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2011.06.27

「ベッジ・パードン」を見る

シス・カンパニー公演「ベッジ・パードン」
作・演出 三谷幸喜
出演 野村萬斎/深津絵里/大泉洋/浦井健治/浅野和之
観劇日 2011年6月26日(日曜日)午後1時開演
劇場 世田谷パブリックシアター 2階A列2番
料金 9000円
上演時間 3時間5分(15分の休憩あり)

 <このブログがご縁でチケットを譲っていただき、見ることができました。感謝!>

 ロビーでパンフレットが販売されていたけれど、値段や内容等はチェックしそびれてしまった。

 終演後、カーテンコールを呼ぶ拍手に対して、二度三度、「重ねてご案内いたします。本日の公演は・・・」とアナウンスが入ったのはちょっと楽しかった。

 シス・カンパニーの公式Webサイト内、「ベッジ・パードン」のページはこちら。

 舞台上には、ロンドンの街並み、というか、ある家の外観が舞台前面ギリギリに作られている。1階と2階は窓があるけれどもいわば「幕」で、カーテンを開けると家の中を覗き見ることができる。
 3階の屋根裏部分はずっとそこにあり、窓が開くと深津絵里演じるベッジ・パードン(という名前は、登場時点ではまだ付いていないのだけれど、とりあえず)が満面の笑みで大きく伸びをしている。ベッジ・パードンはこの家のお手伝いさんのようだ。家の誰かに呼ばれて、顔をしかめ、慌てて階下に向かう。

 家の壁(である幕)がするすると上がり、家の中の様子が見える。
 そこには、野村萬斎演じる夏目漱石と、浅野和之演じるこの家の大家(名前を忘れた・・・)が話している。漱石は引っ越して来たばかりのようだ。
 2人は、(そこはロンドンであるからして)英語でしゃべり出し、ずっと英語なら字幕出してよ!と思った頃に、「お客様の鑑賞の妨げになりますので・・・」というアナウンスが入って、2人は日本語でしゃべり出した。
 ははは。「野だめ」のドラマでも似たようなテロップが出たことがなかっただろうか。ちょっと可笑しかった。

 そういうわけで、舞台上は日本語でさくさくと会話が始まる。
 さくさくと、と書いたけれど、漱石はあまり英語が得意ではないらしい。大家に何か言われても、とりあえず「判らなかったらThank youと言っておけ」と思っていることが丸わかりである。
 そこへ、大泉洋演じる同じ下宿(なんだろう、多分)に暮らす日本人のソウタロウがやって来て、「これで日本語でしゃべれる!」と喜びかけた漱石に「英語が上達したければ、家の中でも日本語をしゃべってはダメだ」と言われる。そのソウタロウは英語がペラペラ、英語をしゃべれるようになって英文学を研究しようと来た漱石に対し、商事会社か何かで働いているらしい。
 そのソウタロウに「僕のように努力すれば、君は日本に帰れば英語教師にだってなれる」と言われ、「で、君は日本で何をしていたの?」と尋ねられて、「英語教師です」と憮然となのかよく判らない表情で答える漱石も可笑しいし、その答えに頭を抱え、ベッドに拳を打ち付けて「何てことだ!」と言いたげな様子のソウタロウも可笑しい。

 そこへ更に、しっかりものの奥さんミセス・ブラッドに呼ばれてこの家の大家が出て行くと、今度は浅野和之演じるそのミセス・ブラッドが階下からやってくる。
 って、夏目漱石の下宿の大家夫婦を両方とも浅野和之が演じるのか! それだけで可笑しい。テキトーそうなダンナと、厳格そうな奥さん、そういう組み合わせもいかにもありそうで可笑しいし、これだけでもうやられた! という感じである。
 もう、この辺で(というか、もっと前からかも知れないのだけれど)、喜劇決定である。

 喜劇決定なのだけれど、このお芝居もその2日前に見た「雨」と同様、「言葉」が重要な役割を果たしている。そこに、身分とか差別とかが加わってくる分だけ、「雨」よりもこちらの方がシビアなのかも知れない。
 ベッジ・パードンが漱石に向かって、「あなたは、私と話すときだけ滑らかに言葉が出ている。それは、あなたが私を」の後をちゃんと覚えていないのが情けないのだけれど、下に見ているからだだったか、上から見ているからだだったか、もっと別の言い方だったか。
 とにかく、漱石が知らずと持っていた「差別」意識のなせる業だということを、ベッジ・パードンは初対面で見抜き、率直に伝える。なるほど、本人が言うように「モノは知らないけれど馬鹿ではない」のだろう。

