡も川に囲まれた場所にあったというし、そもそも、オルメカ文明の地は雨が多くて湿っぽい場所だったというお話も聞いていたので、どうして「雨の神」が重要だったのかしら、などと阿呆はことを考えてしまった。
どっちかというと、雨ばっかり降って植物が逆に育たないから、どうか晴れてくださいという神事があったという方がしっくりくる。
物を知らないと妄想は広がるのである。
ゴム球の本物も展示され、翡翠の石斧が花びら状に並べられて埋められていた様子を再現した展示もあった。
その他、土器などもたくさんあったのだけれど、土器で一番インパクトがあったのは、何と言っても「ベビー・フェイス」である。
悟った仙人のような、小憎らしい悪魔のような顔をしているのに、どうして「ベビー・フェイス」なのかというと、体つきなどの全体のフォルムが幼児体型だから、ということらしい。でも、どう見てもかわいらしさなどカケラもないし、別の名前で呼んでもらいたいと思ったのだった。
ギャラリートークに熱が入りすぎて、時間が押していたようで、第4章 交流と拡散のお部屋は本当に素通りに近い感じで通り過ぎた。
このお部屋も、ヘビが浮き彫りされた石彫(これが結構大きい。でも、幾何学模様っぽいので、今ひとつヘビらしくないと思った)や、笑顔の土製仮面(2つあるうちの1つの翡翠の仮面も笑顔に見えるのだけれど、こちらは更に顔を崩して笑っている)、頭に記号のある土偶(これもベビー・フェイスで、後頭部にバツ印が彫られていて痛々しい)など、かなりインパクトのある物がたくさんあったのに、解説をお聞きできなかったのは残念である。
そして、エピローグとしてもう一度マヤの世界に話は戻る。
オルメカとマヤを結ぶ太い糸というよりもヒモが「暦」なのだという。
2012年12月23日(南氏によると、23日なのか24日なのか、微妙な部分があるらしい)に世界が終わりになるか、何やら区切りが付くマヤ歴の始まりは、マヤ文明など発生もしていない昔に設定されているのだそうだ。それで、ちょうどマヤ歴の始まりの頃に文明があったオルメカで使っていた暦が引き継がれたのではないかという説が出ているという。
ここでも、「でも日本だって紀元が2600年なんて言っていたし」などと天の邪鬼なことを考えたのもきっと私一人だったに違いない。
ここで、1時間(当初は30分の予定と聞いたような気もする)のギャラリートークは終了した。
楽しかった!
この後、もう1回、よく見ることができなかった展示物を見るために一周し、かつ、やっぱり魅せられてしまった翡翠のマスクを堪能した。
オルメカ・ヘッドの小さい物(でも、人間の頭よりはだいぶ大きい)を被って記念写真を撮れるコーナーがあり、大きな鏡も置いてあって「一人で来た方もどうぞー」という心遣いを感じたのだけれど、やっぱり一人で被って一人で鏡に向かって写真を撮る気力・根性はともになかったのでパスした。
同じコーナーに、ゴム球があるのは無事に発見し(ケースの中に入っているけれど、穴があってそこから手を伸ばして触ったり落としたりすることができる)、そちらは重さに驚き(あの重さのボールを蹴ったら、球技の選手の足は腫れ上がっていたに違いない)、重さの割にちゃんと弾むことに驚いた。
そんなこんなで、「謎が多い」オルメカ文明は、想像や妄想を膨らませる余地が山ほどあって、この「古代メキシコ・オルメカ文明展-マヤへの道」」も、トークショーやギャラリートークのおかげで何倍も楽しむことができた。
グッズコーナーでは、芝崎みゆき氏のサイン会が行われていて、もの凄く丁寧にサインされたりお話をされたりしている様子が窺えた。
著書(「古代マヤ・アステカ不可思議大全」と「マヤ・アステカ遺跡へっぴり紀行 ――メキシコ・グアテマラ・ホンジュラス・ベリーズの旅」)をまだ購入していなかったら、ここで買ってサインもしてもらったのにと、ちょっと残念だった。
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