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コクーン歌舞伎 第十二弾 「盟三五大切」
劇作・脚本 四世鶴屋南北
演出・美術 串田和美
出演 中村橋之助 / 尾上菊之助 / 中村勘太郎ほか
観劇日 2011年6月11日(土曜日)午後0時開演
劇場 シアターコクーン 平場席F列6番
上演時間 3時間10分(20分の休憩あり)
料金 13500円
コクーン歌舞伎のときは、ロビーのカフェのメニューが充実する。歌舞伎「らしさ」を強調する意味があるのだろう。このときだけは客席での飲食も可になる。
そして、グッズ売場も歌舞伎座からちょっとだけ出張して来るようでこちらも充実していた。うちわを見てかなり迷ったけれど、購入しなかった。やっぱり買えば良かったかなぁ。
平場席は初めてで、ネットで検索したところ「座布団1枚プラスアルファのスペースに、脱いだ靴も置かなくてはならない」という風に書いている方がいらしたので、とにかくバッグも小さく荷物も少なくした。これが正解だったと思う。
前半の1時間10分でお尻がもの凄く痛くなったので、後半は(反則かもしれないのだけれど)座布団を半分に折り、その上で体育座りをした。
ネタバレありの感想は以下に。
コクーン歌舞伎も第12弾というから長い。多分、私はこのうちの半分くらいを見ているのではないかと思う。
そして、初平場席である。
お尻が痛かったことはすでに書いたけれど、それでも平場席が人気なのは、役者さんがかなりしょっちゅう客席に出てきてくれて、特に上手側にいた私はたっぷりと橋之助をアップで堪能させてもらった。舞台が特別に近いとは思わなかったけれど、役者は近いと思った。
あとはコクーン歌舞伎といえば「水」だろうか。今回も休憩の間にビニルが配られていて「水が来るか」と思った。実際のところ、最前列の方は舞台の一番客席側を降る雨にかなり濡れたようだったけれど、それより後ろは通路の上からミスト状の水が出ただけだったので、私は特にビニルは使わなかった。
今回の公演には、体調を崩した勘三郎が出演しない。
それはかなり残念なことだったけれど、逆にドキっとするくらい、勘太郎が勘三郎に似ていたことに驚いた。意識してやっているのか、それとも生来のものが滲み出ているのか判らないのだけれど、まず声が似ているような気がする。
立ち姿が全く違っているので見間違えることはないのだけれど、それにしても声やしゃべり方(台詞回しというべきなのか)が余りにも似ていた。
逆に、立ち姿は橋之助と似ていて(単に背格好が似ているだけかも知れない)、歌舞伎の世界というのは血縁関係の世界なんだな、ということをまず最初に思ったのだった。
我ながら間抜けな感想だけれど、思ってしまったのだから仕方がない。
ちなみに、声と姿だけで動作について書かないのは、単に書きようがないからである。これまでの人生で多分15本くらいしか歌舞伎を見ていない私には、仕草が似ているかどうかまでは、全く判らなかったし、そういう感想も浮かばなかったのだ。
さらに失礼な感想なのかも知れないけれど、勘太郎って格好いい人だったんだな、ということも思った。どちらかというと無骨というのか愚直というのか、「ろくでなし啄木」のときの役柄がそのまま勘太郎のイメージだったのだけれど、あら、色男もバッチリじゃない、という風に思った。
そういえば、勘九郎の襲名も近かったのではなかったか。
話がどうもややこしいのだけれど、もの凄く端折ってかつネタバレすると、勘太郎演じる三五郎と菊之助演じる小万とは実は夫婦で、笹野高史演じる父親に勘当されている三五郎は、父親の主君が赤穂浪士として討ち入りに参加するために必要な100両の金を工面しようとしており、妻の小万を芸者に仕立てて言ってしまえば美人局で小金を稼いでいるらしい。
その小万にぞっこん惚れ込んでいる橋之助演じる浪人の源五兵衛が100両という大金を得たことを知った三五郎は、小万たちに大芝居を打たせて100両を騙し取る。
実は三五郎の父親の主君と源五兵衛とは同一人物で、叔父に都合してもらった100両を小万に与えてしまった源五兵衛は叔父にも見放されていよいよ義士として討ち入りに参加する可能性を失ってしまう。
