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2010.12.18

「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」に行く

 昨日(2010年12月17日)、2010年10月11日から12月20日まで、国立新美術館で開催されている、「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」に行ってきた。
 会期末ギリギリである。

 昔、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館に行ったことはあるけれど、入館に為に長い行列ができていたこと、近代的な建物だったこと、入って最初の壁に青磁色をバックにしたアーモンドの花が飾られていて(もう一枚、その左横に同じサイズの絵が飾られていたことは覚えているけれど、どんな絵だったかは覚えていない)、それを「桜の花の絵だ!」と叫んで友人に訂正されたことしか覚えていないという体たらくである。
 今回のゴッホ展はファン・ゴッホ美術館から多く来ているという話は聞いていて、それでもあれもこれも見たことある、とならないことは判っていた。

 行ってみたいと思いつつ、「でもゴッホは日本で人気があるし、ものすごく混雑しているのだろうな」と思って二の足を踏んでいた。
 会期末が近づいてますます「混んでいるのだろうな」という感じが強まっていたのだけれど、職場のお姉さんに「同じく会期末が近づいているドガ展に週末に行ったけれど空いていたから、ゴッホ展もきっと大丈夫」と誘われて、それならと仕事を休んで出かけることにした。

 待ち合わせ場所を乃木坂駅近くのチケットブースにした。
 10時前だったので、さすがにチケットブースは20人弱くらいの行列になっている。並んでしまおうか、お姉さんを待とうか迷っていたら、後ろから「チケットを買われるんですか?」と声をかけていただいた。「もう会期も終わりますし、子供は入場無料なので」とおっしゃる。びっくりして「ありがとうございます」と前売り券を頂いてしまった。
 ここで改めてお礼を。あのときの方、どうもありがとうございました!

 開館したてとあって、30人くらいの行列ができていたけれど、4列渋滞で並ぶとそれほど長い列ではない。待つほどのことはなく入館できた。
 やはり手前から順番通りに見ようという人が多いから、いきなり入り口がボトルネックである。係員の方が「順番通りでなく空いているところからご覧ください。先の方は空いております」と声をかけている。
 そして、音声ガイドがある絵の前は説明が一通り終わるまで微動だにしない人がたくさんいて、やはり混雑していた。音声ガイドも空いているときならいいけれど、混雑しているときはよしあし、という感じがする。

 「こうして私はゴッホになった」という副題がついている通り、ゴッホが、私たちの思う「ゴッホらしい」絵を描くようになるまでの変遷が丁寧に追われている。
 「1 伝統 ファン・ゴッホに対する最初期の影響」「2 若き芸術家の誕生」「3 色彩理論と人体の研究ーニューネン」「4 パリのモダニズム」「5 真のモダン・アーティストの誕生ーアルル」「6 さらなる探求と様式の展開ーサン・レミとオーヴェール・シュル・オワーズ」という6章から構成されていた。

 「素描」というのがどういう絵を指すのかよく判らないのだけれど、とにかく画家を志したゴッホが「素描」を重要視して繰り返していた、というところからこの絵画展の物語は始まる。
 模写もたくさん行っていたようで、ゴッホがモデルにした絵とゴッホが描いた絵を両方並べて展示されている。よく両方が残っていたものである。
 一緒に行ったお姉さんは自分でも描いていた人なので、「ゴッホより**の方がお上手ね」などど冗談半分に論評していた。

 そのうち、ゴッホが自分で絵を描き始める。
 それでも、最初のうちは、暗い色彩の普通の筆致の絵が多い、ように思う。「最初の頃は暗っちい絵を書いていたのね」とつい口に出してしまったら、「その頃は、そういう描き方が主流だったんだよ。わざと暗く描いていたわけではなくて、絵はそういうものだったんだよ。」とお姉さんから解説が入った。
 なるほど。

 かつ、お姉さんは「昔、ゴッホの絵を模写したことがあるけれど、これは絶対に明るい人の絵だと思った」とも言っていた。模写していると、元の絵を描いた人が浮かぶというのか同化するというのか、そういうことが起こるのだそうだ。
 私が思い描くゴッホは、前に見た三谷幸喜作・演出の「コンフィデンス・絆」という舞台で生瀬勝久が演じたゴッホで、それはパリ時代のゴッホなのだけれど、彼は明るくも暗くもなく(どちらかと言えば暗かったかも知れないけれど)、ただ真摯で傲慢な人だ、という印象である。

