「奇ッ怪 其ノ弐」を見る
現代能楽集VI「奇ッ怪 其ノ弐」
作・演出 前川知大
出演 仲村トオル/池田成志/小松和重/山内圭哉
内田慈/浜田信也/岩本幸子/金子岳憲
観劇日 2011年8月27日(土曜日)午後1時開演
劇場 世田谷パブリックシアター 2階A列26番
料金 6500円
上演時間 1時間50分
ロビーでは、パンフレット(1000円)の他、イキウメの過去の上演作品DVDなどが販売されているようだった。
うっかり忘れていたのだけれど、この日は、VTR(ではないのだけれど)収録日で、カメラが6台くらい入っていた。随分と凝った映像のDVDになるのではなかろうか。
ネタバレありの感想は以下に。
私にしては珍しく最初に言い切ってしまうけれど、いいお芝居だった。
今年のベスト5は確定だ。
お芝居を観ているときに、邪念に惑わされず、がっと集中して見られたのは久しぶりのような気がする。2階とはいえ、中央のかなり見やすいいい席だったということもあると思う。
事故があって住民のほとんどが亡くなり、廃村のようになってしまった村の神社に、山内圭哉演じる息子が帰ってくる。宮司を継ぐこともなく東京に出ていて、宮司であった父親をその事故で亡くしている。
多分、父親が亡くなったことをきちんと自分に伝えたくて、誰もいなくなった村に帰ってきたのだと思う。
ところが、その誰もいなくなった筈の神社に、仲村トオル演じるテキヤの男が住み着いていたから驚きである。しかもそのテキヤは、宮司であった父親のことも知っているらしい。
舞台は、神社のお社の中である。
舞台の奥行きをかなり深く取って、さらに奥に行くに従って狭くナナメになった三角形の奥の頂点を切り取ったような形にしてある(これで通じるだろうか)。
その床には何カ所か穴が開いていて、テキヤの男はそこから姿を現した。また、舞台奥の方の壁がドアのように切り取られていて、そこから黒い服を着て白い仮面をつけた男女が出たり入ったり、何かの仕草をしたりしている。
能だから面なのか。よく判らないけれど、無言でふらり、ゆらり、と動くその感じは、もののけ姫を思い出させる。
そこへ、池田成志演じる温泉を利用したアミューズメント施設を作ろうという男と、小松和重演じるこの辺りは硫黄ガスが出ているとして(というか、温泉とセットのように存在しているらしい)地質調査をしているらしい男が現れる。
「ここで何をしているんだ」「ここの息子なんです」「それはそれは」というありがちな会話が可笑しい。どうしてこう池田成志が演じる胡散臭い男はここまで胡散臭くなるのだろう。小松和重演じる地質学者の方が普通そうな男だから、尚更謎である。
彼ら4人は何というか四方山話を始める。
そこで語られるのは、みな、「死」にまつわる話だ。
暴力を振るわれている男を見捨てて通り過ぎ、その男が死んでしまったらしいと聞いて、自分を責める余りにその男の影につきまとわれるようになった(と思い込んだ)男の話。
事故で息子を亡くした母親が、その息子の臓器を移植した相手を「息子の一部は生きているんだ」と言って探す話。
妻が鬱病を患った末に自殺した男が、ボランティアで相談を始め、そこで知り合った女性に医者でもないのにカウンセリングを始める話。
彼らは、その「話」の話し手でもあり演じ手でもある。
多分、話の核となる役を演じた「役」の人物の実話なのだ。
この「死」にまつわる話には、ふらりと歩いている「自分が死んだことが判っていない死者」を演じていた役者4人も代わる代わるに参加する。
女優が2人しか出演していないせいか、この女優陣の印象が強い。特に岩本幸子が何だかもの凄くいい感じである。彼女の声と、彼女が演じた息子を失った母親や、息子が植物状態になった母親、鬱病になってしまった妻(書き出してみると、何だか凄い役ばかりだけれども)の存在が、この芝居を上手く締めている感じがした。
そうして、そろそろ行くかと後から来た2人が帰って行く。
宮司の息子は、父親を亡くした事故にやはりどこか拘りと恐れがあって、「風がなくなったからもう少し待った方がいい」と何度も引き留める。
彼の父親を含む村の人たちは、公民館で祭の相談をしているときに、ふっと風がなくなり、溜まったガスにやられて一度に亡くなったのらしい。
しかし、少しするとまた、先ほどの2人がやってくる。
登場の仕草や台詞までも同じである。
テキヤの男には前々から判っていたことらしいのだけれど、彼ら2人も実は「死んだことが判っていない」人々なのだそうだ。
テキヤの男が話した「滝で自殺しようとしていた男」の話は、実はアミューズメント施設推進の男から聞いた話で、テキヤの男曰く「君(宮司の息子)もいるし、気がつくかと思ってしゃべったんだけど、ダメだったね」ということだ。