 また、ソウタロウが頑なに「いつでも英語をしゃべる」と言い張ったのは、もちろんその方が英語の上達が早いという表向きどおりの理由もあったのだろうけれど、日本語でしゃべると出身の秋田の言葉になってしまい、東京に引っ越してきた後でいじめられもしたというトラウマを避けるためであったことも判明する。
 英語でしゃべり、英語で生活すれば、少なくとも日本語の「方言」は関係なくなるのだ。

 その後も、漱石は、大家と話すときなどはいく分柔らかにしゃべるようになったのだけれど、ソウタロウが側にいると言葉が滑らかに出てこないという状況は続く。
 やっぱり浅野和之が演じるクリスマスイブにやってきた英語教師(グレッグ先生と呼ばれていたような気もする)と話しているうちに、漱石は、「自分は差別されているような気がする」と訴え、グレッグ先生は、「英国紳士は差別などはしない。ただし、興味は持っている」と答える。

 この辺りから展開の記憶がぐちゃぐちゃになっているのだけれど、浦井健治演じるベッジ・パードンの弟が現れてプレゼント交換をしようといきなり強引に言ったり、ハチャメチャなこの弟に「おまえが上手く英語をしゃべれなくなるのは、そばにソウタロウがいるときだ。そのことをソウタロウも知っている。ソウタロウには気をつけろ」とこれまた会ってそう時間がたたないうちに警告されたり、グレッグ先生の紹介で現れた牧師とどこかの貴婦人にあからさまに差別的な対応をされたり、そうして漱石は、「自分の神経は疲れている。ロンドンの人はみな同じ顔に見えるのだ」と告白して、しかし、笑いを取る。

 もの凄いシリアスかつシビアな告白なのだけれど、舞台上に現れた「ロンドンの人間」全員を浅野和之が演じ分けていることを知っている客席に取っては、これは笑いのツボ以外の何者でもない。
 あぁ、きっと三谷幸喜は、一人が何役も演じ分けているお芝居を観て「不自然だ」「結局、同じ顔じゃん」と思っていたのだろうな、と思うと余計に可笑しい。

 「差別されている」ことに疲れ果てた様子の漱石に、ベッジはお得意の夢物語を話して聞かせようとするけれど、漱石は「もうしゃべるな」と大きな声で遮る。
 これまで楽しんで聞いてくれていた筈の話を突然に遮られて、ベッジは凍り付く。
 そして、自分は何をしゃべっても「違う」と言われ続けて来たけれど、夢の話だけは「違う」とは言われない、だから夢の話しかできない自分に夢の話をするなとは言わないでくれ、と凍り付いた表情のままで話す。
 いわゆるコックニーをしゃべっていることを気にしている様子のなかったベッジ・パードンだけれど、やはり「しゃべる」ことにひっかかりがあったのだ。

 その後、漱石とベッジ・パードンは付き合うようになったらしい。ソウタロウは、それを漱石の英語から「H」の発音が落ちたという、コックニーの特徴が出てきたことから見破ったらしい。
 妻の鏡子に手紙を書くように言い、自分はたくさん書いているのに、妻からは子どもが産まれたかどうか知らせの手紙すら来ないと嘆く漱石に、ソウタロウは「ベッジと結婚してしまえばいいではないか」と唆す。
 ベッジの弟が「銀行強盗の達人」とやってきて、漱石に銀行強盗の見張りを頼もうとする。
 ドタバタ感とスピードが増して来て、最後の待っているのはもちろんその張り巡らされた全てを収斂させる展開だ。

 大家夫婦が飼っていたミスター・ジャックという犬が死んでしまう。漱石はそのお弔いを手伝ったようだ。その礼を言いに来た大家は、そのまま家を出て行ってしまう。ずっと昔から、ミスター・ジャックが死んでしまったら妻と別れて家を出て行くと決めていたという。
 ソウタロウからその話を聞いた漱石のところに、大家夫人が現れ、今日中に荷物をまとめるようにと言う。
 大事なことは判っていた筈だ、言わないのならずっと言わないでいるべきだ、何も叱らないというのは認めているということだ、と嘆くと言うよりも怒る夫人に対して、漱石は「言わなければ伝わらないのだ」と言う。
 そう言われて、ベッジに「よくがんばりました」とそれでも目は合わせずに言い、漱石に対して「これでいいのでしょう」と言った大家夫人はかなり切なかった。これをしなかったために夫に出て行かれた直後だということを考えると尚更である。

