「酒井抱一生誕250年 琳派芸術 ―光悦・宗達から江戸琳派―」に行く
今日(2011年1月8日)、今日に初日を迎え3月21日まで、で出光美術館で開催されている、「酒井抱一生誕250年 琳派芸術 ―光悦・宗達から江戸琳派―」に行ってきた。
この美術展は二部構成で、今回行ったのは、「第1部<煌めく金の世界>」である。第一部は2月6日まで、7日から10日まで展示替えのためお休みし、11日から「第2部<転生する美の世界>」が行われる。
第1部と第2部では展示されるものもかなり変わるようだ。
絵画そのものにも全く詳しくなく関心も薄い私だけれど、輪をかけて日本画の世界には全く疎い。
そんな私なので、「行ってみてガラガラだったらどうしよう」とかと言っていたのだけれどとんでもない。11時過ぎに到着したところ、1階でエレベータを待つ間、みるみるうちに5人の人が集まったのだった。驚きである。
チケット売場こそ列ができるようなことはなかったけれど、館内に入ると「この日を待っていた」という感じの方々が非常に熱心に展示品をご覧になっていて(と言いたくなるような品のいい感じが漂っていた)、ガランとした感じは全くない。
何て失礼な予測をしていたのでしょう、と反省したのだった。
第1章は、「美麗の世界」とタイトルがつけられていた。
書 本阿弥光悦、下絵 俵屋宗達という組み合わせの作品が多い。何も知らない私としては「本阿弥光悦って書を書く人だったのね」とか、「下絵って言われちゃうのって気の毒な感じ」とか、「金泥ってどういう意味かしら」とか、「たらし込みってどういう技法のことを言うのか判らないし」などという無責任な感想が浮かぶ。
というか、これでは感想ですらない。
しかし、「いんげん豆図扇面」という扇になるような形の紙に描かれ、それが掛け軸に仕立てられている絵を見て「このいんげんは長すぎる」とおっしゃった我が母もなかなかの強者である。
俵屋宗達という人は、琳派の創設者(という扱いを受けているように見える)の一人で、俵屋という名前の工房を持ち、そこで様々な「絵」の注文を受けていたらしい。扇や屏風がたくさん残っているのだそうだ。そのくせ、生没年が不詳というのがよく判らない。
工房で描かれた屏風等々について、個人を特定できるような落款もなかったりすると、「これは俵屋宗達が関わったに違いない」という感じで作者のところに「伝」の文字が付いたりしているようだ。
この人の絵は、金や銀の使い方、植物の描き方、月があるのに地平はなく草花だけが描かれている等々、それまでのものとは「センス」が全く違っていたらしい。
俵屋宗達の絵で一番印象に残っているのは、第2章の「金屏風の競演」にあった、「月に秋草図屏風」である。
対になった屏風で、その片方の右上にかなり大きく黒い、割と中途半端な大きさの月が描かれている。満月より5日から3日早いです、という形をしている。
この月の黒さが異様だったのだけれど、これは元々黒かったわけではなく、どうも銀箔を貼ってあったものが黒ずんでしまったことらしい。それはもう、銀箔があったと想像する方がしっくりくるというものである。
しかし、全体が金の下地に描かれているところに銀箔をはるというのは、かなり贅沢なのではなかろうか。
そして、月はあるのに地面はなく、秋の草花が適当に(並べられていない、という趣旨である)散らされている。秋の草花には彩色がされているけれど、その背後っぽい感じで描かれたススキの絵は剥落してしまっただけなのかもしれないけれど、単色で描かれている。
秋の草花に施された白は健在なのに、ススキだけ剥落しているのが謎である。日本画の白は胡粉が用いられていて剥がれやすいという断片的な知識だけ何故か持っていたので、ちょっと不思議だった。
第3章は、いよいよ「光琳の絵画」である。
この美術展に来るきっかけになった「紅白梅図屏風」は、「伝」という文字がついているけれど、やはり一対になっていて、左側には紅白の梅が「それはあり得ない」という角度で枝を大胆に曲げて大きく描かれており、右側はには、その左側にはぽっかりと空白を設けて右の端にちょっと頼りない感じで白梅が描かれている。
よく判らないけれど、こういう大胆なことをするのは光琳でしょう、と勝手に思う。
家に帰って来て調べたら重要文化財に指定されていて驚き、だけどそういえば解説でもかなりベタ誉めされていたなぁと思い直したのが、「太公望図」である。
最初見たときには「太公望図のくせに、釣りをしてないじゃん!」と思ったのだけれど、どうやらそう思う人が多いのか、解説に「ひざの辺りから細い釣り竿を垂れている」というような文章があって納得した。川の水紋と同じような向き、同じような太さに色で描かれていたので、区別がつかなかったのだ。
太公望の目尻が下がっていて「こういう目の人っていい人そうだよね」と母と言い合い、襟元や袖口などに配された群青色を見て「こういう差し色があると絵が締まるけど、でも目立ち過ぎの気もする」と勝手なことを言う。
重文に対して不埒な態度である。
でも、「金屏風」や扇など、制作された当時はもっと金がぴかぴかしていて華やかかつ派手で、彩色もそれなりのインパクトを持たせないとバランスが悪かったんだろうなと思う。
ここまでは「金」で来ていたのだけれど、最後の第4章は一転して「琳派の水墨画」である。
昔の人の描いた虎の絵を見るたびに思うのだけれど、絶対にこの人は虎の実物は見たことがないに違いないと思う。だって、迫力がなくて、怖くなくて、「大きな猫」みたいな絵が多いと思うのだ。
でも、龍だって見たことのある人はいないに違いないのに、こちらは威厳ありげに描かれていることが多いのはどうしてなんだろう。
伝 俵屋宗達の龍虎図は、龍も虎も何だか笑いを誘う感じで描かれているのが、そういう意味では珍しいというか楽しい感じである。
そして、同じ流派だからなのか、尾形光琳の「竹虎図」の虎もやっぱり大きな猫のようなユーモラスな感じで描かれていたのが面白かった。
母が割とすいすいと見て行くのに合わせて1時間くらいかかっているので、ゆっくりじっくり見たらもっと時間がかかるだろう。
この後、皇居に面して大きく窓を取ったところの椅子に陣取ってフリーサービス(給茶器があった)のお茶をいただき、元気回復してから、お茶室を拝見し、「陶片室」であちこちの古い窯から見つかった陶器のカケラが展示された(もちろん、ちゃんと形のまま残っている壺なども展示されている)お部屋を見学し、何故かルオーとムンクの絵が一緒に展示されているお部屋(といっても、展示されていた絵は10枚程度だったと思う)を見て、「これまでの世界と偉く違うよな」と思う。
でも、そこにあった解説によると、目が弱くなったこの美術館創設者の方は、ルオーの絵を見て「太い墨色の輪郭線はまさに日本画だ」と感じてコレクションしたということだった。私の中では、黒くて太い輪郭線というのは、浮世絵のイメージなのだけれど、そういうものでもないらしい。
1時間半以上、たっぷり楽しんだ。
失礼ながらあまり期待せずに出かけたのだけれど、いい美術館で、いい美術展だった。
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