何だかここで私の頭は一気に混乱して、かつ、整理がついた気がする。
そして、「オヤジさんの話をしようか」という前置きとともに、テキヤの男の話が始まる。
テキヤの男は、もちろん宮司である。
5年前、村祭りの相談のために村の人々が神社に集まってきているようだ。宴会の準備も進んでいるし、寄付金を集める話も出ているし、お祭りだからか神棚も出てきたし、ちゃぶ台や座布団も出てくる。
宮司は「息子は?」と聞かれて「自分と同じ風来坊だから帰って来ない。でも、今年は祭だから帰って来るかも知れない」と答えている。
自分の死を知らない人々を演じていた役者も総出で、「この村で子供が産まれるのは8年ぶりだ」などという話が出つつも賑やかな寄り合いという風情である。
宮司は自分でも言っているとおり、山っ気のある人物らしい。
インターネットで、この村の特産品を売ろう、組合に入ったままでは好きなモノを好きなように作ることもできないし、中間マージンもごっそり持って行かれてしまう、と大演説をぶっている。
祭の相談に集まっているのだから、ここにいる人々は村の中心人物なんだろう。彼らを動かせば村も動く、という感じが漂う。
そうして祭の相談は全く出ないながらも話が盛り上がって来たところで、テキヤの男が突然その世界から飛び出してきて「あれが来たのは、この直後のことだ」と冷たくささやく。
暗転後、宮司の息子の前にあるのは、「たった今まで人々が集まっていました」という状況のままホコリだけが積み上がって来た神社である。
もちろん、テキヤの男もどこかに行ってしまっている。
祭の相談をしていたのは公民館じゃなかったか? と思わなくもなかったのだけれど、そこは気にしないことにする。
男は、ちゃぶ台に溜まったホコリを手で払い、床を歩いて足の裏に付いた汚れを払う。
それは、「自分の死を知らないまま」神社をふらりゆらりと歩いていた彼らと同じ仕草である。
はっとする息子は、多分、やっと自分の父親の死を受け入れることができたんだろう。自分の死を受け入れてもらえたから、宮司である父親は話を止め、神社に巣くうことを止め、本来いるべきところに帰って行ったんだろう。
それをゆっくりと受け入れている息子の表情だけが動き、舞台上は静謐そのものである。
何だか、本当に、凄く良かった。
落ち着いて考えるとホラーな気もするし、扱われていた話はずっと「死」なのだけれど、それでも何故か、清々しい気持ちになったお芝居だった。
| 固定リンク
「*芝居」カテゴリの記事
- 「夫婦パラダイス~街の灯はそこに~」を見る(2024.09.16)
- 「主婦 米田時江の免疫力がアップするコント6本」の抽選予約に申し込む(2024.09.08)
- 「バサラオ」を見る(2024.09.01)
- 「破門フェデリコ~くたばれ!十字軍~」を見る(2024.08.25)
- 朝日のような夕日をつれて2024」を見る(2024.08.18)
「*感想」カテゴリの記事
- 「夫婦パラダイス~街の灯はそこに~」を見る(2024.09.16)
- 「バサラオ」を見る(2024.09.01)
- 「破門フェデリコ~くたばれ!十字軍~」を見る(2024.08.25)
- 朝日のような夕日をつれて2024」を見る(2024.08.18)
- 「奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話」を見る(2024.08.12)
コメント
しょう様、コメントありがとうございます。
なるほど、公民館にはみんなで避難したというやりとりがあったのですね。私ときたら、気がついていなかったのか、聞いていなかったのか、忘れてしまったのか・・・。
教えていただいてありがとうございます。
パンフレットは私もかなり迷ったのですが、ここのところ「自粛」と決めているので、自ら定めた方針に従いました(笑)。
本当にこのお芝居、よかったー、としみじみ思うお芝居でした。
投稿: 姫林檎 | 2011.09.03 10:14
姫林檎さん、こんにちは。
公民館の謎(笑)の件ですが、
たしか、最初の方で
『避難してみんなで公民館にいる時にガスでやられた』
と言うようなやりとりがありました。
でも、明示的に地震があったという台詞は何処にもなかったですよね。
311後と言う事で、避けた表現だったかも知れません。
パンフレットには、あらすじとして地震の記載がありました。
最近は、本棚がかなり埋まってしまっているので、
パンフレット購入は出来るだけ避けているのですが、
この舞台のは買ってしまいました!
