「シュテーデル美術館所蔵 フェルメール「地理学者」とオランダ・フランドル絵画展」に行く
昨日(2011年4月7日)、bunkamura ザ・ミュージアムで開催されている、「シュテーデル美術館所蔵 フェルメール「地理学者」とオランダ・フランドル絵画展」に行ってきた。
2011年1月以来だから3ヶ月ぶりである。しかも、今年2つ目だ。
もう少しまめに出かけたいものである。
フランクフルトにあるシュテーデル美術館が改装中のため、一気に100点近い絵画を外部に貸し出した、こんなに大量に外部に絵を貸し出したことはこれまでなかったし、これが最後だろう、という絵画展である。
けれど、この絵画展の価値は、徹頭徹尾、フェルメールの「地理学者」が来る、東京に来るのは初めてである、というところにあるのだと思う。
実は、フランクフルトのシュテーデル美術館には、多分、卒業旅行で行っている。
けれど、その頃はフェルメールの「フ」の字も知らなかったし、「地理学者」を見たという記憶は全くない。一通り歩いたように思うので絵の前は通っていると思うし、もしかしたら目にしていたかもしれないのだから、今から思えば惜しいことをしたものである。
ところで、フランクフルトのシュテーデル美術館のイメージは、とにかく「地味」ということしか残っていない。
オランダ絵画にもフランドルにも特に知識や興味があるわけではない、レンブラントの名前は知っている、ルーベンスと聞くと「フランダースの犬ね」と思う、という程度なので、そういう意味では、卒業旅行のときとこれらのコレクションに対する印象はそう変わっていないことになる。特に、風景画については「こういう風景画の流れを見たような気がする」という非常に適当な記憶が蘇ってきた。
そして、今回の感想もやっぱり真っ先に「地味だ」という印象が浮かんで来る。
自分の進歩のなさがしみじみと情けない。
本当に卒業旅行で見たのか、それ以外のところで見たのか、あまり自信はないのだけれど、今回出展された絵画の中で、2つだけ「見たことがあるような気がする」と思った絵があった。
最初の一枚は、コルネリス・ド・フォスの「画家の娘、シュザンナ・ド・フォスの肖像」である。
今回出典されていた絵の中で、珍しく明るい白っぽい色調を基調にした画面に、子供の全身像が描かれている。そして、何を覚えているのかといえば、何となくアンバランスに感じられる頭部と、その女の子が歯を見せているというところなのだ。
笑っているわけではない。解説には「利口そうな顔」と書いてあったように思うけれど、どちらかというとお澄まし顔である。
なのに、前歯が見えている。
その顔を見たときに「あ、この絵は見たことがある」と思ったのだった。
そんなに有名な画家ではない(と思う)し、日本に来たり、例えば美術の教科書に載ったりしていないと思うので、多分、何十年ぶりの再会ということでいいだろう。
もう一点は、アドリアーン・ブラウエルの「苦い飲み物」というこちらも肖像画である。
やはり、肖像画の方が印象に残るようだ。
ただ、こちらの絵は、その後の肖像画に大きな影響を与えているようだし、他のどこかで見たという可能性もあるような気がする。
若くもなければ年寄りでもない、40代から50代くらいの男性が、何やら苦い飲み物を飲んだようで、顔を大きく歪めている、その様子を描いた絵である。全体に黒やオリーブのような色彩が基調になっていて、決して明るい絵ではない。
でも、大きく表情を崩した顔のアップというのが、やけに記憶に残っているのである。
フェルメールの「地理学者」は、この絵画展の割と早いうちに登場する。
これは、多分、正解だろう。
「歴史画と寓意画」「肖像画」「風俗画と室内画(フェルメールの「地理学者」はここにある)」「静物画」「地誌と風景画」と構成された絵画展のうち、静物画にたどり着いた頃(入館から1時間くらいたっていた)には、私の集中力は完全に切れていた。
それで、「地理学者」である。
この絵の前だけ柵が設置され、近づけないようになっている。また、照明もこの絵の辺りだけさらに落とされている。
そのせいかも知れないけれど、そこまでに見てきた絵と比べて、とにかく「くっきり」という感じがした。輪郭がはっきりしているというか、とにかく「くっきり」とした絵なのである。
この「地理学者」にだけは2分程度の解説ビデオが流されていた。
貿易大国となったオランダの力となった地理学を研究する学者を描くことで、その仕事ぶりや、オランダ市民の生活を浮かび上がらせている。
地理学者は、机の上に地図を広げ、その手前にはゴブラン織りの織物がざっくりと無造作に置かれている。彼の手にはコンパスがあり、手前の椅子の上には直角定規が置かれている。奥の棚の上には地球儀が置かれ、私の目では判らなかったけれど、インドが正面を向いているのだそうだ。
奥の壁には地図が張られ、ヨーロッパの一部が見えている。当時のヨーロッパ地図が出品されていたけれど、東に行くほど曖昧になっているような気もしたけれど、かなり正確である。
地図の下にはゴブラン織りの布が張られた椅子が置かれている。
要するにこの学者さんは裕福なのだ。
学者さんだから裕福なのか、一般市民が裕福になったから学者が生まれたのか、その辺りはよく判らない。
フェルメールはデルフトの出身で、その地で生涯を送ったということだけれど、デルフト焼きのタイルが壁の下の方に張られている。
地理学者の左手に大きく取られた窓はガラスが曲線を描いてはめ込まれている。
地理学者が来ているぞろっとした感じの服は、「ヤポンス・ロック(日本の着衣)」と呼ばれるものだそうで、当時のオランダでは、日本のものや、日本風に作ったものが裕福な市民階級の間でもてはやされていたのだそうだ。
よく見ると着物というより、普通のガウンじゃないのという気もする。でも、こういうところにフェルメールと日本とのつながりがあると考えるのはなかなか楽しいことである。
解説によると、地理学者の目は手元の地図ではなく、このガラスの向こうの外に向けられていると言うのだけれど、私にはどうしてもそういう風には見えなかった。
これだけくっきりした絵の中で、何故かそこだけぼんやりと描かれた地理学者の顔、その視線は、窓ガラスの横(画面でいうとさらに手前)に向けられていて、窓ガラスの方は向いていないように私には見える。
さて、その描かれていないところに窓が並んでいるのかもしれないし、そこには壁しかないのかも知れないのだけれど、さて、実際のところはどうなのだろう。
フェルメールといえば、画面構成を決めるのにカメラ・オブスキュラを使ったことでも知られている。
というか、私がそのことを知ったのは、北森鴻の「写楽・考」を読んだからなのだけれど、ぜひその原理を逆に使って、この地理学者がいる部屋を再現し、彼の視線の先にあるものを探ってもらいたいものだと思う。
「地理学者」を見に行って、「地理学者」を見てきた。
そういう絵画展だった。
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