「音楽の時間」を見る
リリパットアーミーII「音楽の時間」
作・演出・出演 わかぎゑふ
出演 コング桑田/千田訓子/上田宏/谷川未佳
祖父江伸如/三上市朗/岡田達也(演劇集団キャラメルボックス)
美津乃あわ/森崎正弘(MousePiece-ree)/久野麻子(スイス銀行)
木下智恵(北区つかこうへい劇団)/江戸川卍丸(劇団上田)
伊藤えりこ(Aripe)/八代進一(花組芝居)/佐藤心(スタジオ・シン)
観劇日 2011年3月16日(水曜日)午後7時開演(東京千秋楽)
劇場 ザ・スズナリ H列1番
上演時間 2時間25分
料金 4500円
私も莫迦だなぁと思いながら、家族や友人に呆れられたり笑われたりしながら、見に行って来た。
3月5日から上演していたこのお芝居が、11日夜も上演されたことは劇団のホームページで知っていたけれど、開演前にわかぎゑふ氏と舞台監督氏らが現れて「緊急の場合の注意事項 補足」をされた際に、11日夜公演に6人(だったと思う)のお客様がいらっしゃったというお話をされていて、「強者が6人もいた」としみじみしてしまった。
上には上がいる。
そして、この千秋楽も私の目分量で客席の四分の三は埋まっていたのではなかろうか。
何だか嬉しかった。
電車が心配だったので、物販のチェックはせずに早々に劇場を後にした。
ネタバレありの感想は以下に。
能舞台のように真ん中に正方形の一段高くなった舞台、奥に引き戸が6枚というシンプルな舞台である。
そこに、何故か白塗りになったコング桑田と祖父江伸如が現れる。いかにも「麿」という風情で、その風情のとおり雅楽局というお役所の上司と部下のコンビであることが判る。
彼らは「国歌」というものを作るように命じられており、でも、西洋風のそれを作ることはなかなかできずにいて、何やら天才肌の「ヒロモリ」という人物に押しつけたのだけれどなかなか仕上がってこない、ということのようだ。
そこに、同じ時間軸だけれど場所は違うところにいる(らしい)、岡田達也演じる少尉と森崎正弘演じるその部下の海軍軍楽隊の二人組が現れる。彼らは「軍楽隊」への配属を不名誉に思っていて、でも雅楽局への競争心だけはたっぷりと持っている。
最初に遊び始めたのは、この海軍軍楽隊コンビである。とりあえず、キャラメルボックスで岡田達也をいじってやれ、という風情が感じられる。その長い「遊び」と、その長さに呆れたような麿二人組の雰囲気で、やっと「今日は千秋楽だった。」ということを思い出した。
役者さんたちも言っていたが、長くなるぞ〜、と思う。
そこから場面はくるくると変わる。
大阪で遊女たちに「大阪弁」と「口説き方」を教える教室が開かれている場面では、緩急自在の千田訓子のお師匠さんの遙先生と、どこからどう見てもヒモなんだけどなんだか子細ありげな八代進一演じる「りんさん」のやりとりが楽しい。
上田宏演じる(ということに、家に帰って配役表を見るまで気がつかなかった。)音楽でアメリカに留学していた真木幸太郎が、佐藤心演じるアコーデオンを抱えたアメリカ人宣教師と船で日本に向かっている。
若松武演じる濃すぎる文部大臣候補である森公使と、美津乃あわ演じる逆の意味で濃すぎるその妻の会話は、もう濃すぎて引きつつ引きつりつつ笑うしかない。お互い、好き勝手してますね、夫婦も役者も、という感じがする。
留学生と宣教師のコンビが、何を迷ったのか逃げたのか大阪弁教室に迷い込んだ辺りから、たぶん、この話は動き始めている。
大阪弁の教え方に感動し、「日本にも音楽を教えるための土壌があった!」と大騒ぎし、彼女らに賛美歌を教えようとする。
無理だ無理だと言っていた彼女らも、木下智恵演じる遊女の千秋にくっついてきている谷川未佳演じる秋吉が2人の後について歌い始めたところからその気になり始め、りんさんが「このメロディなら五七調のものなら何でも乗る」と言って百人一首や即興で作詞して歌い始めるシーンは、穏やかで楽しいシーンである。
けれど、正直に言うと、この辺りまでの「人物紹介」兼「千秋楽なので遊ばせていただきます」というやりとりは、ちょっと冗長な感じもした。もちろん、それは、地震や停電や電車が気になって集中力を欠いたこちらの事情も大きく影響していたと思う。
でも、一通りの舞台が整った後のリリパットアーミー㈼のお芝居の畳かけの凄さは折り紙付きなので、安心して待っていられるのである。
若松夫婦の「世界基準」という言葉や、「国歌を作る」のは外国の賓客を迎えたときの式典のためであるというやはり「世界」が理由になっていることが、「音楽の時間」が始まるキーワードだ。
明治時代の始め頃、日本の国歌の歌詞は「君が代」だったけれど、その旋律はイギリス人(だったと思う)が即席で作ったものだった、というのは史実らしい。