 漱石は、鏡子と離婚することを決意し、ベッジに日本についてきてくれるように言う。
 そこへ、ベッジの弟がやってきて、55ポンド払わなかったら自分は殺されてしまう、自分のために売られてくれと姉に言う。これまで、銀行強盗も「弟が大丈夫と言っているから」と漱石に付き合うように勧めたベッジだけれど、今度ばかりは「漱石と一緒になるから」と満面の笑みで弟の頼みを断る。
 しかし、ソウタロウの部屋の片付けを手伝いに行っていた弟が帰ってきて、何故かソウタロウの部屋にあった漱石宛の手紙を見つけたところから、話は一気に転がり落ちる。

 ソウタロウが漱石宛の鏡子からの手紙を全て隠して漱石に渡していなかったこと、それは、漱石が持っていて自分が持っていない「ユーモア感覚」に嫉妬したからであること、ベッジの弟が指摘していたように自分がそばにいると漱石が英語をしゃべれなくなることに気がついていたこと等々をソウタロウが告白し、そして、出て行ってしまう。
 鏡子からの手紙をむさぼるように読む漱石の様子を見て、ベッジはそーっと部屋を出、弟に「**さんに会いに行こう」と女衒をやっているらしい弟の知り合いのところに行こうと自ら言い出す。
 漱石以外の皆が出て行ってしまったロンドンの家で、漱石は浅野和之演じる故ミスター・ジャックと話して「本を書け」と言われる。「犬を主人公にしたらどうか」と言われ、「いや、猫の方がいいだろう」と言う漱石の頭にはすでに本の構想が練られ始めているようだ。

 大家は変われど下宿に住み続けていた漱石は、しかし神経を病んで引きこもりのような状態になっていたらしい。
 その噂を聞きつけてやってきたソウタロウは、漱石がその部屋にいることに気付かず、どうやらベッジが亡くなったようだということを問わず語りに語る。

 そして、このお芝居は最後はどうやって終わったのだったか。
 ベッジが漱石の前にやってきたこと。
 最後は登場人物全員がストップモーションで漱石の部屋に集まったこと。
 幕が下りた後、その窓辺に出演者全員が集まって最後の挨拶を送ったこと。
 それしか覚えていない自分がしみじみと情けない。

 漱石になる前の夏目漱石が、ロンドンでどんな生活を送っていたのか。
 こんな生活を送っていたと思うと、何だか「吾輩は猫である」も違う読み方ができるような気がするのだった。

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コメント

 あんみん様、コメントありがとうございます。

 パンフレット、購入されたのですね。私も買えば良かったかなぁ・・・。

 萬斎氏と三谷氏が事前に「お見合い」して、双方が押し黙っていたというのは、何となく想像できて可笑しいですね。
 媒酌人とかだったら、ものすごーくヒヤヒヤはらはらしそうですが(笑)。

 あんみんさんが前におっしゃっていた通り、三谷氏の個人的な思いもこのお芝居に反映されているのですね。それを、パンフレットで語ってしまうことが果たして望ましいことなのか、と考えるとちょっと複雑な気持ちもしますが。

 ウーマンリブの楽しんでいらしたようで、お芝居に集中できる席でご覧になれたようで、何よりです。
 お年を召した女性の隣で下ネタ満載のお芝居を観るというのは、なかなか緊張感に溢れているかも・・・。できれば同年代の女性の隣で見たいような気がします、確かに。

投稿: 姫林檎 | 2011.07.19 23:18

こんばんは。
パンフは全額震災の寄付で1000円、買いました。
それによると、萬斎さんは事前に三谷氏と"お見合い”をしたそうで、お互いシャイなので押し黙っていたそうで。
また浦井さんは今まで有ったことがないタイプだと。

自分の中でハートウォーミングな物語は封印していて、
笑いは有りながらシニカルな点に重点を置いてきたが、
震災が起こり『今僕がやらなければいけないこと』を考え
無意識に初期の創作イメージへ戻ったとありました...。

