「散歩する侵略者」を見る
イキウメ「散歩する侵略者」
作・演出 前川知大
出演 伊勢佳世/窪田道聡/浜田信也/岩本幸子
安井順平/盛隆二/森下創/坂井宏充
大窪人衛/加茂杏子
観劇日 2011年5月28日(土曜日)午後1時開演
劇場 シアタートラム D列9番
上演時間 2時間20分
料金 4000円
2011年5月13日~5月29日 シアタートラム
料金 4000円
ロビーでは上演台本等が販売されていたようだったけれど、シアタートラムのロビーは狭く、物販のコーナーも販売されている方とあまりにも近くなりすぎてつい近寄りそびれてしまった。
ネタバレありの感想は以下に。
この「散歩する侵略者」は再演のようだけれど、私は初見である。
舞台は床も壁も(前にもこういったセットの芝居があったと思うのだけれど、舞台奥の壁は天井まで続かずに途中で切れていて、階段をつけて上れるようになっており、舞台を縦方向にも広げて使っている)、ソファセットや診察室などもグレーや白で統一されている。
舞台は非日常だけれど、今の日本の家庭や病院を舞台にしつつ、非日常感が溢れている。
窪田道聡演じる縁日で買った金魚を持って裸足で歩き回っている男を、浜田信也演じる「3日前にこの町に来たばかり」の男が保護して警察経由で病院に連れて行ったらしい。
盛隆二演じる医者が診断したところでは、脳などに一切の損傷はないけれど、やっぱりどこかがおかしいのだ。迎えに来た伊勢佳世演じる妻に、医者は「介護が必要になるかも知れない」と告げる。
ほとんど別居状態だったとはいえ、夫が3日間も行方不明で本人曰く「散歩をしていた」のであり、しかも日本語は通じるのに会話ができない、言葉は覚えているらしいのにその意味は掴めていないような状況になっていて、妻の鳴海は大混乱だ。しかも、どうして夫に「ガイドになってくれ」などと言われなければならないのか。
この辺りの大混乱は、しっくり来なかった場面のひとつなのだけれど、理由は自分でもよく判らない。
鳴海は、岩本幸子演じる姉の明日美と安井順平演じる警察官の義兄が暮らす(姉妹の母親も同居しているような台詞はあったと思うのだけれど、母親は出てこない)家に夫の真治を連れて行く。
そこで、明日美が「家族」というものを説明していたところ、真治は「それをもらうよ」と呟き、次の瞬間明日美は崩れ落ち、そして泣き出す。
何かが起こったことは判るし、その後で真治がやっぱり呟くように「鳴海にとって大切な人だって判らなかったんだ」というようなことを言うので不吉な予感満載だけれど、このときには何が起こったのかさっぱり判らない。
ただ、にへら〜というに近い笑顔を常に浮かべている真治と、人が変わったようになった夫にやっぱり大混乱の鳴海の気の強さが際立つ。
真治を保護した男は、祖母と両親が亡くなっているところに一人残されていた女の子を取材しに来たライターで、元は明日美の夫である浩紀の後輩、つまり警察官だったらしい。
その彼女が残されていた状況を浩紀が「ここだけの話だ」と言いながら語るシーンはかなりスプラッタで、私は勝手ながら「イキウメってこんな場面を語らせるところだったっけ!」と憤っていた。私はスプラッタが大の苦手なのである。
そうしてスプラッタが苦手な私から見ると、明日美がその話をまるで喜んでいるかのような表情で聞くことに激しく違和感がある。それとも、これは既に「家族」という概念を失った明日美であるからこその反応ということだったんだろうか。
ライターの彼は、真治が保護され、女の子が入院している病院に出向いて、彼女への面会を申し込むけれど当然のことながら断られる。
同じく彼女に接触しようとしていたらしい大窪人衛演じる中学生(には最初見えなかったけれど)に声をかけられ、彼から「ガイド」になるよう言われ、よく判らないままその中学生天野の妙は話術に引きずられてファミレスかどこかで話し込むことになる。
この天野くんが「僕たちは嘘は吐かない」と明言して語ってくれたところから、彼らが宇宙人(という概念もどうも正確ではないらしいことがしばしば示されるのだけれど、ともかく)で、3人でやってきたのだけれどバラバラになってしまったこと、3人がやってきたのは地球侵略に当たっての調査のためであり、その調査というのは具体的には地球人の持つ「概念」を学習することであること、地球人と問答をして言葉ではなくそのイメージを浮かべてもらったところでその概念を学習するのだけれど、彼らが学習するとそれは同時に相手からその概念が失われるという副作用があるらしいこと、などが語られる。