というようなあらすじをサイト等で私は知っていたのだけれど、これは、「実は偽名を語っていたけれど同一人物だったのだ」ということを知っていて見るお芝居なんだろうか。それとも、当然にあらすじを知らなくても早い段階で気付かせようというお芝居なんだろうか。
私はかなりお芝居が進んでから「そういう関係だったのね!」と膝を打ったのだけれど、これは歌舞伎に慣れていない私が台詞の意味を聞き取れていなかったからなのか、それとも「おぉ! 実はそんな関係が!」と思わせようという構造だったからなのか、実は未だによく判らない。
判らないといえば、「五大力」と小万の腕に彫り込まれていたことがこの物語で重要な役目を担っているのだけれど、この「五大力」が何なのか、どこかに説明が欲しいよと思ってしまった。
確か隆慶一郎の小説だったと思うのだけれど、「五大力」というのは、大阪の遊女が手紙を出すときに封印代わりに用いた言葉だったなぁ、という記憶があったのだけれど、実際のところはそれで合っていたのだろうか。パンフレット(1800円)を購入すれば解説があったのかも知れない。
いずれにしても、三五郎は、源五兵衛から100両を巻き上げると、小万の腕の「五大力」に更に手を加えて「三五大切」とするというのも、かなり捻りの利いた話だったんじゃなかろうか。
菊之助はやっぱり綺麗なのだけれど、何だか私の記憶ではもっともっと綺麗だったような気がする。お化粧が違うからなのか、十二夜のときの方が綺麗だったような気がするのは、「お姫様」の装束だったからだろうか。
でも、何というか、パッと見た感じの華やかさは十二夜のときの方が印象に残っているのだけれど、毒酒の首尾を確認しに来た源五兵衛と1対1で対峙しなくてはならなくなり、「お前は殺さぬ」と言われて一瞬喜んだものの、結局、刀を握らされて我が子を刺させられ、その我が子の血を浴びた源五兵衛に殺され、首を刎ねられてしまう。
白く強烈な光に下から照らされ、余りのスプラッタに私は何度も目をつぶってしまったのだけれど、いわばなぶり殺しにされるその様子は気持ち悪いくらいに艶っぽかった。
それは、もちろん、橋之助も同じと言うよりもそれ以上で、自分の将来を全て潰した三五郎と小万の二人への復讐の鬼となったその色気は強烈だった。
最後、三五郎が100両を工面しそして塩谷家の絵図面を入手したことで父に勘当を解かれ、父は源五兵衛に三五郎を会わせようとする。
そして、源五兵衛が持ち帰った小万の首を見て、父が「これは息子の嫁だ」と腰を抜かしたことで、源五兵衛にも三五郎にも今回の一件の救われなさが判ることになる。
ずっと勘当されていた三五郎は父の主君の名前は知っていたけれど顔は知らず、源五兵衛は偽名だったのだ。父の主君のために、父の主君を騙し人を殺させる結果となった、そのことを知った三五郎が腹を切ってしまう。
実は、そもそも討ち入りに参加するために、自分のしくじりを償うよう叔父が用立ててくれた100両を、用立ててもらったその日のうちに小万に貢ぐようなことをした源五兵衛の自業自得って面が大きいんじゃないの、と私はずっと思っていたのだけれど、ここまで来てしまうと、そういったいわば邪念はどこかへ行ってしまう。
塩谷家の絵図面を手に入れるために、三五郎は小万の兄を殺してしまっているのだけれど、実はこの兄が源五兵衛が浪人となる理由となった泥棒であり、いわば源五兵衛の仇である人物を三五郎が殺してくれたということを源五兵衛が知ることはない。
何とも、救いがたい終わりなのである。
この後、源五兵衛が討ち入りに参加できたのか、参加したのか、それはこのお芝居の中では描かれていなかった、ような気がする。
でも、ことの次第を知った源五兵衛の耳に、大石内蔵助(歌舞伎の中では大星だった気がする)の声が響く。この声を勘三郎が演じていた、と思う。
そうか、勘三郎は今年のコクーン歌舞伎にも参加したのだな、とそちらに気を取られてしまい、大星が何を源五兵衛に語りかけていたのか、あるいは源五兵衛ではない誰かに語りかけている大星の言葉をが源五兵衛が聞いたのか、その辺りをきちんと聞き取れなかったのが我ながら悔やまれるところである。
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