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NYLON100℃ 36th SESSION「黒い十人の女~version100℃~」
オリジナル脚本 和田夏十(映画『黒い十人の女』市川崑監督)
上演台本・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演 峯村リエ/松永玲子/村岡希美/新谷真弓
植木夏十/安澤千草/皆戸麻衣/廣川三憲
藤田秀世/吉増裕士/眼鏡太郎/みのすけ
中越典子/小林高鹿/奥村佳恵/緒川たまき他
観劇日 2011年6月3日(金曜日)午後6時開演
劇場 青山円形劇場 Eブロック20番
上演時間 3時間10分(10分の休憩あり)
料金 6900円
ロビーでパンフレット等を販売していたけれど、開演の割とぎりぎりの時間に劇場に到着したのでチェックしそびれてしまった。
ネタバレありの感想は以下に。
映画の「黒い十人の女」は見たことがない。wikiで検索したら、2002年にテレビドラマになったのようなのだけれど、こちらも見た記憶がない。
それでも、wikiの配役を見て驚いたことには、映画版では主人公のテレビプロデューサー風の妻は双葉という女なのだけれど、舞台では彼の妻は市子という女に変えられている。ただ、風の妻はレストラン経営者で、愛人その1の女は女優であるという属性は変えられていない。
何故こうした変更を施したのかは謎である。理由はなく、単なる気まぐれだったりしたら楽しいと思う。
みのすけ演じるテレビプロデューサーの風は、何やらいい加減そうな男である。
色男ではないようだし、別にプロデューサーという地位を利用して女性たちに声をかけている訳でもなさそうだ。いみじくも、峯村リエ演じる妻が評したように、言い古された言い方ではあるけれど「誰にでも優しいということは誰にも優しくないということだ」という辺りが、彼の武器なんだろう。
ついでに、誰にでも優しいし、思い詰めたりもしないし、相手が真剣に話してもそこで一緒に深刻になったりもしない。掴みどころがないと言えば掴みどころがないし、コイツがモテているのは、簡単に単純にアッサリと「手を出す」からなんじゃないかという感じがする。
見ていてずっと思っていたのだけれど、この10人の女の中心にいるこの風という男がどういう男なのかということで、随分とこのお芝居は雰囲気が変わるのではないだろうか。
ものすごーい色男にしてみたり、頼りなげな男にしてみたり、イヤ〜な感じの男にしてみたり。
この風という男だけを色々な感じにしても、ついうっかり、このお芝居は成立するんじゃないかという感じがした。「女たちが離れられない」というところと、「自分は自分の関係した女たちに殺されるかもしれないと思ってみたりする」というところと、この2つの属性さえクリアしていれば、その他はどんなタイプだろうと違和感なくストーリーは流れるんじゃないだろうか。
まあ、それを試してみることにどんな意味があるのかと言われると困るところではある。
プロデューサーの風は、主にテレビ局の中で次々と女性に声をかけ、てきとーそうに見えて仕事はかなりこなしているように見える。
妻の市子は「風のことを気にしなければいいんだ」とやけに達観しているけれど、彼女の友人である松永玲子演じる女優の双葉との関係も長いようだし、村岡希美演じるテレビドラマの台本印刷を引き受けている印刷屋社長の三輪子は真剣に風との結婚を考えて市子の店に行って「離婚してください」と頭を下げている。
この三輪子に対応した市子がまた見事で、10人の女の中で誰を演じたいかと言われれば(そんなことは誰も言わないけれど)絶対に市子だよなと思う。もっとも、それは「演じてみたい」のであって、彼女の立場に立ちたいということでは絶対にない。
双葉の家に風が来たとき、そこには中越典子演じる歌手の四星マリと、皆戸麻衣風の部下であるアシスタントディレクターの有吉八重と、あと一人誰がいたのだったか。とにかくこの10人の女たちは、それぞれ残りの9人のうち少なくとも何人かの存在は気がついていて、友人同士である市子と双葉のように何故かそれなりの交流もあるらしい。
恐ろしい話である。
緒川たまき演じるマリの幼なじみであるらしいエレベーターガールの友部五十鈴は、マリとそれぞれに子どもの頃の想い出を風に語っているようだし、安澤千草演じるマリの歌唱指導の先生である新城七美とマリは風を巡って痴話喧嘩寸前である。
植木夏十演じる社員食堂のウエイトレス九重正子や、菊地明明演じるテレビ局の事務員岡部十糸子と五十鈴は友達のようだ。そう考えると、新谷真弓演じる生コマーシャル専門の朝霧六香は、他の9人の女との関わりが一番薄い女なのかも知れない。
ところで、この六香の髪型が象徴的だと思うのだけれど、この話の舞台は昭和の時代、テレビ草創期である。大体、生放送専門コマーシャルガールという職業が成立するのは、VTRが珍しい時代だからこそだろう。
さて、翻案しなかったのは何故だろうと、それも気にならなくもない。
しかし、よくもまあ、これだけタイプの違う女たちと次々に付き合ったものである。
風という男から、そういう欲のようなものが全く窺えないところが不気味といえば不気味だけれど、実際見ていると、名前そのまま「風のような」感じの男にも見える。
このお芝居での風は、「捉えどころのない男」という評が一番似合うような気がする。
女たちは、それぞれに「どうして風という男に捕らわれてしまうんだろう」と思っていて、戯れ言半分「死んでしまえば私は自由になれるのに」みたいに言ってみたり、市子と双葉など「風の殺害計画」を結構真剣に議論したりしている。
ありそうな話だよね、と思ってしまうところがポイントだ。