そうだったのか。
それで、明日美は「家族」という概念が理解出来ずに、しょっちゅう遊びに来たり真治を預ける鳴海のことが理解出来ないし、何だか私にはよく判らない(というか、正直に言うと、アウトローを気取っている単なる怠惰な若者に見える)森下創演じる男は真治に「〜の」という所有の概念を奪われたことから、本人は「開放された」と叫び、坂井宏充演じる友人からは「それって共産主義じゃん」と嘆かれる。
実はこの2人のやりとりは、物語全体から少し外れたところにあって、他は人間関係が二重三重に絡まっているのだけれど、彼らだけは「真治に所有という概念を奪われた」というだけの繋がりで、「この街で50人以上同じような患者が出ている」というそのサンプルのようにも見えるし、サンプルに選ばれたからには何らかの理由がある筈で、それは彼らの「戦争」というものに対するスタンスというか位置取り、2人の間の友情なのかよく判らないその関係性に多分象徴されているのだけれど、やっぱりよく判らなかったのだった。
この「判らない」という感じは、イキウメのお芝居ではわりと親しみのあるところなのだけれど、今回はいつもの「判らない」と違う感じがしたのは何故なんだろう。
そもそも、どうして今この場で戦争が始まっているのか。
というか、戦争は始まっていたのか。それは「散歩する侵略者」のせいなのか。全く関係なく始まったのか。
天野少年が入院している彼女(に取り付いている彼ら宇宙人の仲間)に何とかして会おうとしているのに協力していたライターの彼は、天野少年が医師から「禁止」や「自他の区別」のようなものの概念を奪うところを目撃し、その後の医師の変化も目の当たりにすることで、天野少年が語っていた「宇宙人」や「地球侵略」が嘘でも冗談でもないことを理解する。
先輩の浩紀にそれを訴えるけれど、浩紀の方は、妻が同じような症状に見舞われていることとは別に「とりあえず宇宙人は横に置け」となだめる。
このライターの彼が顔を真っ赤にして興奮して浩紀を説得しようとしているところも、それをいなしているのか信じているのか混乱しているのか困惑しているのか判らない感じで受け止めている浩紀も、何だかよく判らなかったりもしている。
だめだ、判らないことばかりじゃないか。
「概念を失う」という設定は実はとても微妙で、「〜の家」とかいう場合の「〜の」という概念を奪われたアルバイターの彼の変化や、「禁止」という概念を奪われた筈なのに面会禁止を告げる医師を見て「条件反射でやっているだけだ」と評する天野少年の思考回路は、私にはピンと来なかった。というよりも、理解する前に話が進んでいたから、そのこと自体に引っかかって舞台に集中できなくなるということはなかったのだけれど、「私には判っていない」という確信だけは大きくなって行く、という感じである。
だから、「自分は帰る」「自分は真治が持っていたものを別の回路を使って表出させていただけで、自分は真治でもある」「自分が帰れば真治は死ぬ。それは金魚で実験した。」とにこやかに説明する真治に、鳴海が「自分から愛という概念を学習しろ」と言うシーンも、絶対にこの芝居のクライマックスなのに、やっぱり私には判っていない気がするのである。
真治が宇宙人に「乗っ取られた」縁日に、実は鳴海以外の女性と一緒に行っていたということをあっさりと真治に告白され、頭を抱えていた鳴海だけれど、変わってしまった真治と結構上手くやっていけるつもりだったに違いない。
その真治が帰ってしまうのか死んでしまうのか、とにかく自分の前からはいなくなると告げられた鳴海が、「愛という概念が自分から失われれば、真治がいなくなっても悲しまずに済む」と考えるその発想を突飛だと思う私がどこか歪んでいるのだろうか。いや、「愛」という概念が失われてもやっぱり悲しいんじゃないかとか、そもそも「愛」という概念をどこまでイメージするつもりだったのかとか、「真治への愛」という概念だけを奪ってもらうつもりだったのかとか、頭の中をぐるぐる回ってしまった。
そこへ持ってきて、「ガイドからは奪わない」というルールがあったり、明日美から「家族」という概念を奪って反省したといえばいいのか、鳴海の怒りと思いを理解したからなのか、しばらくためらっていた真治がついに鳴海から「愛」という概念を奪い、そして慟哭する。
だから、何故!
