今日(2011年6月1日)、東京国立博物館で開催されている、特別展「写楽」に行ってきた。
2011年4月以来、今年になって3回目の美術館へのお出かけである。しつこいようだけれど、もう少し頻繁に出かけたいものだ。
この写楽展は、惹句として「役者は揃った。」とあるように、現在、存在が確認されている写楽の浮世絵のうち、4点を除く全てが集められたところがまず第一の特徴だろう。
もっとも、写楽の浮世絵は木版画なので、刷りましもかなり行われているらしく、微妙な修正の入ったその2枚を一つの絵と数えるか二つの絵と数えるか、絵師が描いた土台は帰られていないのだからやっぱり一つと数えるのか、その辺りを考え始めると訳が判らなくなってくる。
実際、展示には、扇に描かれた日の丸の中に「松」の字を入れたけどよく読めなかったので、次に刷るときには日の丸は色を載せないでおきました、というような「刷りの違い」を強調した展示も行われていた。
写楽展の構成は、出品目録によると「写楽以前の役者絵」「写楽を生み出した蔦屋銃三郎」「写楽の全貌」「写楽とライバルたち」「写楽の残影」に大きく分けられている。
実際には、歌舞伎の役者絵を中心に写楽と他の絵師(主には、歌川豊国と勝川春艶)が同じ役者が同じ役を演じている絵をどう描いていたかという比較の展示が先に、その後、刷りの違いや保存の違いを見せる展示があった。
そして、会場を変えて、写楽の浮世絵を時系列で追いかける展示が再び始まる、という構成だったと思う。
写楽の絵はやっぱり、デビュー作である役者大首絵28図が白眉である。
寛政6年5月に上演されていた歌舞伎に材をを取った絵たちだ。
大きめの画面に余りにも有名すぎる黒雲母刷りの背景、そこに大胆にデフォルメされた大きな顔と小さな手を持つ役者の似顔が描かれる。それまでの役者絵が「役」を描いていたのに対し、写楽は「役を演じている役者」を描いている。
そして、写楽の絵が決して「似顔絵」ではない証拠に、写楽の描いた役者絵はその多くが役者の顔が絵の中心には描かれていない。前のめりになっているか、目の前の空間が空いているか、そのどちらかなのだ。
そういうわけで、私の思う写楽の代表作は「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」だし、この絵のイメージが写楽の役者絵のイメージである。
そのイメージで見ると、意外と写楽の役者絵は地味なのだ。
元々、ナントカの改革の真っ最中辺りに始まった企画だから、線もシンプルに色数も抑えて「贅沢品じゃありません」と宣言しつつ作られたものらしいのだけれど、それにしても、私の頭の中にあった写楽の役者絵に比べて、実物の何と地味なことか。
恐らくは、実物が地味というよりも、私の中のイメージが膨らみすぎていたのだと思う。我ながら、思い込みとは恐ろしいものである。
黒雲母と「写楽の役者絵の贅沢の象徴」のように言われている背景も、角度を様々に変えて見なければ、単なる濃いグレーにしか見えない。
役者の顔は、何だか妙にのっぺりして見える。
暗い背景からガッと飛び出しそうな印象の絵がある一方で、闇ともいえない中途半端な暗がりに沈んでいるように見える絵もある、ような気がする。
そして、例えば、髪の毛の処理が絵によってかなり違っていて、毛先の一本一本の隙間まで背景をきちんと描き込むというか色を載せているものがあるかと思えば、大ざっぱに人物の輪郭を抜いて毛先の間は紙の色が見えて残っています、という感じの絵もある。この辺りは、絵師というよりは、彫り師や摺り師の技術や気合いの入れ方の違いなんだろうか。
女形の絵が思っていたよりも繊細だったことには驚いた。衣装なども、立ち役たちよりはずっと細かく描き込まれているような気がする。
そして、色目も華やかである。
言われてみれば、というくらいで、確かに他の絵師の絵よりは男っぽいようにも見えるけれど、言われなければ気がつかなかったような気がしなくもない。江戸の人たちはきっと今よりもずっと暗い中で役者を見ていたのだろうから、女形はかなり女の人に見えていたんじゃないだろうか。役者絵は意外と「実は芝居小屋では見えなかった役者の顔」を見せてくれる、という感じの位置づけだったのかも知れないなどと思う。