公演後に購入してる人で賑わっていたので、
良い舞台だったと思った人が多かった様で、嬉しかったです。
投稿: しょう | 2011.09.01 15:27
しょう様、お久しぶりです&コメントありがとうございます。
場所が変わっていた謎を解いていただいてありがとうございます。
パンフレットに書かれてあったのでしょうか。
なるほど、そういう設定ならば納得です。地滑りのことは、幽霊のお二方とも語っていましたし。
しょうさんの山田の解釈もなるほどです。
私の感想は超絶にストレートでしたね・・・。
イキウメのお芝居もぜひご覧になって、感想もお聞かせくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2011.08.30 23:08
お久しぶりでございます。
私はその日のソワレを、前から2列目で見ておりました。
前回の奇ッ怪を見損ねていたので、意気込んで見に行ってみたら、
本当に良い舞台でしたね。
どうしても311と重ねてしまい、心に刺さりました。
あれは、最初地震が起き地滑りが起きて、
みんなで公民館に避難した所、地震で吹き出していたガスが来て、と言う設定だそうです。
なので、みんなで和気藹々話していた場所は、神社の境内だったんでしょうね。
私としては、山田を名乗るテキ屋の男は、
実は土地神のような意識体で、逝くに逝けない魂を
見守る存在のような気がしてました。
話は違ってもこのシリーズは続けて欲しいですね。
イキウメの舞台も見たくなりました。
投稿: しょう | 2011.08.30 20:19
あんみん様、コメントありがとうございます。
こちらは、本当に良かったです。
野村萬斎氏が世田谷パブリックシアターの芸術監督をされている間に多分また「現代能楽集」という形の公演があると思いますので、そのときにはぜひ!
前川知大が書いて演出したお芝居は安定していて、好きだなと思えることが多いです。
彼の主宰するイキウメの公演もお勧めです。
投稿: 姫林檎 | 2011.08.29 23:46
まさこ様、コメントありがとうございます。
あら、またご一緒していましたか。ご縁がありますね。
一階後方中央辺りということは、ちょうど上下で重なるくらいの位置にいたのかも知れません(笑)。
私は、このお芝居は、集中して観ましたが、誰かに感情移入して見てはいなかったように思います。
きっと、受け取る側の事情だったり感情だったりで印象が異なるお芝居なのでしょうね。
投稿: 姫林檎 | 2011.08.29 23:36
こんばんは、あんみんです。
先行案内を見たときは
能のお話とさらっとスルーしてしまったのですが
姫林檎さんの感想を読むと
『そういうお話なのね』と思い、
もし大阪でこれから公演が有れば観てみたい感じです。
無いけど・・・。
でもここで姫林檎さんのレポ読んで
チラッと観た気になれます。
一期一会。其の参にアンテナ張っておきます。
投稿: あんみん | 2011.08.29 00:28
姫林檎さま、こんばんは。
また同じ時に舞台を観ていたようです。
わたしは一階後方中央(カメラのそば)でした。
本当にいいお芝居でしたね。
こういうテーマを演じる役者さんたちの覚悟も感じました。
自分自身が、最近ペットを亡くしたことを受け入れられないでいるので、息子を失ったの母親が他人ごとではなく胸に迫りましたね・・・。
投稿: まさこ | 2011.08.28 22:40