そこで、「世界の中の日本」にふさわしい国歌を作ろうということになったわけだけれど、遅々として進まず、ついに「今年の天長節までに作れ」としびれを切らし、雅楽局と海軍軍楽隊とを競争させて作曲させようとしたところから、話はややこしくなって行く。
というか、「音楽の時間」が「国歌である君が代」の話であれば、当然に胡散臭く政治絡みになるのは避けられないわけで、その避けがたい、このお芝居のやり切れない部分が露わになって行くのだ。
りんさんは、麿コンビが「広守」と呼んでいた、西洋の音楽をカンで演奏してしまった一種の「天才」らしい。国歌作曲を命じられて、やる気があるのだかないのだか、というよりも、その「音楽を政治に利用する」という臭いを敏感にかぎ分けてのらりくらりと逃げを打っていたのだけれど、ついに捕まってしまう。
りんさんと麿コンビが「国歌」について語っていたシーンは、たぶん、両方がもの凄く根本的なことを語っていて、「ここは理解しないといけないところだぞ」ということだけは判ったのだけれど、情けないことに、私にはどちらの言っていることも判ったという気持ちになることができなかった。
ここのポイントは、たぶん、りんさんの言い分だけが正しいわけではなく、間違っているのでもなく、でも麿コンビが(というか、主に雅楽局長が)言っていることもまた正しいということなのだと思う。
一方の海軍軍楽隊コンビは、元々が音楽をやるために海軍に入隊した人の集まりではないので、作曲できるような人材がいる状況ではない。それでも、海軍の中で音楽をやるということに一種の劣等感を持っていた彼らが「ここで起死回生の名誉回復」を狙う心持ちになるというのは、何となく判る気がする。
気がするけれど、この海軍軍楽隊コンビは、最初に遊んだら遊びづいてしまったのか、特にキャラメルボックスネタで何回もしつこく長く遊ぶので、今ひとつ、緊迫感が持続しないのが惜しいところである。ここは、クライマックスに向けた仕込みの部分なので、遊ばない方がよかったのではないか。
彼らが目をつけるのは、留学生&宣教師コンビで、神戸港で、楽譜を大量に持っていた二人組が逃げ出したと聞き、利用してやろうと大急ぎで駆けつけるのだ。
不法入国を疑われて警察に捕まってしまった真木たちに同伴したりんさんは、「国歌なんて話がでかすぎる」と頭を抱えていたけれど、そこに遙先生が彼を捜しにやってくる。
この、彼と彼女のシーンも穏やかで格好いいシーンである。
正体不明で転がり込んできた彼を迎え入れた彼女も、そうした彼女に「不思議な女だ」としみじみと言ってのける彼も、彼女が彼に「私の夢は音楽の先生になることだ」と言って恥ずかしそうに顔を覆ってしまう仕草も、かわいくて格好いい。
海軍軍楽隊の少尉は東京在住だろうに、千秋たちの馴染み客だったというのは出来過ぎじゃないかという気もする。
それはともかく、千秋に真木を任せている間に(考えたら嫌な展開だけれど、彼と彼女が「大阪弁の先生」のところで出会ったときからいい感じだったこともあって、そんなに嫌な感じがしないのが嬉しい)、留学生の彼が作曲したという「国歌」を盗もうと海軍軍楽隊コンビが忍び込んでくる。
そして、千秋に「彼の(楽譜の入った)鞄を守って」という言葉に応えようとした秋吉は包丁を持ち出し、逆に刺されて亡くなってしまう。
何かが起きると察して駆けつけたりんさんは、しかし間に合わず、林広守に戻って、真木に自分の正体を明かし、「こんなことなら、自分たちで国歌を作ろう。協力してくれ。」と握手を求めるのだ。
遅いよ、天才。
後手後手に回っているはずの広守(ところで、今頃に気がついたけれど、名字が林だからりんさんだったのだろう)が、何故だかやけにいい男に見えるのが謎である。
名前といえば、千秋が秋吉の名前を説明するときに「千秋のアキという字を取って秋吉」と言っても、千秋のあきが「秋」であると思い浮かばなかった自分が悲しい。そのときは、「千晶だったらしょうきちだしなぁ」と間抜けなことを考えていたのだ。日本の四季を歌ううたの歌詞に「千秋」と出てきてやっと気がついたのだった。
三上市朗演じる徳川慶喜が、広守らが作曲した「君が代」を気に入ったことで、新しい「君が代」が国歌となることが認知されたようだ。
「君が代」の話であるのに、雅楽局がずっと「帝」のために演奏してきたし(下世話にいえば)養ってもらってきたという形で現れる以外は、天皇という言葉すら、このお芝居には出てこない。
全く出てこないわけではないということも含めて、それは意図するところなんだろう。
どうして「箔付け」する役を慶喜に当てたのか、興味深いところである。
慶喜から「褒美を」と言われた広守は、日本で音楽教育を行うためのまずは調査を行う部署を起こして欲しいと言う。
