「僕の時間の深呼吸 21世紀の彼方の時間にいる君へ」を見る
「僕の時間の深呼吸 21世紀の彼方の時間にいる君へ」
台本・演出 高泉淳子
美術・衣装 宇野亞喜良
出演 高泉淳子/新谷真弓/小山萌子/山本光洋
湯澤幸一郎/遠藤守哉/あさひ7オユキ
観劇日 2011年7月16日(土曜日)午後1時30分開演
劇場 青山円形劇場 Bブロック26番
料金 5500円
上演時間 2時間15分
この時期の青山円形劇場(というか、こどもの城)は小さい子とお父さんお母さんでいっぱいで、ロビーで何が販売されていたかはチェックしそびれてしまった。
出演予定だった大森博史が体調不良のために休演し、当初発表されていなかった遠藤守哉がキャストとして加わっていた。
ネタバレありの感想は以下に。
見終わってロビーに出たところでシーンと役者さんの紹介が書かれたチラシを発見した。
そこに高泉淳子が「Alice in Wonderlandのオリジナル版を創りたいと思っていました。」「山田のぼるに大きな時計を持たせて、先の時間を巡る・・・」と書いているのを見て、やっと高泉淳子演じる山田のぼる少年がシーンのほとんどを大きな時計とともにあった理由が判ったという体たらくでした。
それが判らずに見ている間は、「これはきっと古典というか、パターンというか、スタイルがあるに違いない。それは当然の前提として共有されているのに違いない」と思っていたのだけれど、そちらの勘はほぼ当たっていたと言えると思う。
最初のシーンで月がぽっかりと壁に浮かび、のぼる少年の部屋とおぼしき場所にスポットライトを浴びた宇宙服を着ている人形がいたのは、多分、「21世紀の彼方」だからだろう。
割と古めの21世紀のイメージじゃなかろうか。
それとも、20世紀の象徴として出てきていたんだろうか。
難しい算数の問題が当たってしまっていたその日、ズル休みをした山田のぼる少年は、母親から「残業で帰れないから冷凍のグラタンを温めて食べておいて」と言われ、友人のナントカ君(名前を呼んでいたけれど忘れてしまった)からお見舞いの電話を受けて今日の夕ごはんはオムライスだと告げられ、父親から大事な仕事が入って週末の映画の約束は果たせなくなったと言われる。
これが全部「電話」で告げられ、舞台にはあくまでも山田のぼる少年しかいないというのが、彼の孤独を際立たせる。それは「辛いことなんかない」「世の中には僕よりももっとずっと辛い人がいる」という台詞にも表れる。
これが電話よりもメールだったらさらに孤独は際立つのだろうけれど、それは、のぼる少年には過酷すぎるというものだろう。
でも、21世紀は間違いなくその方向に進んでいる。姿を失くし、声を失くす。そのことが逆に際立っているように思う。
そうして一人の長い夜が確定したのぼる少年は、多分、夢の中に彷徨い出る。
そこには、コックたちが大勢表れて大きなオムライスを作り、のぼる少年に供されるのだけれど、なかなか彼の口には入らない。どころか、結局、一口も味わわないうちに、オムライスは下げられてしまう。
のぼる少年は次は家の外に飛び出す。吸い寄せられるように時計屋にやってきたのぼる少年は、時計屋の主人から「これは君から修理を頼まれた時計だ」とやたらと大きな懐中時計を渡される。「僕のじゃない」と固辞していた少年も結局は時計を受け取り、その時計を斜めがけバックのようにぶら下げて歩き始める。
この次が、割とリアルな場面だったのが、私が「不思議の国のアリス」に飛べなかった理由だと思う。
新谷真弓演じる「タニガワさん」という同級生が現れ、そういえばのぼる少年が何歳なのかはよく判らないのだけれど(「算数」と言っていたし、山田のぼると言えばランドセルだから、きっと小学生なのは間違いないだろう)、「先生に面倒を見るように言われた」と言いつつ、愛の告白なんかも受けてしまう。
モジモジした女男(山田のぼる少年)とサバサバした男女(タニガワさん)とどっちがいいと思う?!と言い放つ彼女がなかなか格好いい。
そして、ここはやけにリアルである。これも、山田のぼる少年が見た「夢」だったんだろうか。だとすると相当にシビアな自己評価に基づく夢なんじゃなかろうか。
その後も山田のぼる少年は、先生から「脳みそのからくり」について1対1の授業を受けたり(他の児童はどこへ行ったのだ)、やけにエキセントリックなお医者さん(しかも、山田のぼる少年を取り上げた産科医らしい)から「ダメだ」宣言を受けて殺されかけ、憧れのお姉さんが司書を務める図書館でメルヴィルの「白鯨」と「短編集」を借りて「読み終わるまで返さなくていい」と言ってもらったものの、お姉さんは恋人らしき男とどこかへ行ってしまう。映画館で「オズの魔法使い」を見ていると、あれだけ強気だったタニガワさんがやけにしおらしくお父さんらしき人と映画を見に来ているところに出会い(もっとも、山田のぼる少年がそのことに気がついている様子はない)、「こんなにストレスがたまって大人のようにお酒で発散させることもできない!」と叫んでいるといつの間にか子どもOKのカウンターバーにいる、パレードを見に来た遊園地では「もうパレードは終わったよ」「また来たの?」という会話を繰り返す、という具合だ。
「夢」にしてはシビアでシリアスでリアル過ぎるのだ。
それが、21世紀だとすると、余りにも余りにもマイナスイメージが強すぎはしないだろうか。
何というか、救いがない感じなのだ。
そんな中で、唯一、甘い感じがしたのは「彼方の彼方の時間は、いつかのいつかだ」という山田のぼる少年の台詞である。
でも、見ているときは「いい台詞だな」とぼんやり思っていただけだったのだけれど、こうした展開とともに思い返すと、それは山田のぼる少年の諦観のようにも思えてくる。
そして、最後は、山田のぼる少年の未来の姿と思われる、デパートに勤めていた男の退職挨拶のシーンである。
ここだけは、山田のぼる少年は少年ではなく、定年退職するに相応しい見かけになっている。
そこで語られる人生は穏やかだ。ずっと生活雑貨を扱う部署にいたこと、最後に部長にという言葉を断って希望のおもちゃの部署で3年を過ごしたこと、プラモデルを主に扱っていたこと、趣味もなく退職金の使い道に困っていたけれど船と海を買ったのでそこでコーヒーを出す店をやろうと思っていることが語られる。
最後の最後、「希望」と「未来」が語られたような感じがした。
ラストシーンは、その「カフェ」らしき場所で、人々がそれぞれにコーヒーを楽しみ、海を眺めている。
そこに流れる時間は平和で穏やかだ。
21世紀の彼方の時間はどんな時間なのか。
これは、21世紀の彼方にいる穏やかな人生を送った男が、あやふやで危なっかしい少年時代を夢見ていたのか。
それとも、21世紀にいる山田のぼる少年は、その不安や恐れを夢に預けて、現実世界では穏やかに暮らして行けるのか。
何だか暗い「夢」ばかりだったようで、何とか明るい未来につながるような解釈を探してしまうのだった。
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