オチをつけろー!
心の中で叫んだけれど、「散歩する侵略者」が一人いなくなったからなのか、ここで幕となった。
鳴海から「愛」という概念(それがどんな「愛」だったのか、明かされることはない訳だけれど)を奪った真治は、多分、「散歩する侵略者」ではなくなった、と思う。
それは、最初から鳴海の思惑のうちだったんだろうか。それとも、鳴海が「愛という概念を奪え」と言ったのは、鳴海が口にした通りの理由からだけなんだろうか。
随分と開いた終わり方だけれど、その分、今後の展開が気になる終わり方でもあると思う。
「概念」を奪われた人たちに「概念」が戻ることはないのか、どうしてこの海際の街が選ばれたのか、そこで起きていたらしい「戦争」は何故起こったのか、宇宙人と関係はあるのか、「愛」の概念を知った宇宙人はやっぱり故郷に帰ろうとするのか、仲間割れをするんじゃないか、地球侵略は行われるのか、宇宙人に対抗してライターと警察官のコンビはどうこれから動いて行くのか。
何だか「答えが欲しい!」「説明して!」とだだをこねる子どもみたいだけれど、続編をぜひ見たいと思ったのだった。
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コメント
まさこ様、コメントありがとうございます。
そして、こちらこそ、マヌケな勘違いをしてすみません。コメントを書いたときにうっかり6月のカレンダーを見ておりまして、「うんうん、最後の土曜日に行ったんだから同じ日だわ」と勘違いしてしまいました(泣)。
やっぱりこのお芝居は考えさせるお芝居だったなーと思いますし、初演や再演の舞台を見ていたらどこが変わっていたのか判って、より「何故今このお芝居なのか」が判ったのかも知れないなとも思いました。
投稿: 姫林檎 | 2011.05.31 22:49
姫林檎さま
紛らわしい書き方をしてすみません~(汗)
)
わたしが行ったのは25日です(D列10番でした
同じ日だったらお隣でしたね!
戦争については、そんなに簡単なものじゃないだろうとぼんやり考えていました・・・
投稿: まさこ | 2011.05.31 10:29
まさこ様、コメントありがとうございます。
あら、横並びの席にいらっしゃったのですね。
D列って言葉の印象よりも舞台が近くてびっくりでしたよね。役者さんを近くで拝見できて至福でした。
本当に私は「判っていない」のですが、でも、だからといって決して面白くなかった訳ではなく、かなり前のめりになって見ていました。
「戦争をなくすためには世の中の人から何を奪ったらいのか」というお話は、ご指摘いただいて、「選択肢を最初から奪ってしまうというのはお子様扱いしているということになるんじゃないか。そういう選択肢も考え方もある、だけど選ばないという賢さを身につけたいし信じなくては」という風に思ったことを思い出しました。
間違いなく、「考えさせる」お芝居でしたね。
投稿: 姫林檎 | 2011.05.30 23:22
姫林檎さま、こんばんは。
わたしも25日に観てきました(同じD列でした)。
姫林檎さまが「判らない」と書いてらっしゃるところ、そう言われてみればわたしもよく判ってはいないんですが、観ている間は「そういうものなんだ、SFだし」とすんなり納得していました。
最初明日美におこったことは、割とすぐに想像がついたということもあるかもしれません。
「戦争をなくすためには世の中の人から何を奪ったらいのか」という話は尻切れトンボになったしまいましたね。
鳴海は新しい真治を愛するようになってきて、その真治に愛を知る人間になってもらいたかった、でもその為に自分が犠牲になる、というのが切なかったです。愛する人を失ってずっと悲しむよりはその概念を奪ってほしいというのも、何となくわかる気がしました。
投稿: まさこ | 2011.05.30 22:45