「凄い金魚」を見る
ラッパ屋第37回公演「凄い金魚」
作・演出 鈴木聡
出演 福本伸一/おかやまはじめ/木村靖司/弘中麻紀
岩橋道子/俵木藤汰/大草理乙子/宇納佑
熊川隆一/岩本淳/中野順一朗/ともさと衣
冨田直美/遠藤留奈/浦川拓海
観劇日 2011年3月21日(月曜日)午後2時開演
劇場 座・高円寺1 B列5番
上演時間 2時間
料金 4500円
ロビーでは、「凄い金魚」を含めたラッパ屋公演の上演台本が販売されていた。
開演間、主宰の鈴木聡と制作(と名乗っていらしたと思う)の女性とが舞台前に現れて、注意事項等の説明があった。
曰く、「座・高円寺はフリースペースなので客席も可動式であり、地震が起きなくても同じ列の人が笑っただけで揺れる」、「しかし、座・高円寺は新しい劇場なので耐震性能も高く、11日の地震の際も上演していたが、舞台セットは飾られていた花瓶も含めて一切損傷はなかった」、「地震の場合は、舞台上の照明機器が揺れたり音を立てたりするので、それ以外は地震ではない、慌てないでもらいたい」、「地震の際には客電が点灯するので、それまで落ち着いてその場で待ってもらいたい」ということだった。
併せて、追加公演として今日の18時の回を設けたが、急遽決定したのでアナウンスが行き届かず、昨日の朝の段階では4人しか予約がなかった。今朝には何とか二桁に乗せたが劇団員が青くなっているので、公演が終わったらすぐさまツィッターで呟いてもらいたい、という話もあった。
カーテンコールで福本伸一が全く同じことを言っていたから、かなり本気で青くなっていたということだろう。実際のところはどうだったのだろうか。
ネタバレありの感想は以下に。
「凄い金魚」は、1996年に初演、1997年に再演されているそうなのだけれど、私は多分初見である。そして、ラッパ屋の舞台を見ると、シアタートップスがとても懐かしく感じられる。あの狭い空間にギュッと詰まった感じがやっぱりラッパ屋だったよな、と思うのだ。
もちろん、それは、ラッパ屋が座・高円寺1の舞台の広さを持て余しているということでは全くなく、やっぱりラッパ屋のお芝居で舞台は一杯になっているのだ。
中央線沿線のとある町にある高野家に、「金魚のおじさん」がやってくるところから話が始まる。
おかやまはじめ演じる「金魚のおじさん」は、高野家の庭にある金魚を放してある池の掃除をしに来るおじさんで、高野家の誰もその名前も素性も知らない。でも「金魚のおじさん」として馴染んでいる。福本伸一演じる高野幸太郎の後輩で高野家の留守番をしていた片島がその存在を信じられなくても無理はない。
というか、誰なんだ、金魚のおじさん。
金魚の前に「金魚のおじさん」の方が凄いじゃないか。
片島の誤解も解けて、金魚のおじさんが池の掃除をしようとしたところで、おじいちゃんの様子を見に行っていた片島が「亡くなっている」と慌てふためき、そして本当に亡くなっていたものだから大変である。
宇納佑演じる幸太郎の父の英太郎は「山に行く」と言って出かけていて誰も行き先を知らない。
そこは年の功(と言いつつ手落ちとダメダメさ加減満載なのだけれど)で、「金魚のおじさん」がその場を仕切り、お通夜が始まったところで英太郎がやっと山から帰ってくる。
亡くなったおじいちゃんはジャズが好きな洒脱なおじいちゃんだったらしいのだけれど、その娘婿の英太郎はどうも融通が利かなそうな感じである。
もう、この辺りの家族と友人と職場関係の人間関係は濃密で、座席に配られたフライヤー(で名称はいいいのだろうか)に「高野家家系図」があるのが本当に有り難い。
お通夜の終わった後、主立った高野家関係者が集められ、おじいちゃんの遺言カセットテープが公開される。
