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2010.11.07

「図書館的人生Vol.3 食べもの連鎖」を見る

イキウメ「図書館的人生Vol.3 食べもの連鎖」~“食”についての短篇集
作・演出 前川知大
出演 浜田信也/盛隆二/岩本幸子/伊勢佳世
    森下創/窪田道聡/緒方健児/大窪人衛
    加茂杏子/安井順平/板垣雄亮
観劇日 2010年11月6日(土曜日)午後1時開演
劇場 シアタートラム D列8番
上演時間 2時間15分
料金 4000円

 ロビーでパンフレットは販売されていなかったような気がする。
 過去公演のDVDと、過去公演をノベライズした小説などが販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 イキウメの公式Webサイトはこちら。

 図書館的人生vol.3と銘打っているのだから、vol.1と2があったと思うのだけれど、私は未見である。
 vol.3のサブタイトルは、「食べもの連鎖〜"食"についての短編集〜」となっている。

 短編集だけれど、スピンオフのようになっていて、「#1 前菜 人の為に装うことで、誰が不幸になるっていうんだ?」で、主人公の主婦香奈枝に誘われてヴェジタリアンの料理教室に行ってみた梅津楓という女の子が、「#2 魚料理 いずれ誰もがコソ泥だ、後は野となれ山となれ」で主人公を張っているスリの想い人兼懸賞で生計を立てている女として登場する。
 「#3 肉料理 人生という、死に至る病に効果あり」では、#1で香奈枝が通っていた料理教室の主宰者をルポライターである香奈枝の夫が取材するという趣向になる。この香奈枝の夫の甘利という男は#1でガラスと突き破って飛び降り自殺をしてしまったのではないかと想っていたのだけれど、そうではなかったらしい。#3で復活している。でも、決して妻の香奈枝を理解しようとして取材している訳ではなさそうなところが、多分、前田知大らしさなんだろう。
 そして「#4 デザート マヨネーズの別名は、全体主義的調味料」では、#3で自分の恩人の孫を殺そうと決意した筈の料理教室主宰の橋本が、何故か殺人を実行しないまま料理番組に出演し、苦手ではなかった筈のニンニクを苦手になって吸血鬼化している。

 こうやってまとめてしまうと#2の少し浮いた感じが気にならなくもないのだけれど、芝居を見ているときに思ったのは、「やっぱり上手いよ」ということだった。
 破綻なく4つの短編を絡め、「今」を盛り込み、何かを語る。
 この短編集の中心は#3だと思うのだけれど、この芝居の語りたいことは、#3以外の3本が主に語っているのではないかという気がする。
 不老不死を求めることの空しさだとか、必然性のない殺生をしてはいけないだとか、そういうことは、このお芝居が語りたいことではないのではないか。
 じゃあ、何がこのお芝居の語りたいことなのかといえば、多分、どうしてこの芝居のタイトルが「図書館的人生」なのかという問いの答えがその鍵なのだと思う。

 イキウメは、色々なタイプの役者が揃っていて、そこが最大の強みだよな、と思う。
 単純に見た目の問題からしても、同じような役者さんが集まった舞台は嘘っぽい。そして、見る側に負担がかかると思う。
 そして、役者さんのタイプを決めるのは、顔ではなく、大胆に言うと演技でもなく、体型と声なんじゃないかという気がする。
 そういう意味で、違和感なく色々なタイプの人を出すことができるということは、イキウメの最大の強みなんじゃないかという気がする。

 と思っていたのだけれど、イキウメのサイト等々を見たら、#2でスリを演じていた安井順平は客演の芸人さんで、#3で料理教室主宰を演じた板垣雄亮も客演で殿様ランチという劇団の作・演出・役者をやっている人のようだ。
 やはり、色々なタイプの役者を揃えるのは難しいのだな、と納得した。
 でも、私が最初に見たときは、イキウメには女優は岩本幸子しかいなかったと思うのだけれど、今回の公演では伊勢佳世と加茂杏子と3人に増えていて、そのことが大分バリエーションを生んでいるのではないかという感じがした。

 食物連鎖ということとヴェジタリアントいうことがこの短編集を貫くキーワードだとすると、やっぱり#2は少し異質で、#2のテーマは「食物連鎖」ではなく「弱肉強食」なんじゃないかという気がする。
 #1では、ヴェジタリアンの料理教室に通い、ヴェジタリアンに心酔し、自宅でも実行しようとする岩本幸子演じる香奈枝と、浜田信也肉好きなその夫である甘利文雄とのやりとりがメインになる。
 料理教室は味付けだ。
 そして、この中で、植物性タンパク質であるグルテンを肉代わりに使っていたと妻から告白されて、「だまされていた」「自分で選べばもう少しでヴェジタリアンを選べたのに」と切れてしまった夫に、笑いつつも共感した。

 妻の、「肉が食べたいから食べるというのは自由ではなく欲望だ、自分はヴェジタリアンになろうと決めて自分でそれを実行している、それこそが自由だ」という言い分は、論理的にはなかなか反論することができないのだけれど、何だか気持ちが悪い。本当に自分の意志でヴェジタリアンを選択したのか、怪しげな主宰者に影響されただけなんじゃないか、という気がしてしまう。
 そして、ガラスを突き破る音とともに甘利が飛び出して行くのを見て、彼は自殺してしまったのかとちょっと背筋が寒くなる。それはそれで極端だ。
 一方で、香奈枝が誘った楓に電話すると、楓がヴェジタリアントはほど遠いハンバーガーを食べながら香奈枝に対応しているその適当さ加減が何とも心強い。
 そうだよね、そうそう簡単に菜食主義者に宗旨替えはできないよね、と力いっぱい共感する。

