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2011.05.21

「ぼっちゃま」を見る

パルコ・プロデュース「ぼっちゃま」
作 鈴木聡
演出 河原雅彦
音楽監督・ピアノ 佐山雅弘
出演 稲垣吾郎/白石加代子/高田聖子/中村倫也
    大和田美帆/谷川清美/福本伸一/小林健一
    柳家喬太郎/梶原善
観劇日 2011年5月19日(木曜日)午後7時開演
劇場 パルコ劇場 J列21番
上演時間 2時間40分(15分の休憩あり)
料金 9000円

 ロビーではパンフレット等が販売されていた(と思う)けれど、混雑していたのでチェックせずじまいだった。
 ロビーの印象としては、物販よりも、「お花の撮影もご遠慮いただいております」と係の人が行き来していたことの方が強く残っている。数えているわけではないけれど、パルコ劇場では、この注意を受けることが比較的多いような気がする。

 ネタバレありの感想は以下に。

 パルコ劇場の公式Webサイト内、「ぼっちゃま」のページはこちら。

 登場人物たちの会話から、舞台は昭和25年と割とすぐに説明が入る。
 「郊外」という感じの場所で、割と大きな日本家屋が舞台のほとんどを占め、その隣に蔵のようなアパート(らしい)が建っている。そのアパートの2階の一室にピアノが置かれ、佐山雅弘がアパートの住人で「格安で貸しているからリクエストに応えてくれるんだ」というピアノ弾きとして出演している。
 日本家屋は縁側をこちら側にして開かれており、隣に応接間、その上に寝室に使われているらしい屋根裏っぽい部屋がある。
 和室の奥の襖がバッと開いて、仁王立ちした稲垣吾郎が現れたときには拍手喝采だった。何故だか私の頭には「宝塚みたいだな」という感想が浮かぶ。

 稲垣吾郎演じる「ぼっちゃま」こと井上幸一郎は、このいわゆる「地主」の家を継いだ跡取り息子で、農地解放で畑のほとんどは失ったけれど、アパートを経営し、先代主人の父親が趣味で集めていたらしい骨董の茶碗を次々に売り、道楽息子の典型のように遊び暮らしているらしい。少なくとも、働いているようには見えない。
 要するに単なる遊び人なのに、そこは妙に品のいい人のように見えるところが不思議である。
 茶碗を後生大事に抱えているよりも、父親の集めた茶碗を売ったお金で遊び、「お父さんありがとう」という気持ちを持てば、父親への気持ちが生きるというものだ、という屁理屈が一理あるようなないような、とにかく可笑しい。
 その屁理屈を全面的に肯定する、白石加代子演じるばあやの「千代さん」がいればなおさらである。

 ちらしには、「その強烈な美意識や思想ゆえに、兄弟達やその連れ合い、愛人、出入りの骨董屋や八百屋、さらにご近所さんをも巻き込んで騒ぎを起こす」ぼっちゃまが繰り広げるドラマ、という風に書いてあって、「そういうお芝居なんだな」と思って見始めたのだけれど、何だか様子が違う。
 この子にしてこの親ありということで、ぼっちゃまのお父さんもなかなか発展的な人だったようで、ぼっちゃまには3人の兄弟がいるけれど、4人とも母親が違う。ぼっちゃまの母親は正体不明だけれど、他の3人の兄弟の母親はそれぞれ芸妓さんらしい。

 そして、谷川清美演じる姉が連れてきた結婚相手は、福本伸一演じるいわゆるエロ雑誌の編集長だし、大和田美帆演じる妹が連れてきた結婚相手は、梶原善演じる額縁ショーの興行主である。
 中村倫也演じる弟は、せっかく入った銀行を「他人の金勘定はしたくない」と辞めてしまっている。
 そして、「たまには兄弟仲良く集まろう」というぼっちゃまの手紙に応じて集まったかのようだった兄弟達は、それぞれ、お金の無心に来ていたことが判る。
 ぼっちゃまは、父親の遺品の中でも一番上等の茶碗を売り、そのお金を机の上に置いて「勝手に分けろ」と言って出て行く。3兄弟は「少しは置いて行く?」なんて話をしつつも、結局は3人で山分けしてとっとと逃げ帰って行く。
 さてこの場合、振り回しているのはどちらなんだろう。

 このときは景気のいいことを言っていた3兄弟だけれど、次に再び集められたときにはどうも様子がおかしい。最初のうちはやっぱり景気のよさそうなことを言っていたのだけれど、結局、姉妹の夫は新規事業に失敗し、弟は株でスってしまったことが判明する。再びお金の無心に来ていたわけだけれど、そこに、幸一郎が結婚するんだという驚愕の話が飛び出す。
 そこを仕切っているのは、ぼっちゃま達の父親がひいきにしていたらしい、柳家喬太郎演じるところの元太鼓持ち・現骨董屋である。
 そう考えると、このぼっちゃまという人は、まあ変わった考え方の人なんだろうし、独特の美意識の持ち主なのかも知れないけれど、その一番の特徴は「寂しい」というところにあるんじゃないかという気がする。
 それがやっと結婚しようという相手を見つけたのに、結婚式の前日に別の女性に会いに行こうとしたというのだから、この先の顛末が目に見えるようである。高田聖子演じる結婚相手のタキコさんが激怒した気持ちも判ろうというものだ。