おじいちゃんは何故か小粋なBGMに乗せてしゃべり出すのだけれど、その内容は開けてびっくりで、自分がこしらえた借金のためにこの家は抵当に入っており、この秋(ちなみに、舞台の時は「夏」である)から返済をしなくてはならないのだけれど返す宛ては全くない、と告げるのだ。
大草理乙子演じる英太郎の妹はおじいちゃんに借金を申し込もうと思っていたし、幸太郎はおじいちゃんに願ってこの家を抵当に入れて借金して新しい映画を作ろうとしていたし、熊川隆一演じる英太郎の友人である弁護士の御手洗がおじいちゃんが残した借用証を発見して「映画を撮ろうとしていたらしい」と言うと、俵木藤汰演じる英太郎の友人の鍋島は「おじいちゃんに相談されて調子に乗って映画関係者をほいほい紹介してしまった」と土下座して謝る。
それとは別に、堅物の父親に反発して家を出ていた弘中麻紀演じる幸太郎の姉の文子がおじいちゃんのお通夜にやってきて、遠藤留奈演じる何故この場に来ているのか誰も判らない新宿で風俗嬢をやっている京香という女の子と、岩橋道子演じる幸太郎の元妻、富田直美演じる英太郎の研究室の助手の女性3人が歩いているところを見て、「円山町でお父さんと一緒にいた女があの中にいる」と言ったものだから、幸太郎は一人で大騒ぎである。
なぜなら、彼は元妻とよりを戻したい、戻せたらいいな、などと考えていたからだ。
ところが、英太郎と元妻夏子の会話を聞いて、「山へ行く」と言っていた父英太郎が実は夏子と2泊3日で出かけていたことを知り、幸太郎は荒れまくる。
それはそうだろう。気持ちは判らないが、判る気もしてこようというものだ。
幸太郎は、母が亡くなったときも、自分が離婚したときもこの池の金魚が騒いだのだと話していたけれど、英太郎と夏子がこの家で二人きりになったとき(正確には、昼寝をしていた80代後半のおじいちゃんもいたのだけれど)、やはりこの金魚は騒いだのだという。
そして、翌日の出棺式で、英太郎が夏子とのことを喪主挨拶で述べ始めたところで場は一気に混乱する。
英太郎の友人達は「なかったこと」にするために必死だし、文子は「なかったことにすることなんかない。あったことをなかったことにするのと、あったことをあったこととするのとどっちがいいと思っているんだ」と叫ぶ(このときの文子がとにかく格好良すぎて惚れる)。
そして、喪主挨拶の続きを買って出た幸太郎が英太郎をけしかけて夏子とこの家を出て行くことを進め(どうして家を出なくちゃいけないのかはよく判らなかったけれど)、何が何やら訳が判らないまま、でも、出棺は無事に行われた、らしい。
一段落ついた家の中、「この家のことは俺に任せろ」と言った幸太郎は遺産相続の本を読み始め、「金魚のおじさん」は帰って行く。
自分が産まれる前に家族がこの家に住んでいたのだけれど、小豆相場をでも堅実にやっていた父親が騒ぐ金魚に負けて危ない橋を渡ろうとして渡れなかったのだと告白した金魚のおじさんは、実は、何十年もこの家の池に住み着いている「凄い金魚」なんじゃないかと片橋が言い始め、何だかそんな気になってしまうのが不思議である。
「凄い金魚」じゃなくて「騒ぐ金魚」なんじゃないかと思っていたのだけれど、ここに来て、やっぱりタイトルは「凄い金魚」だったんだな、と思った。
ラストシーンは、暗くなった舞台に、おじいちゃんから英太郎だけに宛てた遺言テープの声が流れる。
昼寝から起きていた自分は英太郎と夏子との間に起きたことを知っている。やりたいことをやれ。
淡々と語るおじいちゃんの台詞は、何だかしみ入る。
反則ワザだよと思いつつ、見に来て良かったと思ったのだった。
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