「十二夜」を見る
「十二夜」
作 W.シェイクスピア
演出 串田和美
出演 松たか子/石丸幹二/りょう/荻野目慶子
大森博史/真那胡敬二/小西康久/酒向芳、
内田紳一郎/片岡正二郎/目黒陽介/小春
ギデオン・ジュークス/つのだたかし/飯塚直子
片岡亀蔵/串田和美/笹野高史
観劇日 2011年1月22日(土曜日)午後6時開演
劇場 シアターコクーン T列2番
上演時間 2時間50分(15分の休憩あり)
料金 9500円
ロビーに、お一人一部ずつでお願いしますという張り紙付きで配役表が置かれていたのが嬉しい。
その配役表にパンフレットの宣伝が書かれていたのはご愛敬である。パンフレットは1500円で販売されていたけれど、購入しなかった。
グッズ売場に立ち寄らなかったので、その他にどのようなものが売られていたのかよく判らない。
ネタバレありの感想は以下に。
舞台上にちょっとわざとらしい赤い幕が下がっているなと思っていたら、それはシルクスクリーンのような布に描かれていて、笹野高史のナレーションが入ってライトが当てられると、透けて舞台の奥を見せてくれた。
舞台は海岸で、難破した船が右奥に傾き、砂浜を影絵人形のような楽隊の一段が右から左に横切って行く。最初のうちは気がつかなかったのだけれど、音楽は舞台から下がった右手に控えている楽団が奏でていた。一部は録音したものが流されていたと思うのだけれど、ほとんどは生演奏だったし、舞台上で演奏されることも多かった。
この「十二夜」は、生演奏が入っていることもあって、「音楽劇」という雰囲気も少しだけある。
ダンスシーンこそないけれど、始まりからして、影絵人形のような楽団が舞台左手に去ると幕が上がり、影絵人形が実体化したかのように楽団の人々と出演者が楽器を手にして舞台上に現れ、「やぁっ!」みたいなかけ声をかけて暗転、というような始まり方をしている。
ヴァイオラを演じた松たか子とオーシーノー侯爵を演じた石丸幹二とのデュエットなどもあったのだけれど、ミュージカルではなくて音楽劇だったし、音楽劇というよりは、音楽を使って「祝祭」の雰囲気を出そうとしていたのだと思う。
「祝祭」というのは、串田和美演出のキーワードの一つだと思う。見ていて私がそう感じるというだけのことなのだけれど、出演者全員で音楽が奏でられたり、今回の「十二夜」では、舞台上にもう一つちょっと田舎芝居風の舞台が小さく作られ、カーテンのような幕も一応張られて、時折、登場人物たちがそのミニ舞台上で演じることもある。
この二重の舞台で演じられたシーンがどうしてそこなのかはよく判らないのだけれど、恐らくは、人間なんていつでも演じているんだ、舞台上にいる登場人物だって役者が演じているんだというメタな部分と、登場人物本人もいつも自分自身でいられるわけではなくて、特に男の振りをしているヴァイオラを筆頭に「演じて」いるのだし、それは見ているあなたたちだってそうでしょう、というメッセージだと思う。
十二夜はどちらかというとマイナーなシェイクスピア作品だと思っていたのだけれど(もっとも、私がメジャーだと思うのは「ロミオとジュリエット」「ハムレット」「リア王」「夏の夜の夢」「ヴェニスの商人」辺りの本当にベタな作品なのだけれど)、このところ上演されることが増えてきている気がする。
主人公のヴァイオラが、船が難破して一人だけ助かって浜に打ち上げられ、一緒に船に乗っていた双子の兄は死んでしまったものと思い、男の振りをしてオーシーノー侯爵の小姓として働き始める。
彼女は主人であるオーシーノー侯爵が好き、オーシーノー侯爵は兄を亡くしたばかりだというオリヴィアという美人が好き、そのりょう演じるオリヴィアは喪服に身を包んで兄の死を悼み求婚者の群れを軒並みなぎ倒していたのだけれど、オーシーノー侯爵の使いとしてやってきたヴァイオラに一目惚れ。
見事な三すくみ状態である。