最後に『言葉にしなければ本当の気持ちは伝わらない、49年生きてきて学んだことも、この作品に反映されてます』とありました。

話は変わりますが、ウーマンリブも観ましたよ。
え~、特に感想は有りません。(笑)
宮崎あおいが誤って撃たれて、それでも稲庭うどんをすすりながら
死ぬという衝撃?のラスト。
下ネタ満載で、しょーもないギャグてんこ盛りでしたが楽しかったです。
ただ終わって扉へ向かう途中、杖を付いた70代らしき女性発見!
その方が衝撃でした。
もし私が近くの席だったら、下ネタ場面になるたびに
心の中で『スミマセン...』とつぶやきそうだし、
気になって、気が散ってしまいそう。

あれもこれも、いっぱい観たいものが有りますね!

投稿: あんみん | 2011.07.19 21:51

 あんみん様、コメントありがとうございます。

 三谷ワールド、楽しんでいらしたのですね!
 お書きいただいたコメントからだけでも、とても貪欲に楽しんでいらした様子が伝わって来ました。

 おっしゃるとおり、5人くらいのキャストが一番「詰まった」感じがしますね。それはもちろん、5人どころか1人や2人だけで舞台に立っていても空間を「埋める」だけの力のある役者さんたちが出演されているからこそ、とも思います。

 浦井さんは、私は「薔薇とサムライ」で拝見したのが一番最近だと思うのですが、あの王子様と同一人物っぽくはなかったかも(笑)。でも、役作りで太られたのかも知れませんし、全く違う人物になれてしまうというのも凄いことのような気もします。

 2011年も後半、ますますたくさんのお芝居を楽しみましょう!

投稿: 姫林檎 | 2011.07.17 21:23

こんにちは、あんみんです。
昨日マチネで観てきましたよ!
≫続きを読む をやっとクリックできました。

可笑しくて(爆笑)切なくて、ちょっと裏が有る...。
そんな感想です。
外壁がスルスル上がっていくところも、ワクワクしました。
まさに幕が開く!

確かに浅野さんは何人分のギャラを貰えば見合うのか、
というくらいの活躍でしたね。
私は故Mr.ジャックがよかったです。
私の前の男の人の頭で寝そべったMr.ジャックが見えなくて残念。
『野グソしてくる』は笑えました。
他の何役の中では一番味が有ったような気がします。

弾丸ロスの顔は出っ歯は差し歯にしても、上半分は特殊メイクが
入っていたのかなとも思います。
2幕の管理人と婦人の会話を、階段で体を反転させながら言うところもアイデアだなと。
女王の役は要らなかったかも...。
「イギリス人がみんな同じ顔に見える」に繋がるところが一番笑えましたね、大爆笑!

浦井さんは最初出てきた時、思わず『誰!?』。
5人しか出演してないから彼に決まっているのに。
ちょっと太りましたよね。
なんだかドタバタして彼だけが浮いていたような気もするし、
ハイテンション過ぎて少し無理を感じてしまいました。
もう少し歌わせてもらったらグッとファンが増えるのに。
千秋楽の頃にはしっくりくるかも。

萬斎さんはコメディに少し照れがあるかなぁとも。
日本語になった時のしゃべり方はさすがです。
立ち姿が美しく、漱石役にはピッタリな感じ。

大泉洋はみんなの期待している大泉洋のままな感じ。
『センスオブユーモア』の嫉妬なんて本当の本人が言いそうで。
裏の顔を告白してるところが良かった。

深津さんは哀しい感が出てて可愛らしかった。
喉は大丈夫かなと心配も。
Hを抜くところなんか、言いにくいセリフで気の毒。

三谷ワールド!
最初のアナウンスや、カーン!とゴングが鳴って言語チェンジとか
ソウタロウの東北弁、階段の使い方等々。
練りに練った感が有りますね。
姫林檎さんの席からは見えなかったでしょうが
私の席(H下手)からは、浦井さんの靴下の裏にも2個穴が開いてるのが見えました。

最後は思い過ごしかもしれないけど、三谷氏の心情を推測してしまい、
『言葉に出さないと想いは伝わらない』が元夫人への自分の反省点として、暗にこのお芝居に込めたのではないかと。
それと差別される場面がちょっと説得力がなかったような。

まだ観終わったばかりでこんな感想です。
5人くらいのキャストが一番いいなとも思いました。
観てよかった!
次回も三谷氏の才能に期待。

投稿: あんみん | 2011.07.17 13:49

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