「水平線の歩き方」を見る
演劇集団キャラメルボックス 2011ハーフタイムシアター「水平線の歩き方」
脚本・演出 成井豊
出演 岡田達也/岡田さつき/前田綾/左東広之
小多田直樹/井上麻美子/鍛冶本大樹/原田樹里
観劇日 2011年6月17日(金曜日)午後7時開演
劇場 サンシャイン劇場 1階10列21番
料金 4000円
上演時間 1時間5分
久しぶりに出かけたキャラメルボックスの舞台である。
ロビーでは、修学旅行生らしい制服姿の高校生(中学生ではないような気がする)を多く見かけた。
そして、ロビーの賑やかさは相変わらずで、たくさんのグッズが販売されていた。役者のコメントが載ったチラシ(フライヤー、が正しいのか?)が以前は全員に配布されていたのだけれど、今回はフォトブックと銘打って1冊1200円で販売されていたのが少し寂しい。
開演5分前くらいに、ロビーで「6時56分から場内でちょっと面白いことが行われます。早めに席にお着きください」と叫んでいて、あら上手いと思いつつ席に着いたら、劇団員による注意事項のアナウンスが行われた。
「面白いこと」ではないような気もするのだけれど、どうなんだろう。
そして、客席を明るくした上で、あのしつこいまでの「携帯電話の電源を切りましたか」「今一度確認をお願いします」「どうもありがとうございます」の波状攻撃は、上演中に携帯電話の着信音をならさないという命題に対しては非常に有効な方法だとは思うのだけれど、電源を切るべき携帯電話を持っていない身からすると非常にいたたまれない。
ネタバレありの感想は以下に。
ハーフタイムシアターと銘打って、上演時間1時間のお芝居を2本交互に上演するという、キャラメルボックス独特のシリーズである。
SFものが多いのは、1時間という尺に収めやすいからだろう。その機微は何となく判るような気がする。
「水平線の歩き方」は再演で、確か初演のときも、岡田達也と岡田さつきが母子役を演じていたと思う。この2人と、岡田達也演じる幸一の主治医兼恋人の阿部を演じた前田綾以外の出演者はほとんど判らなくて、随分長い間キャラメルボックスのお芝居を観ていなかったのだなということと、キャラメルボックスは上手く世代交代(ではないか。引き継ぎ?)が行われているのだなということを感じた。
35才の社会人ラグビーの選手である幸一が酔っ払って部屋に帰ると、そこにはもの凄く見覚えはあるけれどいるはずのない人物がいた。岡田さつき演じる23年前に亡くなった母親である。
なかなか「23年前に亡くなった母親の幽霊がそこにいる」ということに慣れなかった幸一だけれど、母子2人で暮らしていた12才の幸一が、母が亡くなった後、どうやって生きてきたかを「幽霊」の母に語る。
セットはずっと幸一の一人暮らしの部屋だけれど、その周りの空間で、幸一を引き取ってくれた母の弟夫婦、その息子、社会人ラグビーチームに入ったときのチームメイトとその彼女、膝を怪我したときの主治医で後に恋人となる女性らとのやりとりが展開される。
実年齢は、35才の幸一に対して、母は亡くなったときの34才のままだ。
看護師だった母は、幸一にとっては「片時もじっとしていない働きづめに働いていた」母らしいのだけれど、今目の前にいる母は、割と自堕落な感じである。ポテトチップにチーカマとジャンクフードを次々と食べ、23年ぶりに会う息子の部屋ですっかり寛いでいる。
やけに思い詰めた様子の息子に比べて、いっそ見事なお気楽ぶりだ。
そうして息子に人生を語らせていた母親は、膝の手術をきっかけに禁酒した筈の息子の台所に林立する酒の空き瓶を示し、今日の行動を振り返らせ、痛めた膝が治っていないのに無理して試合に出たために致命的な怪我を負い、ラグビーを続けられなくなり、どころかステッキを手放せなくなって自暴自棄になった自分が、車の運転を誤って事故に遭ったことを思い出させる。
幸一が23年前に亡くなった筈の母に会い、しゃべることができたのは、幸一が死にかけていたからだったのだ。
自分は一人きりで生きてきた、自分一人で立てないなら生きていたくない、だから今死にかけている自分の身体に戻るのは嫌だと泣き叫ぶ35才の男というのもどうなんだろうという気がしなくもないけれど、芝居を見ているときはあまり違和感も感じないのが我ながら謎である。
それでも、「一人きりで生きてきた」と誤解している35才の男というのはどうなんだろうとは、やっぱり上演中も思っていたような気がする。
それも、死にかけていて、母子2人の暮らしから突然いなくなってしまった母と2人きりであるという設定だからこそ、23年前の12才の少年が甘えているんだと思えれば許せるのかも知れない。
さて、「水平線の歩き方」というタイトルだけれど、幸一がおじさん夫婦に引き取られた後、一人で海を見ていたときに、理科の教師であるおじさんから「水平線までの距離の出し方が判るか?」と言われ、水平線まで僅かに4.4kmしかない、だから、水平線の先にあるという死者の島は思っているよりもずっと近い、母親はずっと側にいると言われたという想い出と、ラグビーのゴールにボールを蹴り込むとき幸一はいつも「あのゴールは見えているよりもずっと近い」と信じていたというエピソードと、その両方に引っかけたものである、と思う。
そして、どうも記憶が定かでないところが情けないのだけれど、幸一が自分の身体に戻ると決めたからだったか、「一人ではない」と納得したからだったか、母親は普通にドアから出て行き、水平線の方に去って行く。
1時間でここまで見せられる。
そういうお芝居だったと思う。
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