そこでしびれを切らしたのは双葉で、彼女が音頭を取って、女達を全員市子のレストランに集め、どうにかして風を全員で殺してしまおうとする。少なくとも、そういう計画を立てる。いや、もしかすると、単純に10人の女が集まって風に詰め寄ろうという企画だったのかもしれないのだけれど、それはもはやどうでもいいことである。
2時間近く経過したこの辺り(正確に覚えていない・・・)で10分間の休憩が入った。
三輪子から「私と結婚してくれないと、あなたは殺されちゃう」と思い込みなのか確信犯なのか、とにかくそう言われた風は、割と本気にしたらしい。「僕は殺されなくちゃならないような男か」という述懐は図々しいようにも思うし、そこに反省の影はカケラもないわけだけれど、臆病風に吹かれたことは確かである。
そして、こんなときに頼るのは、普段は寄りつかない妻のところだというのも、やっぱり図々しいと思うけれど、市子にしてみれば嬉しいことなのかも知れない。
そうして2人で相談した結果、9人の女たちの前で市子が風を殺すお芝居をして騙し、風は女たちとスッパリ手を切ろうということになる。
さて、10人の女たちがレストランに集まるその日、三輪子と五十鈴は気が乗らなさそうである。
風と市子は、「お芝居」の段取り確認に余念がない。風は「空砲だと不発のことがある。だから実弾を使おう。柱に向けて撃ってくれればあとは僕が何とかする」と言うし、市子は「あなたの血よ」と言って完熟トマトを風に手渡す。
そして、10人の女達の対応で忙しく立ち働く市子がいなくなったとき、風は「やっぱり実弾は怖い」と言って、ピストルの弾を空砲に入れ替える。そのことを市子に告げようとするのだけれど、その機会はない。
10人の女たちは、表向き、風をつるし上げてやろうと集まったのだけれど、口火を切ろうとする女はいない。
そこに、市子が突然にピストルを取り出し、9人の女が呆気にとられている間に風を撃ち殺し、「この始末は自分がつける」と言い切って、9人の女を家から追い出す。
風は死んでしまったのか。
風自身が空砲に入れ替えたところは見ているのだけれど、空砲に入れ替えられたピストルをじっと暗い瞳で見つめる市子を見ているので、こちらも「本当に殺しちゃったのかも」という気にさせられる。
もちろん、風は生きている。
「もう帰った〜?」などと呑気な声を出している。そして「空砲に入れ替えたって知ってた?」と市子に聞く。市子は「空砲に入れ替えようと見たら、空砲が入っていた」と言って号泣する。「自分がこんなにまだあなたを愛していたなんて」と泣き叫ぶ。
風はそんな市子を見て困惑していたけれど、私は北村薫の小説に出てくる話を思い出した。妻が浮気をして自分を殺そうとしているのではないかと疑っている男が、妻とその浮気相手と3人で狩りに出かけることにする。そうして狩りに出かけ、猛獣と向かい合った男は、自分のライフルを撃った瞬間、妻の気持ちを悟る。この後に続く一行は? という話である。この話の場合は、「弾は抜かれていた」と続くのだけれど、多分、この妻と市子は最も遠い場所にいたんだろうなという感じがしたのだった。
この後の展開は、私としてはスッキリしない。
9人の女たちは、風が死んだ(と思い込んだ)直後はドーンと沈んでいたようだけれど、1ヶ月もたつとあっさりにこやかに「風さん、死んでくれて良かったわね」などと言い合っている。
しかし、三輪子が自殺したという1ヶ月前の新聞記事に気付き、風が上司に病気欠勤届を提出していることを知り、彼女たちは皆して市子のレストランに駆けつける。
すると、市子は、「風はすっかりダメになってしまった」というようなことを言って、ぽやーんとした状態になってしまった(私としては、それまでと余り変わったようには見えないのだけれど)風を見ることになる。
すったもんだの末、9人の女たちは、風をペットのように「飼う」ことに決めたらしい。
風を閉じ込めた別荘の鍵を拾った、奥村佳恵演じる若手女優は、どうも「男版・風」のような女らしい。一度は閉じ込められた風を開放してやろうかと思ったみたいなのだけれど、「あの人達に責められたら怖い」とあっさり悪魔のように笑って言い放つと、去って行ってしまう。
この場には幽霊になった三輪子もいるのだけれど、この百瀬桃子という女が「十人目にして最も恐ろし女」なのかも知れないと思う。
それまで、あくまで柳に風の風情だった風が、ここに来て初めて、檻の中で号泣し、そして、突然「あの女達をみんな妊娠させてやろう。そうして産まれてくるのは俺みたいな男だ。彼女たちは一生俺に捕らわれ、俺のような息子に捕らわれて生きて行くんだ」と哄笑する。
その、突然笑い始めた檻の中の風を三輪子を含めた10人の女達が遠巻きにしたところで幕である。
見ているときは、とにかく先が気になって、前のめりになって見入ってしまった。
場面転換に使われる映像や、ニュース放送の体裁を持った「その後の展開」の説明が入ったり、風が妻に浮気のきっかけを語ったりするときに使われる映像が、やっぱりケラっぽくて、そしてお芝居にスパッとはまっている。文句なしに格好いい。
また、場面転換に出てくる役者さんたちの動きの細かなところまで演出というか振付がされている感じで、それは、「黒い十人の女」の登場人物達のマネキンを現代の男達がどこからか運んできて据え付けるという舞台の始まりや、喪服に身を包んだ10人の女がこのときだけは風を弄ぶというダンスといえばいいのか振付などと同じくらいに格好いい。
つまらない言葉かも知れないけれど、「洗練された」という感じが凄くする。
そうした「現代っぽい」「洗練された」雰囲気を随所に織り込みながら、昭和の時代の、よーく考えるとかなりグロテスクな話が展開する。
「やられた!」という感じがした。
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