それは、自分たちが作曲した「君が代」を政治的な混じりけなしの気持ちで歌うようになってもらいたいという希望と、音楽の先生になりたいと言った彼女の希望と、その両方を叶えたいと思ったからなんだろう。
ホント、彼の「君が代」に対する気持ちは私には複雑すぎて判らなかったけれど、でも、どこまでも格好いい奴である。
「取り調べ係」に任命されたのは、留学生&宣教師コンビで、彼らを広守は見送り、そして、ラストシーンは遙先生が音楽の先生となって、子供たちを相手に「大和の丘」というわかぎ作詞、佐藤心作曲の歌を合唱して幕である。
無事に幕は下りた。
カーテンコールでわかぎゑふが挨拶し、コング桑田による物販の案内があった。
そして、ダブルコールで、佐藤心が伴奏し、コング桑田が歌った「Wonderful World」(前後に何か別の単語がついていた気もするのだけれど、聞き取れなかったので)は、わかぎゑふが紹介したとおり、素晴らしかったと思う。
トリプルコールで、再び(今度は子供の顔のマスクなしで゙)「大和の丘」が合唱され、客席からも歌声が起きて、東京千秋楽は本当に幕となったのだった。
東京千秋楽のサインは、わかぎゑふと美津乃あわのお二方だった。
地震と電車が気になって足早に帰ってしまったことを、今になって悔やんでいる。どうせ、電車に乗っているときに地震があって電車が止まり、遅れたのだから、パンフレットを購入してサインをもらって帰れば良かった。
余震と停電と電車の遅延に怯えつつ、呆れられつつ、でも、見に行って良かった。
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コメント
しょう様、コメントありがとうございます。
私は今のところ11日と12日に観劇予定だったお芝居以外は、公演中止のお芝居に当たっていないのですが、延期したり中止になったりした公演も多いのですね。
「国民の映画」で三谷幸喜が言っていたように、どの決断も迷った末のものだし正しいものなのでしょう。
でも、希望としてはやはり上演してもらいたいし、上演しているならやっぱりお芝居を観たいと普通に思ってしまう私です。
投稿: 姫林檎 | 2011.03.26 00:27
姫林檎さん、こんばんは。
色んな所で、延期やら中止やらで、
演劇界もなかなか難しい今日この頃ですよね。
安全面とか考えると難しいですが、、、
君が代 については色んな考え方があり、
広守が危惧していたとおりの結果になった経緯もあり、
複雑ですよね。
その辺を逆手にとってというか、巧く纏めているなと、
流石、わかぎゑふ!と思って見てました。
八代進一さんに関しても同じ感想で嬉しいです。
花組芝居で女形をやってる時は女性に見えるのに、
他の舞台を見ると、しっかり男前。
どっちで居ても良いなんて、ずるいですよね 笑
投稿: しょう | 2011.03.23 21:35
しょう様、コメントありがとうございます。
かなりどうしようか迷ったのですが、「音楽の時間」は11日にも公演を行ったと玉造小劇店のサイトで読み、そしておっしゃるとおりこの公演はぜひ見たいと思っていたこともあって、16日に見て参りました。
しょうさんも一日早くご覧になっていたのですね。
「君が代」についての広守の台詞等々は、私は未だに消化し切れていないところがあります。でも、考えなくてはいけないことだということだけは、よく判ります。
二兎社の「歌わせたい男たち」を見たときも、やはり同じように思ったのですが、
なるほど、野田晋市が演じるりんさんも見てみたいですね。私は八代進一も好きなので、格好いい男役も似合うよなぁ、とただ惚れ惚れ見ておりました(笑)。
投稿: 姫林檎 | 2011.03.21 23:37
姫林檎さん、こんばんは。
チケット取ったとは伺っていたのに、何時行かれたんだろうか。
この話は姫林檎さんも好きだと思うのにと思ったのですが、
東京楽日に行かれたのですね。
私は15日に行きました。
(休みの筈が、震災のお陰で出勤でした)
わかぎゑふ氏の真骨頂というストーリーでしたね。
若松武史氏の西洋化大歓迎の華族が、一郎ちゃんが行く を彷彿とさせ、
歌で紡いでいく感じが、さらば八月の唄 を彷彿とさせ、
本当はりんさんの役は、今回おやすみの野田晋市氏がされてたはずだったんだろうなと言う所が、
罪と罪なき罪 を彷彿とさせと、
勝手に色んな想い出を心の中でふつふつとさせておりましたw
最後の方で昨今の君が代への様々な思いや反発を、
効かせていたりして、演劇的な演出もあったりで、
人情話だけで泣かせてばかりではないというのが、
私は好感を持ちました。
この公演は、佐藤心氏が居ないと成り立たない気もしますが、
また再演をして欲しいですね。
東京、大阪だけでなく、日本全国でみて欲しい演劇だと思います。
投稿: しょう | 2011.03.19 23:37