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2011.05.14

「港町純情オセロ」を見る

2011年≪春≫劇団☆新感線プロデュース「港町純情オセロ」
原作 ウイリアム・シェイクスピア(松岡和子翻訳版「オセロー」ちくま文庫より)
脚色 青木 豪
演出 いのうえひでのり
出演 橋本じゅん/石原さとみ/大東俊介/粟根まこと
    松本まりか/伊礼彼方/田中哲司/右近健一
    逆木圭一郎/河野まさと/村木よし子/インディ高橋
    山本カナコ/礒野慎吾/吉田メタル/中谷さとみ
    保坂エマ/村木仁/川原正嗣/前田悟
    武田浩二/藤家剛/加藤学/川島弘之/西川瑞
観劇日 2011年5月14日(土曜日)午後0時30分開演
劇場 赤坂ACTシアター 2階E列21番
上演時間 3時間20分(20分の休憩あり)
料金 10500円

 蛮勇鬼のDVDはかなり気になったのだけれど、ロビーで売られていたグッズやパンフレットなどはチェックしなかった。
 客席に割と男性や年配の女性がいらしたのが意外だった。

 ネタバレありの感想は以下に。

 http://www.junjo-othello.jp/の公式Webサイトはこちら。

 ネタバレありといっても、シェイクスピアの「オセロー」にかなり忠実なお芝居なのではなかろうか。
 1930年の神戸と思われる港町「神戸(かんべ)」に場所を移し、登場人物も日本人、オセローは軍人ではなくヤクザの組長に移し替えられている。
 シェイクスピアのオセローでは、オセローの肌の色に大きな意味が持たされていたと思うのだけれど、この「港町純情オセロ」でも、橋本じゅん演じるオセロはブラジルにいた黒人との混血という設定になっている。
 そこは外せないということなんだな、と思う。

 ところで、チケットを発券したときには「どうして2階の前から5列目がS席なのよ!」と思ったのだけれど、席についてみれば、舞台は遠いもののかなり見やすい席だった。
 特に新感線のお芝居は、舞台全体を上から下まで使うことが多いし、映像も多用されるので、舞台全体を一望できる席の方が楽しめることがある。
 ただ、表情を見たくてオペラグラスを使っているときに、オペラグラスの視界から外れたところで何かが起きていたり、小ネタが仕込まれているときに気づけないのが勿体ない。

 最初のシーンは病院である。
 オセロがぎっくり腰で入院している。抗争で怪我をして入院しているらしいのだけれど、銃か刀で怪我したところよりもその拍子に痛めた腰の方が治りが悪い、という設定のようだ。
 というよりも、登場シーンの橋本じゅんを「腰」でいじるためだけに、石原さとみ演じるモナを病院のご令嬢という設定にしたんじゃないかと疑いたくなる。それくらい、何だか楽しそうにモナの父親を演じた逆木圭一郎が楽しそうに「腰」の話をしていた。

 さて、オセロとモナは結婚する。モナは、登場シーンでオセロに「お話」をせがむところからして、デズデモーナと何となくイメージが違う。
 とはいっても、私の持っているデズデモーナのイメージは、国立博物館の庭園で見た、ク・ナウカの公演で美加里が演じていたデズデモーナである。舞台装置の違いも設定の違いもあるのだけれど、こちらのモナの方が、おきゃんな感じがする。正直に言うと、おきゃんな感じを出そうと声のトーンを目一杯上げているようで、もうちょっと落ち着いてもいいんじゃないか、という気がした。
 もっとも、例えば、オセロの組が傘下に入っている赤穂組の組長に挨拶に行き、父親に会ったときなどに見せる「しっかりもの」の風情との落差が効いていることも確かだ。