 でも、暗くても「ジャガイモを食べる人々」の絵は「ゴッホらしい」という感想が浮かぶから不思議である。
 見慣れている有名な絵だからということもあるとは思うけれど、ほぼ黒一色で描かれているにも関わらず、ゴッホらしい。
 ところで、このゴッホ展に来ていた「ジャガイモを食べる人々」の絵は習作のミニサイズのもので、本物の(というのもおかしな言い方だけれど)「ジャガイモを食べる人々」は左右反転した構図になっているのだそうだ。解説を読むまでそのことに気がつかなかった自分が、かなり悲しかったのだった。同じ絵だということに全く疑いを持たなかったのだ。

 また、ニューネンの時代、ゴッホはドラクロワの色彩論の傾倒し、大いに影響を受けたということが強調して解説されているのだけれど、何故かドラクロワの絵は一枚も展示されていない。不思議である。
 模写を繰り返したというミレーの絵や、パリに来てから接したという印象派の絵などは展示されているのに、不思議である。
 パリで描いた絵は少しずつ明るい色彩が使われるようになってきているけれど、まだ「ゴッホらしい」というところまでは行っていない。さなぎ、というイメージである。

 アルルの、ゴーギャンと共同生活を送った「黄色い家」のゴッホの部屋が再現されていた。
 後で見つかった見取り図や、部屋の様子を書いたゴッホから弟のテオへ宛てた手紙などを元にしているそうなので、多分、かなり実際に近い大きさなんだろう。
 一言で言うと、狭い。絵に描かれている様子から思い浮かべる広さよりもかなり狭い。そうして、ベッドも小さい。ゴッホの絵を見れば、南仏のリゾート地のこじんまりとしつつも居心地のいい部屋という印象だけれど、質素さの方が際立つ。

 ゴッホとゴーギャンの共同生活は2ヶ月ちょっとで、ゴッホが自分の耳に切りつける事件を起こしたことで終了する。そして、ゴッホはその後、サン・レミの病院に入院することになる。
 そういう解説を読んでから見るせいか、ゴッホが描いたゴーギャンの椅子の絵は、ゴーギャンを表すために、絵の具を塗り重ねるいつもの描き方を封印して薄めに絵の具を塗るゴーギャンの方法を踏襲した、なんていう解説も悲しいし、その椅子の絵の大きさやら絵の具の薄さやらを見ると、ゴッホのゴーギャンへの執着が感じられてさらに悲しい。
 ゴッホが自分の耳に切りつけたのも、その後入院したのも、いわば失恋のショックなんじゃないかと思ってしまう。
 絵に対する姿勢の違いも大きかったのだろうけれど、ゴーギャンとしては、ゴッホの自分に対する執着も怖かったんじゃなかろうか。

 一方、ゴッホの絵は、黄色はどんどん明るくなり、ブルーは濃くなったり澄んだり、黄色とのコントラストがはっきりしてくる。
 ゴーギャンとの共同生活はあっと言う間に終了したけれど、ゴッホの絵に明らかな影響を与えたんだろう。
 黄色のバックに濃い青というか紫のアイリスが描かれた絵は、今でも鮮やかだけれど、かなり退色していることが判っているらしい。描いた当時は一体どれだけのコントラストを持っていたのだろう。南仏の明るい太陽の下では、それくらいのコントラストが必要だったんだろうか。

 黄色といえば、パリ時代に描かれたものだけれど「マルメロ、レモン、梨、葡萄」というタイトルの黄色い絵があった。
 稚拙な表現で申し訳ないのだけれど、果物を描くのに黄色から黄土色のグラデーションの中の色しか使っていないんじゃないかというくらい、ぱっと見て黄色い絵である。
 そして、その「黄色い絵」を壊さないために、ゴッホ自身が額を黄色く塗って表装(油絵ではそうは呼ばないのかもしれないけれど)をしているから、絵全体が額まで含めて「黄色い絵」である。
 ゴッホが額装まで手がけた絵が何点かあるらしいのだけれど、現存しているのはこの絵だけなのだそうだ。
 拘るよなー、と思う。