ここに、オリヴィアの家の執事である串田和美演じるマルヴォーリオの尊大な態度に腹を立てた、大森博史演じるオリヴィアの叔父のサー・トービー、荻野目慶子演じるオリヴィアの侍女であるマライア、笹野高史演じるオリヴィアの道化であるフェステらが、「オリヴィアは実はお前のことが好きなんだ」とマルヴォーリオを騙くらかしたものだから、話はさらにややこしくなる。
松たか子が二役で演じるヴァイオラの兄のセバスチャンと、真那胡敬二演じるアントーニオの「男の友情」は物語の隅に追いやられ、そのセバスチャンはあっさりとオリヴィアに一目惚れして、セバスチャンをヴァイオラだと思い込んだオリヴィアに積極的に迫られてあっさり結婚してしまうなど、どこまで行っても「恋物語」の混乱が「十二夜」という物語の核になっている。
その「恋物語」「入れ替え」「騙くらかし」という要素が、何というか、演出の腕のみせどころで、上演したいと思わせるところなんだろうという気がする。
この「十二夜」は、プラスして「祝祭」「演じる」というところがキーワードだと思う。けれど、見ていて「祝祭がキーワードなんだろうな」とは思うのだけれど、同時に「祝祭にしては淋しいな」という感じも覚える。
朗々と歌い上げる笹野高史は道化の衣装やメイクも含めて味があるし、演奏だってアコーディオンや管楽器をメインにした、「村まつり」という感じの音が出ていて雰囲気がある。
なのに、何となく淋しい感じがしたのは何故だったのか、単に私の感じ方の問題なのか、よく判らなかった。
松たか子の男女二役というのは、やはり串田和美演出で見たことがある。何という芝居だったか思い出せないところが情けないのだけれど、今回のように別人の男女二人を演じていたのではなく、確か素の女性とその女性が男装している場面とを演じていたと思う。
そのときは、仮面をつけていたし、「女性が男性の振りをしている」という設定だったためか、声の出し方もかなり変えていたという印象がある。
でも、今回は、あまりヴァイオラとセバスチャンを演じているときに「演じ分けよう」という風にはしていなかったような気がする。とりあえず、剣を持っていればセバスチャンだということは判るし、例えばその剣を持たせたときのセバスチャンの落ち着き方と、ヴァイオラの怯え方、みたいな差は歴然と示される。
上手く言えないのだけれど、「演じ分ける」ということにあまり重きを置いていないんじゃないかという風に受け止めた。
「十二夜」では、ヴァイオラとセバスチャンがあちこちで間違えられて混乱がちょっとだけ起こるのだけれど、その混乱は割とすぐに2人が同じ場所に現れることで解決されて行く。
このヴァイオラとセバスチャンが同時に舞台上に現れるシーンをどうするかというのも、「十二夜」というお芝居の醍醐味だと思う。
最後のこの場面だけ一人二役を解いて別の役者さんにセバスチャンを演じさせるということが多いような気もするのだけれど、今回は、何の仕掛けもせずに真っ向勝負で松たか子が一人で二人分の台詞をしゃべり、演じていた。
オリヴィアとセバスチャン、オーシーノー侯爵とヴァイオラという二組のカップルが成立した場面でも、松たか子を真ん中に、オリヴィアのりょうとオーシーノー侯爵の石丸幹二が両脇から腕を取るという、判りやすいといえば判りやすい、大胆といえば大胆な展開がされていた。
それでも、「松たか子一人勝ち」になっていないのが、この「十二夜」の凄いところだと思う。
オリヴィア演じるりょうが喪服の女性から、ボレロだけが赤になり、婚約のシーンでは赤いドレスになって、その細い後ろ姿にはうっとりしたし、荻野目慶子演じるマライアが登場のときから高い声で笑い続けるのがちょっとコワイと思いつつも印象的だったし、片岡亀蔵のサー・アンドルーも「ダメじゃん、こいつ」という感じが前面に出つつも何故か見得を切っちゃうような茶目っ気が楽しかったし、舞台上でいきなり始まったジャグリングがやけに見事だったり、「うーん、冗長かも」と思ったときもあったのだけれど、終わってしまえば何だかバランス良く丸い中に収まったという感じのする、楽しい舞台だったと思う。