 モナの台詞ではないけれど、ブラジルから渡ってきて日本で組長にまでなっているオセロが苦労をしていない筈がない。強かな人でもあろうし、人がいいばかりということもないだろう。
 でも、橋本じゅんのキャラクターもあって、このオセロからは威厳や押し出しよりも可愛らしさを感じる。
 逆に、田中哲司演じる伊東は、彼がイアーゴーの訳だけれど、どこまでもとことん腹黒い逆恨みもいいところの策士である。イアーゴーが、自分の妻エミリアとオセローの不倫を疑っているなんていう設定があったっけ、などと考える。そもそも、イアーゴーに右耳がないという設定がそもそもなかった気もする。
 お芝居を観ているときは、少なくともオセローのおおまかな筋書きは知っていたにも関わらず、すっかり伊東の悪の魅力にやられて次々と腹黒い企みが繰り出されるその気合いというか執念にすっかりやられていたのだけれど、見終わってしばらくたった今考えると、多分、「若がしらになれなかった」だけでこれほどの策謀を巡らすには理由として足りないと感じたんだろうな、という気がする。

 本当に、オセローの展開は一応あらすじ的には知っていたので、そういう意味でのハラハラどきどきはなかったにも関わらず、すっかり「この先どうなるんだろう」という罠にはまってハラハラどきどきしてしまったのは、田中哲司演じる伊東にすっかり私がやられてしまっていたからだと思う。
 何というか、自分が伊東にハメられつつあるような感じと、自分にも伊東と同じような気持ちや企みや腹黒さがあってそれを暴かれつつあるような感じと、その両方を感じたのだ。

 伊東が、自分を若がしらにしなかったオセロと、自分を差し置いて若がしらになった伊礼彼方演じる汐見と、その2人にモナを絡ませることで本格的な復讐を始めようというところで一幕が終わる。

 そして、オセロが本格的に嫉妬に捕らわれるのは二幕になってからである。
 でも、何だかオセロがモナを疑い出す過程が今ひとつピンと来なかった。いや、そこで簡単に伊東の策略に引っかかるのは何故? とツッコミを入れたい気分で一杯である。
 伊東の策略は決して上手なものではないし、わざとらしく言いかけて止めるなんていうのも、割とよくある気を引くやり方だし、どんどんモナを疑い出すオセロがよく判らなかった。
 シェイクスピアではデズデモーナのハンカチを、イアーゴーがこっそりキャシオーの手に入るように仕組んで、それをオセローに見させることで、デズデモーナの不定をオセローに確信させるわけだけれど、このお芝居では、ハンカチではなくて岩塩である。

 何故、岩塩なんだ。
 しかも、その岩塩を汐見から渡された彼が付き合っている女性は、お風呂にその岩塩を溶かし込んでしまい、確かにモナは岩塩をオセロに示すことはできないのだけれど、キャシオーだって持っていないし、岩塩自体がこの世から消えてなくなったら、決定的な証拠はなくなってしまうではないか。

 伊東の迫力に負けてしまったけれど、後になって考えてみると、どうして伊東の策略が当たって行くのか、本当によく判らないのだ。モナは見た目よりもずっとしっかりしていることが随所で判るし、オセロが元々嫉妬深い性格だったとも思えない。
 見ているときは、伊東が妻の絵美とオセロとの不倫を疑っていたこととか、赤穂組の組長が実はオセロを見限って死地に追いやったこととか、ラストに向けてがっと収斂するだろうと思っていたことが、そのままになってしまっていることが気になっていた。

 最後には、オセロはモナを殺し、その後で全ては伊東の企みであったことが知れて、オセロもモナの遺体の横で自殺する。白い服を着ている2人に赤いライトが当たって、何だか印象的な絵だ。
 二幕の追い打ちを掛けられたたみ込まれる感じよりも、一幕の方が好きだった。大抵は一幕はちょっと退屈と思うことが多いので、我ながらどうしてそう思ったのか不思議である。
 でも、どう考えても、やっぱり一幕二幕を通してもの凄く集中して見ていたことも確かで、何だか掴みきれない怪しげな(誉めてます、念のため)お芝居だったなと思うのだった。

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