 結婚式の日に「事業がダメになった」ことを告白してぼっちゃまの経営するアパートに住むようになった3兄弟だけれど、休憩後に幕が開いたときにも、やっぱりぼっちゃまの家に居候しているようだった。
 ガリ版刷りのような作業を総出で行っている。
 彼らは既に3年をここで暮らしていて、ぼっちゃまが思いつきで始めたらしい「ぼっちゃまのぼっちゃまによるぼっちゃまのための」と言いたくなるような新聞の発行作業を手伝うハメになっているようだ。
 しかし、妹の旦那のした仕事に「誤字が多すぎるからやり直し。僕の教養が疑われる」と言った辺りから雰囲気がどんどんおかしくなって行き、ついに、3兄弟は「出て行こう。長くいすぎた」と言って出て行ってしまう。

 一方、ぼっちゃまの浮気を問い詰めていたタキコも、開き直って酒を飲みに出かけてしまったぼっちゃまについて、千代さんに「私はどうすればいいの?」と尋ね「ぼっちゃまは嘘は言っていない。ああいう人だ。受け入れるしかない」と言われる。
 これも、いや、育てた立場としてそれはどうなんだという気がしなくもない。
 タキコは、小林健一演じるトランペットなんか吹けやしないのに進駐軍でジャズバンドをやっていた八百屋の息子と浮気をしようとし、戻って来たぼっちゃまに殴られて出て行ってしまう。

 その後、ぼっちゃまは人が変わったようになってしまったと言う。
 この辺りの展開は定石という感じがするし、演じる稲垣吾郎も、やっぱり稲垣吾郎である。何というか、素らしく見せるところに心を砕いているという感じを受ける。
 このストーリーだったら、もっと時間もセットもコンパクトにぎゅっと凝縮したくなるように思うのだけれど、そこを敢えて開いてゆったり流すことができるのは、逆に、主演が稲垣吾郎という個性と特定のイメージの強い役者を据えているからなんだろうという感じがする。
 正しい言い方かどうか全く自信はないのだけれど、これぞスターシステムだ、という感想が頭に浮かんだ。

 誰も家にいないらしい井上家に、兄弟とその伴侶達が喪服で押し寄せてきた。
 ぼっちゃまが死んだのだという連絡が入って慌てふためいている。最初のうちは、家を出たときに手がけようとしていたテレビ番組も週刊誌も上手く行き、弟も真面目に会計事務所で働いているという話しだったのだけれど、そんなことは信じてはいけない。
 実は、骨董屋は「死んだんだ」ではなく「診断だ」と電話口で伝えたらしいのだけれど、それを姉がすっかり聞き間違え、兄弟に連絡を回したということらしい。
 ずっと酒浸りの日々を送っていたらしいぼっちゃまだからそういう誤解も生じたのだと言いたいところだけれど、そうではなく、どうやら兄弟達はまたもやお金が必要な自体に陥っているらしいのだ。

 亡くなってはいないものの弱ってはいたらしいぼっちゃまは、毒舌を吐きまくった上で「楽しい話をしてくれ」と言い、妹の夫が何故か突然悲しい話を始めたところで息をしなくなってしまう。
 そこで、一応は悲嘆にくれたものの、あっというまに遺産相続の話を始める三兄弟がリアルである。
 それを聞いたぼっちゃまが幽霊となって現れ、千代さんの口を借りてさまざまに語りかけるのだけれど、どういう訳だか、私は幽霊になったぼっちゃまが語ったことを何一つ思い出せない。
 どうしてだ。どう考えても、意味のあることを言ったに決まっているのに。

 そして、ぼっちゃまは、千代さんの「生きるんです!」という呼びかけというか説得というか声に応えて復活する。
 そういえば書き忘れていたけれど、タキコさんがぼっちゃまに呼ばれたと来ているのが、何だかいい感じである。

 翌日、今度は千代さんが倒れてしまう。前日の騒ぎが相当に堪えたのだろう。ここでだったか、その前だったか、ぼっちゃまが千代さんに真っ向勝負で「僕の母親なんじゃないか」と言ってみるシーンがあったのだけれど、一切答えずに微笑んでいるだけの千代さんは、切ないというよりも強かに見えた。
 その強かな千代さんだけれど、相当に年齢が行っていることは間違いない。夏ばてということでお医者さんから帰ってきて、タキコさんも「お店に来てよ」と帰って行く。
 弟がやってきて、自分はこれから裁判を受ける。でも兄弟でいてくれるか、と尋ねる。
 千代さんが、自分が何をやっても受け入れてくれたように、兄弟にとって自分はそういう存在になりたいと言う。そして、弟にもちろんだと答える。
 そういう、いいシーンなのに、何故か小道具が「噛みきれないチューチューアイス」なところが間抜けだけれど、そういうものだという気もする。

 千代さんの身体と手がだらりと下がり、ぼっちゃまの代わりに亡くなってしまったのかと思わせ、にっこりと起き上がる。
 その千代さんに滝付いて坊ちゃまが泣き始める。
 そういえば、このぼっちゃまはやたらとよく泣いていたけれど、この泣くシーンが適度に嘘っぽいところが却ってこの芝居を重苦しくしない方向に持って行っていたのかなという気がした。

 同じお芝居をスターシステムではなく、群像劇みたいな感じででももっとコンパクトに凝縮したらどうなるんだろう、そっちも見てみたいと思ったのだった。

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