二期の作品は、寛政6年7・8月に上演されたお芝居を描いた作品群である。大首絵はきっぱりと姿を消し、全身像ばかりになっている。
背景が消されている辺りが、他の絵師の絵との違いだろうか。
とにかく、見るとまず「小さい!」と思う。絵のサイズ自体が小さいのだ。大首絵よりも小さいサイズの紙に全身が描かれているから、顔だけ比べたら1/30くらい?(適当だけれど)という感じのサイズだ。もう、サイズだけでとにかく迫力が1割くらいに減ってしまっている。
そして、多分、背景から雲母もなくなっている。紙の地色のままではなかろうか。
さらに、地味である。
寛政6年11月、閏11月に上演された芝居を描いた第三期になると、背景が描かれるようになり、これまた彫りや刷りの問題なのかも知れないのだけれど、手間に描かれている人物の方はやけにベッタリとした印象になっている。正確に言うと、面積の大きい衣装の部分がベッタリした感じになり、ますます顔の印象が薄くなっている。ように思える。
この辺りは、少し前に見たテレビ番組の影響で、「東洲斎写楽」ではなく「写楽」と落款の入ったものは、本物の写楽が描いたモノではないのではないか、という刷り込みが私の中にあったせいもあるのだけれど、何だか普通になってしまったようで面白くないのだ。
四期になるとさらにこの傾向に拍車がかかっているように思われる。背景が連続した続き物など見ていて楽しくはあるのだけれど、一度「面白くない」という刷り込みに捕らわれてしまうと「小手先な感じ」という感想から抜け出られなくなってしまった。
2時間近くここまでかかっているので、いささか疲れてきていたためということもある。
テレビ番組といえば、瞳の形で性別や年齢を表すという能面の技法を取り入れているという話が頭の隅に残っていたので、ときどきじーっと近づいて目とにらめっこしたのだけれど、結局、私には「四角い瞳に描かれた役者絵」を見つけることはできなかった。
大混雑だったけれど、少し前後させれば一番前でじっくりと絵を見ることもできたし、何だかんだで2時間近くもうろうろしてしまった。一周して、写楽のデビュー作を並べた部屋の椅子でぼんやり座って眺めていた時間が長かったかも知れない。
少し離れたところからぼーっと見ていると、やっぱり、こちらに押してくるような絵と、背景のように沈む絵がある感じがして、それも面白かった。
写楽展はミュージアムショップも充実していて、ついつい、色々と買い込んでしまった。
とても手が出せるお値段ではなかったのだけれど、役者大首絵を再現した複製も販売されていて、そこには「保存状態がいい」と展示されていたものよりもはるかにくっきりとした役者絵があった。
そういえば、保存状態がいい(浮世絵には植物性の絵の具が使われているので、非常に褪色が激しいのだそうだ)として展示されていたもののいくつかには、所蔵場所の説明がなかった。「個人蔵」とも書かれていなかったのだけれど、恐らくは、個人の方のコレクションなんだろう。写楽の絵が自宅にある(いや、自宅で保管しているかどうかは判らないのだけれど)というのは、どういう心持ちがするものなんだろうか。
写楽展に来ていない写楽の作品の写真が4点展示の最後にあって、ボストン美術館に秘蔵されているもの、今現在日本国内を回っているボストン美術館展で展示されているもの、戦前に撮られた写真でだけ存在が確認されているもの、あと一点は行方不明という説明だったろうか。
わずか10ヶ月の活動期間、浮世絵という性質とそして人気のあったことからたくさんの「本物」が残されている、そういう条件が揃っても「残る」のは難しいのだなという風にも思った。
話は戻って、写楽展のミュージアムショップは品揃えも豊富でなかなか楽しかった。
役者大首絵全ての「目鼻」を並べた模様が気に入って、手ぬぐいとクリアケースと迷った挙げ句、手ぬぐいを購入した。
人いきれもあってかなり疲れたのだけれど、でも、やっぱり、楽しかった。
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