 そういえば、アルルの黄色い家は、外壁が黄色かったから「黄色い家」と呼ばれていて、かつ、少なくともゴッホの寝室の壁はブルーに塗られていた。
 その黄色と青という組み合わせはドラクロワの推奨するところで、ゴッホもその影響を受けて使っているし、芸術家たちが集まるユートピアを作ろうとしていたゴッホが選んだのは、その色彩が理由だったんじゃないかという気がした。

 アルルでの絵は鮮やかな色彩のものが多いのだけれど、ペンと茶色のインクくらいで単彩、線だけで描かれた絵も展示されていた。お姉さんは「小屋のある風景」がいいと言い、私は「道ばたのアザミ」がいいと言って、2人が揃って気にしたのは「この絵は買うとしたらいくらなんだろうね」ということだった。
 大きな油彩画は絶対に買えるお値段ではないと思うのだけれど、小さなこうした線画なら「もしかしたら」という気持ちもちょっと出てくるのである。
 「いくらくらいなのか、書いておいて欲しいよね」「値段なんてとてもつかないんじゃないの?」「でも、金銭的価値って興味あるじゃん」という会話を交わしたのだった。

 サン・レミでの当初の期間は、ゴッホは敷地の外に出ることを禁じられていたのだそうで、その庭の絵をよく描いていたようだ。
 この、病院の庭の絵が、余りにもコントラストの強い「緑」の強い絵だったのでびっくりした。
 病んでいても画家だったのだなというよりは、やはり病んでいたのだな、という感じがした。
 ミレーの絵をゴッホの色彩で模写したシリーズは、落ち着いた黄色とブルーで小さく働く人が描かれていて、本当に最晩年にも模写ということや、ミレーの絵に拘りを持っていたのだなと判って、何だか嬉しかった。

 サン・レミを出て、オーヴェール・シュル・オワーズにおける最後の2ヶ月余り、ゴッホは線描というよな絵を描いていたのだそうだ。
 スーラの点描の絵もかなり病的に近い感じに点が打たれまくっているのだけれど、それに勝るとも劣らない感じの「線」の集約である。
 ゴッホの自画像は、正しく「ゴッホになった」という主張というか、心持ちが伝わってくるような気がした。生前はあまり評価されなかったゴッホにしてみれば、「ゴッホになった」というよりも「画家になった」という方がより近いのかも知れないとも思う。

 このゴッホ展の最後は、「ガシェ博士の肖像」という2枚のエッチングによる絵で締められている。
 お姉さんと「これがゴッホが描いた最後の絵なのかな」「そうじゃなければ、最後に飾られている意味が判らない」などという会話を交わした。
 細かな、細やかな、線だけで描かれた(線描という意味ではなく彩色されていないという意味である)小さな絵で、画家を目指した頃に戻ったのだな、という感じもしたのだった。

 ゴッホ展を見た後で、一緒にファン・ゴッホ美術館に行った友人と3年ぶりに会った。
 このゴッホ展は、世界の二大ゴッホ美術館と言われる、ファン・ゴッホ美術館とクレラー・ミュラー美術館から展示された絵のほとんどを借りて来ている。彼女によるとクレラー・ミュラー美術館は、個人(女性)が自分のコレクションを公開するために建てられた美術館で、オランダのほぼ真ん中あたりにあり、彼女がオランダ留学している間にぜひ行きたいと思っていたのだけれどかなり不便なところにあって行きそびれてしまった美術館なのだそうだ。
 何だか「繋がっている」という感じがしたのだった。

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コメント

 逆巻く風さま、コメントありがとうございます。

 ゴッホ展、よかったですよ。行ってよかったです。

 「炎の人」は迷って見に行かなかったような気がします。
 見ておけばよかったなぁ。再演しないでしょうか。
 お芝居も絵画展も、(自分で選んで行っているんですけれど)縁というか一期一会という感じがしますね。

投稿: 姫林檎 | 2010.12.19 11:19

ゴッホの絵、どこで見たのか忘れましたが、やはり衝撃を受けました。絵具の盛り上がり具合・・・・これがゴッホのタッチなんだ~・・・。絵って、というか芸術って巧いだけじゃダメなんだ、どれだけ見る人に何かを感じさせるかなんだ、と思いました。

僕の観たゴッホは市村さんの「炎の人」、案外イメージに近いかも、です。

投稿: 逆巻く風 | 2010.12.19 09:23

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