 でも、そこから始まるのは、加茂杏子演じる懸賞で生活している楓と、安井順平演じる万引きで生活している畑山との物語である。
 というよりも、「食べる以上に動物を殺すのは人間だけである」という説を、#2では、万引きに置き換えて語って行く。畑山曰く、万引きのプロは自分が食べ使う分しか万引きはせず、万引きしたものを捨てたり売ったりするというのはプロのすべきことではないのだそうだ。

 そうか?
 どちらかというと、緒方健児演じる万引きの天才だという、この「節度ある万引き」の提言に全く乗らずに「万引きはそもそも悪いことだ。悪いことに節度も敬意も関係ない。」と言ったイヤな奴の言うことの方に頷いてしまった。
 それは、イヤな奴だし、食べもしない飲みもしないものを棚ごと万匹するような奴に共感する必要もないのだけれど、でも、偉そうなことを言っている「プロ」たちだって、要するに万引きをしているのだし、万引きする環境整備のためにエラそうなことを言っているだけじゃないか、という風にも思える。
 でもまあ、ラストで彼がスーパーの店長に事務所に連れ去られ、すわ、逮捕か、と思ったところで、実は万引き専門のガードマンとしてスカウトされたと判ってほっとしたのだから、我ながらやられているのだった。

 #3は、多分、4つの短編集の中で一番長かったと思う。
 甘利が、板垣雄亮演じる料理教室主宰の橋本に取材し、その半生を聞くという趣向だ。甘利は、老人所在不明事件を追っている中で知った長谷川という男と橋本とがそっくりなことを知って、血縁ではないかと取材に来たのだ。
 橋本は「血縁ではないか」という甘利の質問は否定したものの、「自分が長谷川だ」とその半生を語り始めるのだ。
 最初は、語り手の橋本と「若い頃の長谷川」を別人が演じていたのだけれど、そのうち、語り手の橋本と長谷川の両方を板垣雄亮が演じるようになり、話を聞いている筈の甘利が、ときどき「語られている」長谷川の過去に乱入し始める感じも上手い。

 しかし、森下創演じる時枝という男が追い求めていた「完全食」を、医師であった長谷川がさらに追い求め、結論として「血液」に辿り着く。
 考えてみるとかなり強烈な話なのだけれど、血液そのものを舞台上で見せることがほとんどないせいか、何故だかグロテスクな感じは受けない。淡々と「3日に1度100ccの血液を飲み、他には水以外口にしない生活を続けると、不老不死が手に入る。どころか、若返ることができる」という生活が語られて行く。代わりに、皮膚が非常に弱くなり、日光を浴びることができなくなる。
 そりゃあ、最初は嬉しいかも知れないけれど、少し考えれば非常に辛いことになるとすぐ判る。
 それでも「若返る」「死なない」ことの魅力は、それを手に入れていないうちは抗えないくらい強いらしい。
 それを、いとも爽やかに見せてしまうところが、考えてみればコワイ。

 そして、ヴェジタリアンの血液は飲んでも美味しい(書くとグロテスクなんだけれど、見ているときはグロテスクとも思わなかったのが不思議である)、というところから、橋本がヴェジタリアン専門の料理教室を主宰するようになった、という打ち明け話が終わる。
 その「美味しさ」を橋本が知ることになったきっかけが、伊勢佳世演じるヴェジタリアンの女性で、彼女は長谷川の妻にそっくりで、今は料理教室を一緒にやっている、というというのも考えてみればグロテスクなのだけれど、2人して非常に爽やかに演じてしまっているので、するっと入ってくるのがコワイ。
 しかし、橋本は甘利に2人の写真を撮ってもらい、そして、若い頃にこの「血液を飲む」ことを相談した医師の孫夫婦が、自分と同じように血液を飲み始めたことを知って、彼ら2人と自分と3人まとめてこの世から葬り去ることを決意する。
 「鰻が大好物だ」というその台詞が重い。食べたら死ぬのだし、大好物の筈の鰻を食べたのは50年も前のことなのだ。

 ところが、#1でガラスを突き破った甘利が生きていたのと同じように、#4でも橋本は生きている。
 生きて、テレビの3分間クッキングに出演している。もっとも、料理を作り、紹介しているのはもっぱら助手の五味澤で、橋本はひたすらニンニクの匂いに辟易しているだけだ。
 突然、吸血鬼と同じ体質を獲得してしまったんだろうか。

 こうやって書いていて思ったけれど、この4つの短編集は「続き物」ではなくて、もしかして少しずつ位相のずれたパラレルワールドという設定だったんだろうか。

 そんなこんな、あざとい、グロテスクだと今になれば思うのだけれど、それでもやっぱり爽やかに色々と考えさせる「上手い」お芝居だったと思う。

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コメント

 なおみ様、コメントありがとうございます。

 そうでした、そうでした。
 若い頃の長谷川医師が飲血を先輩に告白したときに、「ニンニクも嫌いだし」といかにも吸血鬼じゃないか扱いをされて、「それは生まれつきです」と返していましたね。
 思い出しました(笑)。

 でも、こっそり白状すると、長谷川は、先輩医師の孫夫婦を殺して自分も死のうという計画を甘利に告白していたので、ヴェジタリアンの血を飲んだら日光を浴びても大丈夫になったのと同じように、食べ物(大好物だった鰻)を食べても大丈夫になっていて、代わりにニンニクがダメになったのかも、という風には思ったのでした。
 ははは。
 突飛すぎましたね(笑)。
 

投稿: 姫林檎 | 2010.11.09 23:47

> 突然、吸血鬼と同じ体質を獲得してしまったんだろうか。

まさか(笑)。生まれつき嫌いだ、みたいな話がありましたよね。そういう小さな伏線も見事ですよねぇ。

投稿: なおみ | 2010.11.08 12:22

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