「パウル・クレー おわらないアトリエ」に行く
2011年7月9日、東京国立近代美術館で7月31日まで開催されている、「パウル・クレー おわらないアトリエ」に行ってきた。
前から行ってみようと思いつつなかなか行く機会がないまま7月になってしまったことと、関東地方が梅雨明けしたと速報が出されたこの日、サイトを見たら「出品者からの貸出し条件により、室温を低く設定(20℃程度)しております。」と明記されていたことも、今日行こうと考えた理由である。
行ってみて驚いた、
かなりの混雑振りである。少し待たないとコインロッカーの空きが見つからなかったくらいだ。
そして、中に入ってみたら、若者のカップル(という言い方もどうかと思うが)が多かったことに驚いた。年配の方々よりも目立っていたのではないだろうか。
流石(何が流石なのかよく判らないけれど)、クレーである。
このクレー展は、絵そのものというよりも、クレーの絵がどのようにして制作されたのか、という展に焦点を当てた展示になっていた。
クレーは本当に様々な技法だったりアイデアだったりを駆使し、研究し、作品に昇華させた画家だったのだなということがしみじみと感じられた。
その代わり、ついつい、絵そのものを鑑賞するという肝心のことがすっかりお留守になってしまったような気がする。だったら、音声ガイドを借りて、完全に「どのように制作されたか」というテーマにどっぷり浸かってもよかったかなという感じがした。
最初のコーナーは、クレーのアトリエの写真と、その写真に写っている絵とを並べて展示した「現在/進行形 アトリエの中の作品たち」である。
クレーは、自らのアトリエに完成したもの、未完成のものを問わず絵をかけており、またその様子を自ら写真に撮って残していたという。
ここでは、クレー自身が写った写真も混じっていて、本人が撮影した写真は少なかったと思うのだけれど、モノクロの写真を見、その後で写真の中の絵を見て、正直に言って「この部屋で暮らしたくないなぁ」と思ってしまった。
クレーの絵は好きなのだけれど、何故だかこのコーナーに展示されていた絵は、重い色調のものが多かったのだ。こんなに重そうな絵に囲まれて過ごしたら、何だか重苦しい気持ちになってしまいそうである。
それと同時に、クレーの絵は具象的ではないので、色々な絵をかなり狭い感覚で壁に飾ってもきっと作品同士が喧嘩することはなかったのだろうなとも思ったのだった。
次からのコーナーが、クレーの「技法」に焦点を当てた展示である。
「写して/塗って/写して」と題した、「油彩転写」と呼ばれる技法の作品群がまず並べられる。
「クレーの、黒く線が引かれたバックに色彩が置かれている」という感じの絵は、こうして描かれていたのだなと思う。私がイメージするクレーの絵というのは、まさにこの技法による絵だ。
油彩転写というのは、簡単に言うと、まず線描で絵をを描き、黒の油絵の具を塗った紙と新しい紙を重ね(黒く塗った方の面を新しい紙に接するようにする)、そこに線描による絵を重ね下なぞることで、新しい紙に油彩で線が描かれる、という仕組みである。
そうすると、描かれた線画の上から水彩で彩色しても滲むことはないし、油彩で線を直接描くよりも繊細な線が引けるし(と思う)、何回か同じ線画を元に絵を描くこともできただろう。
このコーナーを見ているうちにふと気がついたのだけれど、この「下書き」とも言えるだろう線画にも全て作品番号(描いた年ごとに連番が振ってあるようだった)が付けられ、「KLEE」のサインが入り、タイトルも書かれている。
これが、クレー自身がやったことだという。
何というか、言葉は悪いけれど、クレーってもの凄く偏執的な人だったんじゃなかろうかと思ってしまった。自分の絵の全てに、通し番号を振り、サインを入れ、タイトルをつけ書き留める。よっぽどの「何か」がなければ、なかなか成し遂げられないことではないだろうか。
そう思って思い返すと、アトリエで写真に写っていたクレーは、どことなく思い詰めたような顔をしていたような気がするのである。
そして、こうして、たくさん描いてたくさん保管した結果なのだと思うのだけれど、ここに展示されていた絵は、描き方に関わらず紙に描かれたものが多かったと思う。
また、紙に描いた後でさらに厚紙に貼ったりしたものも多い。そりゃあ、これだけの数の絵を全部キャンバスに描いていたら大変なことになるよ、とも思ったし、確かに紙の端がぼろぼろになりつつある絵も多くて室温の指定をしなくてはならないほど保管に気を使わねばならないのはそのためだったのね、と納得する気分にもなったのだった。
そのことに気がついてからは、何だかもうひたすら、絵ではなくクレーという人を見るような感じになってしまった。
でも、私が今回のクレー展の中で一番気に入った絵はこのコーナーにあって、それは「首を傾げている婦人」という小さな、でもみかん色が暖かい絵なのだった。
この技法によるコーナーは、この後も「切って/回して/貼って」(しかし、このコーナーに「回した」絵はほとんどなかったのではないだろうか)、「切って/分けて/貼って」(でもここに、「切って/回して/貼って」に相応しい絵があったと思う。)に続く。
一度描いて完成した絵を切り離すって、かなり大胆な人である。しかも、その切り離した絵のあっちとこっちにつけたタイトルが、どう考えても関連性がなさそうだったりするから不思議なのだ。
紙に描いたから大胆なこともできたんだよなという気もするし、切って貼った結果として額縁のようなものが足されただけなんじゃあ、と思ったりすることもあった。我ながら不遜な感想だとは思うけれど、そう思ってしまったものは仕方がない。
「おもて/うら/おもて」がなかなか楽しくて、ほとんど完成品のような絵が一枚の紙だったりキャンバスだったりの両面に描かれていたり、「これって失敗した下書きの裏にもう一度絵を描いただけなんじゃないの?」という感じでウラに描かれたものが表の絵から透けて見えていたり、「これは単に絵の覚え書きを裏側にメモっただけでしょう」と言いたくなるような絵があったり、ツッコミどころ満載だった。
解説では、二次元の絵が表裏に描かれることで三次元の表現になり、さらに時を経てその裏側の絵が発見されることで絵を四次元の存在にまで連れて行こうとしていると書いていたけれど、だったらクレーのことだから裏側の絵にも作品番号を振り、タイトルをつけて置いたんじゃないかなという気がした。そういえば「裏側」とされる絵にクレーのサインが入っていたかどうか、見そびれてしまった。
最後のコーナーは「過去/進行形 ”特別クラス”の作品たち」である。
クレー自身が殿堂入りを決めた作品を「特別クラス」というカテゴリに整理していたのだそうだ。
どこまでも几帳面と言えばいいのか、やっぱり「自分」プロデュースに長けていたのねと言うべきなのか、自分ですら研究と分析の対象だったのねと考えればいいのか、やっぱり謎な人物である。
ステレオタイプな発想しか出来ない私からすると、一言でいうと「画家らしくない」のだ。
「特別クラス」には、クレーが「試金石的」「模範的」作品と考えた作品が選ばれており、また、かつ家族に捧げられた絵もここにカテゴライズされていたのだそうだ。
全部で300弱の「特別クラス入り」作品が確認されているという。
私は、「油彩転写」の作品群がやっぱり好きなので、その手法の絵が一枚も含まれていなかったことが最大の謎かつ不満だった。それとも、特別クラス入りしていても油彩転写の作品は、先ほど見たコーナーに展示されていたということなんだろうか。
混雑していたけれど概ね一番前で絵をじっくりと見ることができたし、2時間弱たっぷりと楽しんだ。
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