| 固定リンク
「音楽」カテゴリの記事
- 「Riverdance Japan 2024」のチケットを購入する(2024.03.13)
- 「虹のかけら~もうひとりのジュディ」の抽選予約に申し込む(2024.03.02)
- 「ジャージー・ボーイズ イン コンサート」を聴く(2020.08.03)
- 「大地」/「三谷幸喜のショーガール」の抽選予約に申し込む(2020.02.16)
- 「天保十二年のシェイクスピア」を見る(2020.02.11)
「*芝居」カテゴリの記事
- 「先生の背中 ~ある映画監督の幻影的回想録~」の抽選予約に申し込む(2025.03.29)
- 「フロイス -その死、書き残さず-」を見る(2025.03.23)
- 「リンス・リピート」のチケットを購入する(2025.03.20)
- 「やなぎにツバメは」を見る(2025.03.16)
- 「デマゴギージャス」を見る(2025.03.09)
「*感想」カテゴリの記事
- 「やなぎにツバメは」を見る(2025.03.16)
- 「デマゴギージャス」を見る(2025.03.09)
- 「にんげんたち〜労働運動者始末記」を見る(2025.03.03)
- 「蒙古が襲来」を見る(2025.03.01)
コメント
逆巻く風さま、コメントありがとうございます。
私は泣かなかった、と思います。
私の場合は、もうちょっとベタというか、ズルイというくらいあざとい方が、やられてしまい、うるうるすることが多いです(笑)。
投稿: 姫林檎 | 2011.01.26 00:01
確かにストーリーとしては書かれている通りだと思うんですが、あまり話の筋とか覚えていないというか、興味なかったです。
ところで泣けましたか?
二人の対面の場面、といっても松さんの一人二役で特に声色を変えるでもなく立ち位置を変える程度でしたが。松さんの目は涙で光っていました。僕は思わずウルウルしてしまったんですが・・・。
影絵のような導入部、松さんの涙、そして最後のジッチャン(笹野さん)の台詞”これは一夜の余興、なぐさみのようなもの”が印象に残りました。
串田さんの質問、答える間もなく次へ進んでいきました。まっ、答えは必要なかったんです、インタビューじゃないんですから (笑)
投稿: 逆巻く風 | 2011.01.25 08:50
逆巻く風さま、コメントありがとうございます。
えーと、私も一観客ですので(お芝居を作る側に関わる仕事をしているわけではないです)、ここに書いたのは本当にただの感想です。
なので、逆巻く風さんが、大人のためのおとぎ話だな、とお感じになったのと同じような、この日のこの場所でこのお芝居を見た一人の観客の感想、こーゆー感想を持った人もいたんだな、という程度に読んでいただければ有り難いです。
この感想も、コメントも、もしかして押しつけがましい書き方になってしまっていたらごめんなさい。
芝居中に舞台上の役者さんから話しかけられるって羨ましいです。
いざ話しかけられたらあわあわしちゃうと思いますが(笑)。
逆巻く風さんは何とお答えになったのでしょう。興味津々です。
投稿: 姫林檎 | 2011.01.24 22:18
う~ん、多分芝居の作り手から見ると姫林檎さんのようにとらえるかもしれませんが、僕のような一観客からすれば、大人のための”おとぎ話”として観ました。おとぎ話って、多分そんなに意味とか考えませんよね?その世界に入り込めばいいんじゃないかと思います。
串田さんはグリム童話とか好きですね。地元で小さい劇場で見たことがあります。最前席で、劇中に串田さんに話しかけられてしまいました。「あなたどう思う?」って・・・・<素人に振るなよ!って(笑)
投稿: 逆巻く風 | 2011.01.23 23:12