映画「ブラック・スワン」を見る
「ブラック・スワン」
監督 ダーレン・アロノフスキー
原案 アンドレス・ハインツ
脚本 マーク・ヘイマン/アンドレス・ハインツ/ジョン・J・マクローリン
出演 ナタリー・ポートマン/ヴァンサン・カッセル
ミラ・キュニス 外
配給 20世紀フォックス
「ブラック・スワン」公式Webサイト
ネタバレありの感想は以下に。
新宿ピカデリーの近くに何軒か近くにチケットショップがあったので、端から覗いて行ったのだけれど、「ブラック・スワン」はどこでも売り切れだった。入荷が少なかったのか、買いたい人が多かったのか、どちらだろう。
「ブラック・スワン」は、バレエ「白鳥の湖」で白鳥と黒鳥の両方を踊ることになったバレリーナが黒鳥を上手く踊ることができず、新人バレリーナが黒鳥を見事に踊る様子を見てどんどん追い詰められていくというストーリーらしい、というくらいの予備知識で見に行った。
見終わった感想としては・・・。
コワイ。コワすぎる。
何というか、細かくリアルなスプラッタが怖い。
爪を切っているだけのシーンがあんなに怖いなんて、という感じだ。
私は元々がスプラッタが苦手なのだけれど、スプラッタが細かい分、現実に自分の身に起きそうな気がしてしまい、かつ、その細かくリアルなスプラッタが、ナタリー・ポートマン演じる主人公ニナの妄想であったり現実であったりするので、いつそういうシーンに化けるのか見ていて油断できないところが緊張を呼ぶ。
始まってすぐくらいから、血が出るシーンに備えていつでも目をふさげるよう、手をスタンバイさせておくようになってしまった。両脇に人がいなくて、一人で見に来ていたら、多分、途中で逃げ出していたと思う。
そして、この映画の怖さはスプラッタだけにあるのではなく、「主人公が精神的に追い詰められる」という部分にもある。
主人公ニナのお母さんがまた怖い。
物語の最初の方、ニナがなかなか大きな役を掴めず、二人三脚で励ましあってプリマを目指していると思い込めている辺りまでは良かったのだけれど、それにしても、二ナが自分の体を引っかいてしまうという癖(で片付けていいものか迷うけれど)はこの母親の過干渉と自分の夢と子供の人生を重ねることを信じて疑わない姿勢が招いたことだし、その亀裂は、ニナが「白鳥の湖」で主役を射止めた辺りからさらに広がって行く。
共生の親子がそんなにいつまでも上手く行く筈がないのだ。
そして、もう一つ、象徴的に怖かったシーンを挙げるとすると、ステージに出る前、ニナが小さめの箱に入ったヤニ(だと思う)を滑り止めのため(だと思う)に踏みつけるシーンである。小さく固いものを、トゥーシューズのつま先でバリバリと踏みつける。
それだけのシーンだったのに、背筋が強ばってしまった。
ニナが主に求められたのが「黒鳥の官能的な踊り」だったからか、「なるほどR15指定なわけだ」というシーンが結構畳みかけるように続いたと思うのだけれど、そんな艶っぽさは、この映画のコワサの前にはもう霞んでしまうどころか、存在すら遠いところにある気がする。
途中からは、この映画はどうやって終わるんだろうと思っていたのだけれど、ニナが様々に追い詰められつつも黒鳥の踊りをものにし、それでも役を取られるのではないかという不安から、ミラ・キュニス演じるリリーを殺してしまう。
殺してしまった筈のリリーが黒鳥を踊り終えたニナの楽屋にやってきて、リスペクトを伝える。さっき殺してしまった筈なのにと我に返ったニナは、自分の身体にリリーに突きつけた筈の鏡の破片が突き刺さっていることを発見するのだ。
それでも、最後の白鳥のシーンを見事に踊り終えたニナは、身を投げ出したマットの上で万雷の拍手の音を聞き、「これで完璧だわ」と呟く。
そしてホワイトアウトして幕である。
とにかく、怖かった。
そして、見終わった直後は嫌な汗をかき、背中がバリバリになるほど緊張していたのだけれど、少し時間がたってみると、意外とその「怖さ」が嫌な感じでは残っていないことに気付いた。
爽快感とは決して言わないけれど、余りの怖さにリフレッシュはできたような気がする。
不思議な映画だった。
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